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岸田政権の新興企業支援策、マネー逆回転の荒波

日経ビジネス電子版

「経団連や日本ベンチャーキャピタル(VC)協会も含めて、現場から吸い上げた政策が、新しい資本主義の大きな柱に入ったのは歴史的だ」

デロイトトーマツベンチャーサポート(東京・千代田)の斎藤祐馬社長は、政府が7日に示した2022年版の骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)の閣議決定を受け、感慨深げにつぶやいた。

22年を「スタートアップ創出元年」と位置づける岸田文雄首相は、今年の骨太の方針では「スタートアップ育成5カ年計画」を策定。スタートアップを5年で10倍に増やす大きな目標を打ち立てた。

これは経団連が3月に提言した「スタートアップ躍進ビジョン」を取り入れたもので、旗振り役である経団連の南場智子副会長(ディー・エヌ・エー会長)も「経団連としても、大企業の利益を超えて、わが国経済をけん引するスタートアップエコシステムの確立のために、自ら取るべきアクションに果敢に取り組んでいきたい」と歓迎する。

スタートアップを5年で10倍に増やす目標の達成に向けて、障害となり得るのが起業リスクの高さだ。果敢に挑んだ結果、失敗すれば起業家が自己破産する可能性もある。そうしたリスクの軽減に向け、骨太の方針と共に閣議決定した「新しい資本主義」の実行計画では目玉政策の1つとして、「個人保証の見直し」を掲げる。

個人保証とは、起業して金融機関から融資を受ける際に、経営者など「個人」が会社の融資保証をする制度だ。企業が金融機関からの借り入れを返済できない場合、経営者個人が自らの資産を用いて返済しなければならない。自己破産するリスクもあり、日本で起業家が生まれにくい要因の1つともいわれてきた。

政府が示した方針は、米中などに比べて見劣りする日本のスタートアップ創出力を改善する一手になる可能性を秘めている。

官民を挙げてスタートアップ育成に本腰を入れ始めた日本。だが、国内外の軟調なマーケットを見れば、スタートアップを取り巻く環境が激変していることが分かる。

ドットコムバブル崩壊の再来

「世界経済はハリケーンに見舞われそうだ」

米銀大手のJPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモン最高経営責任者(CEO)は今月1日に開催されたカンファレンスで、投資家らに向けてこれからマーケットが受けるであろうダメージをこう表現した。

ハイテク株中心のナスダック総合株価指数は21年11月に1万6057.44の史上最高値を付けたあと下落。今年5月24日には1万1264.448をつけ、半年で3割も下落した。

シリコンバレーに本社を置く米トレジャーデータの芳川裕誠会長は「2000~01年のドットコムバブル崩壊に近い現象が起きつつあることを肌感覚でも感じる」と説明する。

国内の新興株も厳しい。7日に東証グロース市場からプライム市場に移行したメルカリは、昨年11月に7390円の上場来高値を記録したが、足元は2100円台と7割近く下落している。同日、市場変更に伴う記者会見で低迷する株価について問われたメルカリの山田進太郎CEOは「当社のみならず、経済的要因があるのでコメントは差し控える」と直接の回答を避けた。

米国西海岸のスタートアップにはこれまで、利益よりもいかに成長の期待値を高めるかが求められていた。そのため、SaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)など、新たなサービスを生み出す新興企業は、たとえ赤字が続いても将来性の高さから企業価値が上昇してきた。投資家からすれば、赤字で配当はなくとも株式価値の上昇によって投資利益が生まれ、新たなスタートアップへの投資に回す好循環が生まれていた。

だが、今、その循環が逆回転し始めている。

大手会計事務所のアーンスト・アンド・ヤング(EY)調査では、22年1~3月に世界市場で実施された新規株式公開(IPO)は321件で、前年同期に比べて37%減少。日本でも同期間に不動産投資信託(REIT)を含めて7社がIPOを中止するなど、市況の軟化はスタートアップ企業の出口戦略に大きな影響を及ぼし始めている。

米連邦準備制度理事会(FRB)の利上げやウクライナ危機の影響を受け、資金の供給源であるベンチャーキャピタル(VC)によるスタートアップの選別が厳格化。日本でもこの流れは避けがたく、森・浜田松本法律事務所の増島雅和弁護士は「日本のスタートアップでも企業の適正価値が見直され、ダウンラウンドが増える可能性がある」と指摘する。ダウンラウンドとは、資金調達で増資する際の株価が、前回の増資時の株価を下回ることを示す。

そんな中、骨太の方針ではスタートアップ支援策を成長戦略の柱に据えており、「政府の『イケイケどんどん』のスタートアップ支援策と、慎重な市場環境が綱引きをしている」(増島氏)状況といえそうだ。

国内外のスタートアップに豊富な投資実績を持つZベンチャーキャピタル(東京・千代田)の堀新一郎社長は、「日本は、残念ながらスタートアップ市場への資金流入量は海外と比較すると著しく劣る。資金調達額が小さければ優秀な社員の雇用は限定され、成長に蓋がかかってしまう」と指摘する。

投資マネーを中心とする環境が厳しくなる中で、日本がスタートアップ振興を本格的に進めていくためには何が必要なのか。

エンジェル投資家の河合聡一郎氏は今回の新しい資本主義の実行計画について、「スタートアップ支援のためにやるべき項目は網羅されているが、人材の流動性については物足りない」と指摘する。

スタートアップの成長には優秀な人材の流入が不可欠だが、手掛ける分野、創業してからの年数によって、求められるスキルや人材像は異なる。この理解が浅いままにスタートアップに飛び込んだ結果、ギャップが埋められずに退職する例は少なくない。河合氏は、「スタートアップは自社を取り巻く経営環境を正しく情報開示し、採用する人材のミスマッチを防ぐことが重要だ」と話す。

伊藤忠商事の山領雄フロンティアビジネス第一課課長もまた「日本はスタートアップに関わる人材の母数が少ない」と指摘。「米国では40~50歳代の起業や、シリアルアントレプレナー(連続起業家)が少なくない。日本も若い起業家のほかにも広く目配りすべきだろう」と話す。

投資環境が厳しくなる今こそ、将来に向けた種まきが不可欠な時期ともいえる。増島氏は、「スタートアップは前に進めなくなったわけではなく、『注意して進め』という環境だろう。既存企業(のビジネスモデル)が賞味期限切れとなる中、日本はスタートアップにかけるしかない。ある意味、追い詰められている」と危機感をあらわにする。

官民を挙げたスタートアップ振興がようやく始まった日本。マネーの逆回転で市場環境が悪化しているときに支援策を打ち出すのはちぐはぐな印象を与えなくはないが、「決めたら止まれないのが日本。腰を据えてスタートアップ支援を進める好機」(スタートアップに詳しい関係者)ともいえる。骨太の方針を、口先だけのスタートアップ振興にとどめてはならない。

(日経ビジネス 鷲尾龍一、酒井大輔、上阪欣史)

[日経ビジネス電子版 2022年6月8日の記事を再構成]

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