団体消え、バーチャル巡礼も コロナが変えた聖地観光

フランス南部のルルドは、カトリック教徒にとって世界で最も重要な巡礼地の一つだ。1日に2万人が訪れていたこの聖地が、史上初めて閉鎖を余儀なくされた。
2020年3月17日にフランスで始まった2カ月間のロックダウン(都市封鎖)によって、この聖地から巡礼者たちの姿が消えた。広大な駐車場は観光バスを締め出し、土産物店はシャッターを下ろし、近隣のホテルもドアを閉ざした。
だが、年間300万人以上の旅行者を受け入れてきたルルドでは、新型コロナがもたらした危機に直面しても、祈りが続けられた。それどころか、パンデミック(世界的大流行)は、保守的な伝統が深く根付いたこの町に予想外の改革をもたらしている。
パンデミックの間、教会は毎日、世界中から寄せられる数千の祈りを受け入れた。さまざまな言語で聖職者が先導する信者の祈りは、テレビやソーシャルメディアで放映された。「フティエ(ろうそくの火の番人)」は、数千本のろうそくの明かりをともし続けた。ろうそくの多くはオンラインで購入され、離れた場所にいる信者の名前で献灯することができる。
こうした工夫が実を結び、2020年7月には世界初のバーチャル巡礼が実現した。10カ国語で放映されたこの「ルルド・ユナイテッド」を、8000万人が視聴した。ルルドは、フランスではパリに次いでホテルの収容人数が多く、観光に依存する町だが、この変化がルルドの将来を再考するきっかけとなった。目指すのは、環境、経済、そして何よりも信仰の持続可能性だ。

マッサビエルの奇跡
スペインとの国境に近く、住民がオック語を話すルルドが世界で知られるようになったのは、1858年のこと。マッサビエルの洞窟で、無学で貧しい14歳の少女、ベルナデッタ・スビルーの前に聖母マリアが18回も出現した。泉で水を飲んで沐浴(もくよく)するように「その女性」から告げられたベルナデッタは、水が湧きだすまで土を掘った。この泉には癒やしの力があるとされ、まもなく病気や苦しみを抱えた人々が集まるようになった。
ベルナデッタが目にした聖母マリアの出現は、後にローマ教皇によって認められ、ベルナデッタは1933年に列聖された。
フランスの敬虔(けいけん)な家庭では、ルルドは何世代にもわたる信仰の大切な柱だ。この町は癒やしが得られる場所であるだけでなく、新婚旅行で訪れる地でもあった。ルルドの名声は国境を越え、小説や映画など世界の大衆文化でも取り上げられた。


実際に、ルルドを訪れる巡礼者の多くは外国人で、ルルドの町には国際的な雰囲気があふれている。ルルドには25カ国から来た人々が暮らしており、スリランカ出身のタミル人コミュニティもあるほどだ。明るく希望に満ちた連帯感で数千人が一つになる光景を目の当たりにすると、カトリック教徒でなくてもこの町の精神性に引きつけられる。だからこそルルドには、大勢の人が集まってくるのだ。
「ここは、知識人のためではなく、敬虔な民衆のための場なのです」と、オリビエ・リバドー・デュマ司教は言う。「ルルドは、信仰を表現する言葉を持たない人を歓迎します。岩に触れる、水を飲む、ろうそくを手に行進するなど、ルルドでは行動で信仰を表すことができるのです」

観光事業の見直し
ルルドは、長年にわたって、こうした巡礼がもたらす年間3億ユーロ(約390億円)の収入に依存するようになり、町の経済は宗教的な観光と密接に結びついていた。
やがて、この町には定型化した観光モデルが生まれた。巡礼者の多くは、4月から10月までの観光シーズンに、ツアー会社が企画する大規模な団体旅行に参加する。ホテルの協定料金は安く、食事が含まれていることが多い。
この巡礼ツアーが、ルルドの特徴である、マスツーリズム独特の色あせた土産物店が並ぶ町の景観を形づくってきた。実のところ、旅行先としてルルドが人気だった絶頂期は過ぎている。この10年間、ルルドを訪問する観光客の数は減少し続けてきた。
パンデミックで聖地への訪問者が途絶えると、ルルドでは雇用や収入が減少し、深刻な打撃を受けた。宗教観光に完全に依存していた経済の危うさを、パンデミックが露呈させた形となった。
最初の2カ月のロックダウンの後、2020年にルルドを訪れた旅行者は、わずか80万人にとどまった。この間に訪れたのは、以前のツアー客ではなく、個人旅行者だった。
「パンデミックは、のんびり構えていた私たちの対応を再考するきっかけになりました」と、リバドー・デュマ司教は話す。予備知識なしにルルドを訪れる新しいタイプの旅行者を歓迎するために、聖地での対応を変えることにした。巡礼者の団体ツアーでは、巡礼者を先導するガイドと神父が同行するのが一般的だが、こうした案内役がいない個人客に対して、基本情報やミサ、ガイド案内などが盛りこまれた「1日巡礼」プログラムが新たに用意された。
「あらゆるタイプの訪問者を受け入れる、より包括的な対応が必要です」と、リバドー・デュマ司教は言う。「現在、この国と社会では、キリスト教離れが際立っています。ルルドが2030年もその使命を果たすためには何をすべきか、それを見極めることが私の責務なのです」


行政のリーダーたちも、旅行者の多様化に対応する必要性を理解している。聖女ベルナデッタの遠縁である新しい町長のティエリー・ラビ氏は、新型コロナがルルドにチャンスをもたらしたと考えており、「巨大なリセットボタンを押すようなものです」と話す。
現在、行政による「アブニール・ルルド(ルルドの将来)」計画が、始動したばかりだ。まだ初期段階だが、10年をかけてルルドを近代化して再構築し、新たな旅行者を継続的に呼びこむことを目指している。この計画の実現のため、フランス政府から1億4000万ユーロ(約183億円)という巨額な援助金が支出されることになっている。

2月には、近隣の町との間で、電動自転車・乗用車のシェアリングプログラムが始まった。手頃で環境に優しい交通手段である夜行列車は、2016年に廃止されていたが、12月から運行が再開されることになった。大規模な緑化プログラムも開始されている。
「私は、ルルドを『眠れる美女』と呼んでいます」と、ラビ氏は言う。「彼女を目覚めさせるためには、考え、行動し、あらゆる手を尽くさなければなりません」

パンデミックがもたらした大いなる眠りは、祈りと希望の地としての伝統ある役割を守るルルドに、改革も必要であることを教えてくれた。聖女ベルナデッタの遠縁にあたる写真家のセブリーヌ・サジュー氏は、生まれ育ったふるさとを新たな視点から見つめている。
この記事の写真を撮影した彼女は「私は信仰と無縁の家庭で育ちましたが、ルルドを見つめなおすことで、自分の精神性を問い直しました」と話す。「パンデミックの時期、旅行者の姿が消えて静かになったルルドから本来の意味とメッセージが浮かび上がり、心が満たされました」



(文 MARY WINSTON NICKLIN、写真 SEVERINE SAJOUS、訳 稲永浩子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2021年11月16日付]
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