海外勢が羨望 「夢の再生医療」iPS細胞を守れるか

「あと3年あれば」。こう話すのはメガカリオン(京都市)の赤松健一社長だ。同社は他人のiPS細胞から血小板製剤を製造する技術を持つ。通常の血小板製剤は献血の血液から血小板などを取り出してつくるが、保存期間は採血から4日と短く、他の血液製剤に比べ供給不足に陥りやすい。そもそも少子高齢化で献血による血液の確保は難しくなっている。
メガカリオンの技術は献血に頼らず製剤を製造できる。保存期間も「1週間から10日程度まで延ばせそうだ」(赤松社長)。2022年には初期段階の臨床試験(治験)を始め、血小板が少ない患者1人へ製剤を投与。副作用などの報告はなく、体内の血小板数の増加も確認できたという。
医療のインフラである輸血の常識を変え得る血液製剤の実用化に向け、順調に歩みを進めているように見えるが、メガカリオンは今、危機に陥っている。原因は資金不足だ。
苦しむiPS細胞ベンチャー
11年の設立以降、計102億円をファンドなどから調達したメガカリオン。ただ現状の手元資金は10億円を切る。多額の開発費が必要なバイオベンチャー。メガカリオンも年10億円ほどの運転資金を要する。
現在、治験の進め方を再検討するなど、事業規模を大幅縮小している。官民の支援がないままでは従来の研究開発体制を維持できない。ただもともと22年の新規株式公開(IPO)を想定していただけに、既存株主からの追加の資金調達は見込みにくい。

新たに出資者を募るのも容易ではない。壁となるのがコストだ。従来の血小板製剤の薬価に比べ100倍以上の製造コストがかかる現状は事業化が厳しい。メガカリオンは実用化の際は薬価を従来品の2~3倍に抑えたい考えで「研究ベースではコスト削減の道筋は見え始めた。年10億円をかけ3年ほどでコストをその水準まで持っていきたい」(赤松氏)。
大幅なコスト減が実現すれば実用化のめども立ち、追加の資金調達やIPOも見込める。ただその実現性の評価は難しい。コストを下げるために必要とみる30億円の調達に難航する理由がそこにある。
07年、京都大学の山中伸弥教授がヒトの細胞での作製に成功したiPS細胞。ただ、今や開発から15年。巨額の研究費を投じる中、技術が日の目を見ない現状を疑問視する声は広がる。政府による10年で1100億円もの研究支援予算は22年度で終了する。iPS細胞への世間の関心も薄れた。民間の投資意欲を呼び込む力も弱まっている。
中国はバイオ医薬産業強化へ
そんな中、日本発のiPS細胞に大きな可能性を見いだすのが、海外勢だ。特に中国は15年に発表した産業振興策「中国製造2025」の中で、バイオ医薬を23の重点品目の一つとして掲げる。国を挙げて再生医療産業の振興に注力し、関連特許出願数も15年ごろを境に急増している。
研究成果を生かすため、中国企業との協業を決断したiPS細胞関連企業もある。製薬大手の上海復星医薬集団は9月、同細胞で培養角膜細胞を開発するセルージョン(東京・中央)から中華圏での開発などの権利を取得したと発表した。
市場投入まで莫大な期間と費用を要する創薬系バイオベンチャーが、市場での経験が豊かな大手製薬会社などとライセンス契約を結び、資金面などで支援を受けながら、開発を加速させるケースは珍しくない。
セルージョンは「中国には角膜移植を受けられずに待機している患者が数万人いる」中で「中華圏での医薬開発経験が豊かで革新的な開発能力があり、グローバル基準に沿って一緒にビジネスを進められる」ことなどを上海復星医薬との協業のメリットとして挙げる。
ただ、外部企業との「協力関係」は時に技術流出リスクを生む。
「(企業や大学などが取り扱う技術などは)適正な経済活動や研究活動を装った働き掛け等を通じて流出しているとみられ、注意が必要」。22年5月、公安調査庁は「経済安全保障の確保に向けて」と題したリポートの中でこう指摘した上で、想定される技術などの流出経路として7つを挙げた。
その中身を大別すると、主に3つのリスクが想定できる。1つは「人材」を介した流出の懸念だ。そして2つ目が共同研究や共同事業などといった「協力関係」を通して虎の子の技術が流出するリスクである。
日本はかつて苦い経験をしている。00年代、JR東日本や川崎重工業などは中国に新幹線車両を輸出した。その際、提携先の中国企業への技術移転も進めたところ、中国は日本の新幹線技術を吸収。技術力を蓄えたとみると外資を締め出し、「自力」で中国内に高速鉄道網を張り巡らせた。今や高速鉄道の海外輸出を図り、日本勢と激しい競争を繰り広げる。
「中国は特に医療分野で、許認可を通じた技術情報の強制移転をもくろんでいる」とある危機管理コンサルタントは話す。万能細胞「ES細胞」の研究で出遅れた日本は、自国発のiPS細胞は是が非でも実用化にこぎ着けたい。だからこそ政府は巨額予算を投じて研究開発を支援し、実用化を目指す企業は官民の資金を集められた。国内での注目度が低下する中、海外勢が羨望する「夢の再生医療」を日本は守り抜けるのか。
セルージョンは技術流出の懸念について「再生医療の領域はまだ暗黙知に依存している部分が多く、簡単に技術を模倣できるわけではない」とした上で「リスク評価をした上で業務提携を決断した。外部の専門家からの助言も受け、コア技術の流出にも配慮した契約内容となっている」と説明する。業務提携であれば、提携先相手でも死守すべき自社の技術は何なのか、慎重に線引きすることでリスク回避は可能だとの見方だ。
ただ、公安調査庁が流出経路の一つとして挙げる「投資・買収」まで至れば話は別だ。
中国政府支配下企業、続々
中国企業は経営難に陥った企業や事業を買収することで技術を取り込み、競争力を高めてきた。海爾集団(ハイアール)による旧三洋電機の白物家電事業買収など、電機産業はその代表例と言える。
M&A(合併・買収)助言のレコフによると10年代前半はおおむね30件ほどで推移していた中国企業(香港を含む)による日本企業の買収案件数は21年、56件まで増えた。ファンドなどを通じ、中国政府が実質的な持ち株比率を50%超に高めるケースも少なくない。データ解析支援のFRONTEO(フロンテオ)によるとこれに当てはまる日本企業は16年の29社から22年4月には57社に増えた。マイノリティー出資まで広げれば、その数は一気に増える。

