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鈴鹿サーキットに「HONDA」再び F1撤退も存在感

鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で開かれていた自動車レースのフォーミュラ・ワン(F1)の日本グランプリ(GP)が9日、閉幕した。2021年シーズン後にF1から撤退したホンダは日本GPの冠スポンサーを務め、エンジンなどパワーユニット供給を継続しているレッドブル・グループの車体にはロゴマークを掲げた。脱炭素の取り組みを加速する一方で、F1はブランド戦略などで重要な存在であり続けていることを示した。

大雨の中での開催となった日本GPの決勝。トップを飾ったオラクル・レッドブル・レーシングの車体には「HONDA」のロゴがあった。会場でもレッドブルやホンダのロゴが入ったTシャツや帽子を身につけて観戦するファンの姿が目立った。

ホンダは21年シーズンまで、レッドブル向けにエンジンなどパワーユニットを開発し、供給してきた。航空機エンジンや量産車などの技術を活用することで競争力を高めた。

ただ、「電動車や新しいエネルギーの研究開発に経営資源を集中させる」として、21年シーズンを最後にF1用のパワーユニット開発から撤退した。21年4月には40年に全ての新車を電気自動車(EV)か燃料電池車(FCV)にする計画を掲げ、脱炭素に向けてアクセルを踏む姿勢を強調した。

モータースポーツでも脱炭素に動き出した。F1を含む四輪のレース活動は22年4月、本田技術研究所からモータースポーツ子会社のホンダ・レーシング(HRC)に移し、二輪と一体にして運営を効率化した。

エンジンの新規開発からは撤退したが、F1の支援は継続する。「レッドブル側から強い要請があった」(ホンダ幹部)として8月、技術支援を25年まで続けると発表した。5日には今シーズン末までレッドブル・グループの車体にホンダのロゴを新たに記載するほか、ドライバーが11月に開催するホンダのイベントに参加することも明らかにした。

ホンダとF1をめぐる歴史は50年以上にのぼる。1959年に世界の二輪車レースに参戦。創業者の本田宗一郎氏は「短い間に世界で二輪業界のトップメーカーになれたのは早くから真剣にレースに取り組んできたからだ」として、四輪事業に参入した翌年の1964年に初めてF1に出場。その後、撤退と参戦を繰り返してきた。

F1は年間数百億円規模の開発コストがかかるとされる一方で、世界でのブランド認知度向上や技術者育成などのプラス効果もある。「26年以降のF1への関わり方については、現時点で決まったものはない」(ホンダ幹部)

全社で脱炭素や構造改革を進める中、ホンダはF1を筆頭に投資効果が見えにくいとされがちなモータースポーツ事業で効率を最大限に上げる道を模索する。

(田辺静)

NIKKEI Mobility

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