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ドル支配とデジタル人民元 カンボジアが挑む通貨独立

日経ビジネス電子版

2020年10月、カンボジア国立銀行(中央銀行)は、世界に先駆けて中央銀行デジタル通貨(CBDC)「バコン」を導入した。電話番号を登録するだけで電子財布が利用でき、リアルタイムの個人間送金や銀行口座への振り込み、QRコード決済といったサービスを使える。

カンボジア中銀によるCBDC導入の目的は大きく2つある。あらゆる人が必要な時に必要なサービスを受けられる「金融包摂」を実現すること、そして「通貨独立」を達成し、これを維持することだ。

世界銀行の統計によれば、同国における銀行口座の保有率は20%に満たず、多くの人が金融サービスにアクセスできない「アンバンクド」な状況にある。一方で携帯回線の契約率は100%を超える。ブロックチェーン(分散台帳)技術を活用して通貨をデジタル化し、これに対応したサービスを展開できれば、莫大なコストをかけなくても金融インフラを強化できるとの読みがあった。

そこでカンボジア中銀はブロックチェーン技術に精通する日本のフィンテック企業、ソラミツ(東京・渋谷)の支援を受けてCBDCの開発に乗り出した。ソラミツの宮沢和正社長によると、カンボジア中銀から最初の打診を受けたのは2016年末だったという。それからわずか4年も経たずしてカンボジアはCBDCの導入を実現した。新型コロナウイルスの感染拡大がなかったならば、その時期はさらに早まっていただろう。

テクノロジーの側面でソラミツの貢献が非常に大きかったのは事実だ。ただテクノロジーだけではCBDCは実現しない。それには既存の金融機関の協力が不可欠だった。彼らがそっぽを向いては使い勝手の良いサービスは実装できず、普及が見込めないばかりか、金融システムに大きな混乱が生じる恐れすらある。

ただ既存の金融機関にとってCBDCは脅威にもなる。自分たちのサービスが駆逐される恐れがあるからだ。またアンバンクドな人々は中銀にとって「手を差し伸べるべき対象」である一方、民間企業にとっては「将来の顧客」だ。これを中銀に刈り取られてはたまらない。

そこで中銀は金融機関の恐怖心を和らげるのに腐心した。「バコンは脅威ではない。金融の屋台骨を支える決済システムになる」。プロジェクトを主導するチア・セレイ総裁補佐兼統括局長はこう説いて回った。

時間とコストがかかっていた銀行間決済が効率化されるなど、金融機関にとってもバコン導入のメリットは大きかった。銀行間決済も含めると、足元の利用者数は延べ1090万人に上る。同国人口の6割を超える数だ。またバコンは独自のQRコードを展開するのではなく、各金融機関のコードに対応する形をとる。ここにも自ら顧客を開拓してきた金融機関への配慮が透ける。

既存のプレーヤーが展開するサービスを利用できるならそれでよし。サービスが届かない人にはバコンの電子財布を利用してもらう。それがカンボジア中銀の実現しようとする金融包摂の在り方だ。

足元でバコンに参加する金融機関の数は増えているが、まだ中小の金融機関や一般の企業が自由に使えるような形にはなっていない。カンボジアでは無担保で少額の事業資金を融資するマイクロファイナンスに頼る中小零細業者が多くいる。現金による貸し出しや回収がバコンに置き換われば事業の効率化が見込めると同時に、金融包摂も進むだろう。

「我々にもバコンを活用するメリットはある」とチャムロン・マイクロファイナンスのヤニック・ミレフ最高経営責任者(CEO)は指摘する。「ただ(バコンを利用するには)様々な規制や制約をクリアしなければならないため、現実的な選択肢になっていない」とも同CEOは話す。バコンの取り組みはまだ途上にある。

忍び寄るデジタル人民元の影

カンボジア中銀が大手金融機関への配慮を重ねてまでバコンの導入を急いだ背景に「通貨独立」という悲願がある。

同国では自国通貨リエルの信用が低く、米ドルが支配的な地位にある。混乱を避けつつドル依存を減らし、通貨独立を果たすのにCBDCが有効だった。

民間の電子財布は一般的に米ドルかリエルのどちらかを選択する形になっており、米ドルが圧倒的に好まれる。一方、バコンはドルとリエルの双方に対応し、意識することなく両通貨を使える。また市中の少額決済ではリエルが使われることが多いため「バコンでリエルを持ち、これを利用することに躊躇(ちゅうちょ)がなくなる」(チア・セレイ氏)。実際、バコンによる取引の25%はリエル決済となっており、徐々にリエルの存在感は強まっている。

ただドル依存を脱したからといって油断はできない。中国の影響力が強く及ぶカンボジアには、発行間近とされるデジタル人民元の影も忍び寄る。自分たちが通貨のデジタル化で手をこまぬいていては、今度は大国のCBDCにのみ込まれる恐れもあった。