海外企業による対日投資のリスクを管理する役割を果たすのが、外為法だ。近年は安全保障上重要な「コア業種」に属する日本企業の株式を取得する際の事前届け出基準を引き下げたり、企業や大学が外国人に技術を提供する「みなし輸出」の管理を強化したりするなど、情報流出の懸念を念頭に置いて締め付けを強化している。
一方で、外為法の実効性を疑問視する声は少なくない。
通信事業を手掛け、コア業種に指定されている楽天グループは21年、中国ネットサービスの騰訊控股(テンセント)の子会社から事前届け出なしで3%超の出資を受けた。改正外為法ではコア業種でも持ち株比率が10%未満の場合、一定の条件を守った「純投資」であれば事前の届け出を免除している。
ただ、楽天グループがテンセントからの出資受け入れを発表したリリースの中では関係強化の狙いとして「先進的なテクノロジーを有するテンセントグループとの協業を通じたサービスの充実」を挙げるなど両社は協業も視野に入れており、米国政府は安全保障上の懸念を示した。日本政府内からも「純投資」を疑う声が上がった。日本政府は楽天グループを監視する方針を米国側に伝えるに至る。

「東芝は経済産業省といわば一体となり、一部の海外株主に不当な圧力をかけたりした」。20年7月の東芝の株主総会の運営を巡り、アクティビスト(物言う株主)の提案で選任された外部弁護士は調査報告書の中で、経産省が外為法を逸脱して裏工作に走ったと指摘した。
米国の対米外国投資委員会は財務省や国防総省などから多様な専門人材を集め、脅威が大きい企業には株式取得後でも売却命令を出すなど強権を持つ。一方、財務省や経産省など日本で外為法を運用する官庁は人材に乏しく、権限も弱い。
外為法は国の安全を守りながら対日投資も促すという、2つの目的を掲げる。技術流出の懸念を拭うか、それとも自由経済を担保することを重視するか。iPS細胞など日本として死守しなければならない先端技術を巡っては、そんな難しいバランスを追求しなければならない。
(日経ビジネス 高尾泰朗)
[日経ビジネス電子版 2022年12月5日の記事を再構成]
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