仮想空間メタバースの衝撃 テレビ・ネット超えの予感
ビジネススキルを学ぶ グロービス経営大学院教授が解説

インターネット上の仮想空間「メタバース」の開発競争が過熱しています。市場規模は近い将来100兆円に上ると期待されています。ゲームの世界だけではありません。自分のアバター(分身)がバーチャルタウンのバーチャルオフィスに出社し、遠く離れた土地に住む同僚と一緒に働く。果たしてそんな日は来るのでしょうか。グロービス経営大学院の金子浩明教授が「キャズム理論」で解説します。
・メタバースはゲームや音楽では普及期に入ってきている
・ビジネスで普及するには知覚や交流、取引履歴の一段の機能進化が必要
メタバースといえば、10月に米フェイスブックが社名を「メタ」に変更し、マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)が「フェイスブックはメタバース企業になる」と宣言して話題になりました。同じ時期に米マイクロソフトもMR(複合現実)技術を用いた会議ツールを発表するなど、人工知能(AI)やインターネットの大手企業が力を入れ始めています。
乗り越えるべき「溝」
今回取り上げる「キャズム(chasm)理論」は、経営コンサルタントのジェフリー・ムーア氏が1991年に「Crossing the Chasm(邦題キャズム)」で提唱しました。キャズムとは商品やサービスが普及するときに乗り越えなければならない「溝」のことです。
キャズム理論のもとになっているのは、社会学者のエベレット・ロジャース氏による「イノベーター理論」(1962年)です。この理論では、イノベーションの採用者を時系列で5つのカテゴリーに分け、それぞれの割合を示しました。イノベーター(2.5%)、アーリー・アダプター(13.5%)、アーリー・マジョリティー(34%)、レイト・マジョリティー(34%)、ラガード(16%)です。

キャズム理論でムーア氏は、イノベーターとアーリー・アダプターを「初期市場」、アーリー・マジョリティーからラガードを「メインストリーム市場」に分類し、この2つの間に「キャズム」があると指摘しました。新たな技術やアイデアを普及させるには、このキャズム、すなわち溝を乗り越える必要があります。
メタバースはキャズムを越えられるのでしょうか。私はすでに越えつつあると考えています。ただし、ビジネスの分野はこれからです。
メタバースの先駆け
身近なメタバースとしては、任天堂の人気ゲームソフト「あつまれどうぶつの森」があります。自分のアバターを作り、無人島で動物たちと暮らすゲームです。友人同士で互いの島を訪問したり、アイテムを交換したりするなどの交流ができます。
日本におけるメタバースの先駆けとして、古くは2001年に開始したネット上のバーチャルタウン「ぱどタウン」(17年に閉鎖)が挙げられます。タウンの中に自分の部屋を作ることができ、掲示板で他の住人との交流も可能でした。
ぱどタウンと同じ時期、米国では「セカンド・ライフ」というサービスがブームになりました。約10年前のセカンド・ライフの資料によると、毎月訪問するユーザーは約100万人でした。このように、メタバース自体は新しくありません。しかし、ぱどタウンやセカンド・ライフは「初期市場」には受け入れられたものの、キャズムを越えて普及することはありませんでした。
「没入度合い」に差
今話題になっているメタバースと、2000年代のメタバースでは何が違うのでしょうか。それは、仮想空間への没入度合いです。具体的には、仮想現実(VR)、拡張現実(AR)、複合現実(MR)などの技術によって、これまで2Dだった仮想空間が3Dになり、参加者は実際にその場にいるように感じられるようになりました。
現在主流のメタバースはまだ2D空間です。しかし、00年代の仮想空間と比べて、リアルタイム画像処理に特化した半導体チップ「GPU」の進化やデータ通信量の拡大により、2Dの画面上でも没入感が高まりました。当面はゲームが中心で、「あつまれどうぶつの森」の他には「マインクラフト」、「フォートナイト」が代表格です。