デジタル通貨は現実の貨幣よりも容易に国境を越える。それは脅威を招く一方、経済振興の好機にもなる。

カンボジア中銀は21年8月、バコンを活用し、マレーシア大手銀メイバンクとの間で即時の送金サービスが可能になったと発表した。マレーシアに出稼ぎに行く人は多い。これまで本国に送金するには、手間とコストがかかる国際銀行間通信協会(SWIFT)か、実態が不透明な地下送金などを利用するしかなかった。

CBDCの可能性に着目しているのはカンボジアだけではない。バコン開発を成功させたソラミツの技術にはラオスやベトナム、フィリピンなどが関心を示す。「CBDCは経済安全保障に密接に関わる。日本政府とも話し合いながら、各国で導入の機会を探っている」(ソラミツの宮沢和正社長)。タイは年内にもリテール型CBDCの試験運用を始める見通しで、香港金融管理局やアラブ首長国連邦中銀などとCBDCを用いた国際決済の共同研究も展開している。

一方、暗号資産については慎重な姿勢を示す国が少なくない。「資産の裏付けが不透明で、ギャンブルの要素も強すぎる」(カンボジア中銀のチア・セレイ氏)。タイ証券取引委員会は今年4月、暗号資産を用いた決済を禁止した。「暗号資産が浸透すると金融システムの安定が損なわれるとの警戒感が当局にはある」(国際通貨研究所の潮田玲子研究員)

エルサルバドルは法定通貨に

世界を見渡せば暗号資産の法定通貨化に踏み切った国もある。エルサルバドルは21年9月、ビットコインを法定通貨にした。

同国の事情はカンボジアと似通う。銀行口座保有率は30%程度で金融包摂が課題になっており、米国への出稼ぎ労働者や移民からの送金に経済が支えられている。カンボジアと異なるのは、経済が完全に米ドル化していることだ。自国通貨「コロン」は事実上廃止されているため、独自に金融包摂を進めようとすれば暗号資産に頼らざるを得なかったと見られる。もっとも、現地在住者によれば「価値の変動があまりにも激しく、使い勝手も悪いことから、ビットコインが使用される場面はほとんどない」のが実情だ。

国軍によるクーデターが起きたミャンマーでは、その支配に反発する挙国一致政府(NUG)が21年12月、暗号資産の国内流通を公式に認めると発表した。国軍の手の内にある法定通貨チャットは下落しており、ミャンマーは深刻な外貨不足に直面。国軍は中国傾斜を強めている。

アンバンクドな人々がNFTゲームに引き付けられたのと同様、「持たざる国や組織」が暗号資産に頼る構図が浮かび上がる。だからこそ、その無秩序な増殖を新興国の当局は警戒しCBDC導入を急ぐ。

ではCBDCにより、暗号資産は駆逐される運命にあるのか。暗号資産の価値が下落し「冬の時代」が訪れているといわれる今も、こうした見方をする関係者は少ない。

「CBDCが普及すればデジタル通貨の信用が高まる。暗号資産にも波及するはずだ」。東南アジア各国で決済インフラを展開し、デジタル通貨にも精通するOpn(オープン、東京・中央)の長谷川潤CEOはこう指摘する。同社はブロックチェーンを活用した決済関連の新サービスを近く投入する計画だ。

小売店や通販業者、決済サービス業者などに暗号資産決済を提供するシンガポールのトリプルAによると、収益規模は前年比10倍を超えるペースで拡大しているという。「特に東南アジアで規模拡大が著しい」(同社のエリック・バービアCEO)。同社は昨年、配車大手のグラブと提携し、グラブの決済アプリを通じて暗号通貨を購入できるサービスを展開している。

今後も東南アジアではCBDCと暗号資産が時に衝突し、時に共存しながら発展を続けていくだろう。

暗号資産交換所のタイ最大手ビットカブのジラユットCEOは「CBDCと暗号資産とは相互補完的な関係にある」と見ており、両者をうまく活用して社会変革を進めようと考えている。ジラユットCEOは2018年にビットカブを創業し、数年で同社を世界有数の規模に成長させた。「我々にとって金融包摂は目標の一つにすぎない。教育や健康管理についてもデジタルで包摂し、誰でもサービスにアクセスできるようにする」。同CEOはこうビジョンを語る。

デジタル通貨は金融システムの覇権争いの文脈で語られがちだが、社会課題の解決という本質的な使命も背負っている。暗号資産を稼ぐことができるNFTゲームが持続可能なビジネスとして今後も成長を続けることができるのか、CBDCはアンバンクドな人々を救う金融インフラとして定着するのか、まだはっきりとした見通しを持つことは難しい。ただ確かなのは、様々な試行錯誤が東南アジアでは始まっており、これが既に人々の生活を変えつつあるということだ。金融包摂という切実な課題が、新しい金融インフラの誕生を強く促している。

(日経BPバンコク支局長 飯山辰之介)

[日経ビジネス電子版 2022年7月5日の記事を再構成]

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