中でも米エピック・ゲームズのフォートナイトは仮想空間で大規模な音楽ライブイベントも開催しています。フォートナイトの公式SNSによると、8月に行われた人気歌手アリアナ・グランデさんのコンサートは、3日間で約7800万人の観客を集めました。フォートナイトは登録ユーザーが約3億5000万人に上る巨大なプラットフォームです。すでにキャズムを越えて、メインストリーム市場に普及しています。
テレビ普及の勢い再び
しかし、これらはゲームや音楽の領域に限られた話です。日常生活やビジネスにもメタバースは広がるのでしょうか。私は技術的な障壁さえクリアすれば、一気に広がると考えています。なぜなら、すでに仮想現実空間は日常生活に浸透しているからです。先例は1950年代後半から70年にかけて一気に普及したテレビです。テレビと同じようなことがメタバースでも起きると思います。
テレビが登場する前の仮想現実空間は演劇と映画でした。仮想現実に浸るには劇場や映画館という「非日常」の場所に足を運ぶ必要がありましたが、テレビの登場によって、それが日常的に体験できるようになりました。
内閣府の消費動向調査によると、テレビは50年代後半から普及し始め、60年代初頭には5年足らずで8割を超える世帯に普及しました。普及初期のコンテンツはニュースのほか、スポーツ(プロレス、相撲、野球)、劇(時代劇、人形劇、喜劇)、歌謡ショーが中心でした。これらはテレビの登場以前から非日常の場で楽しまれていたコンテンツです。現在のメタバースにおけるゲームや音楽ライブに相当します。
非日常から日常へ拡張
その後、テレビのコンテンツは徐々に変化していき、非日常から日常に近づいていきます。60年代初頭にはバラエティー番組(歌とコントとトークで構成)が登場し、60年代半ばにはワイドショー戦争といわれる状況になり、60年代後半には実用番組(料理など)がブームになります。
こうした変化に伴い、映画や演劇の俳優とは異なる「テレビタレント」が誕生し、人気を博しました。テレビタレントはブラウン管の向こうの非日常的存在でしたが、80年代に入ってからタレントも日常化していきます。80年にデビューしたとんねるずはデビュー当初「素人芸」と言われましたが、むしろそれが広く受け入れられました。秋元康さんのプロデュースによるおニャン子クラブも、素人風のテレビタレントの走りです。
現在は一般人が中心の番組も増えました。地方を訪ねる番組、一般人のビデオ紹介の番組、街歩きの番組などです。こうして、人々はテレビがもたらす仮想現実空間に強いリアリティーを感じるようになりました。もはや、それが仮想現実だという意識すらないかもしれません。
企業は素早く対応を
遠隔のコミュニケーション手段として電信・電話が進化したものがインターネットだとしたら、「仮想現実空間装置」としてのテレビの進化版にあたるのがメタバースです。より正確に表現するならば、そうしたテレビとネットの世界が合体して進化したものがメタバースです。なぜなら、メタバースは旧来のテレビと違って「双方向」だからです。

それに加えて、仮想現実空間が2Dから3Dになることで、視聴覚だけに頼らず身体性を伴って仮想空間にアクセスできます。このように考えると、メタバースはインターネット回線やテレビ受像機の普及を超えるインパクトを我々の生活にもたらす可能性があります。
では、メタバースはいつごろから非日常から日常化し、さらにビジネスに普及するのでしょうか。「イノベーター理論」を提唱する米国の社会学者エベレット・ロジャース氏は、新たなアイデアや技術を個人が採用するために必要な条件を5つ挙げています。①従来の製品やサービスに対する比較優位②従来から大きな生活の変化を必要としない適合性③わかりやすさ④試しやすさ⑤採用したことが他者から見てわかる可視性――です。
メタバースが普及するには、これらの条件を満たす必要があります。現時点でオフィスワーカーに普及するにはハードルがあります。普及のカギを握るのは、3Dコンピューターグラフィックスなどの知覚に関する技術、交流の基盤となるソーシャルネットワークの拡充、仮想世界での取引履歴を維持するブロックチェーン技術などです。企業はこうした技術やサービスの進化を見極め、素早く対応することが肝要です。
グロービス経営大学院教授。東京理科大学院修了。リンクアンドモチベーションを経て05年グロービスに入社、教育研究部門のディレクター・主席研究員などを務めた。科学技術振興機構(JST)プログラムマネージャー育成・活躍推進プログラム事業推進委員、信州大学学術研究・産学官連携推進機構信州OPERAアドバイザー。
「キャズム」についてもっと知りたい方はこちら
https://hodai.globis.co.jp/courses/bc245e24 (「GLOBIS 学び放題」のサイトに飛びます)
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