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キリン改革支えたマーケターの戒め 競合分析は毒にも

日�経ビジネス電子版

キリンビール社長を務めた布施孝之氏が2021年9月1日に61歳で急逝した。減益が続き負けが込んでいた15年に社長に就任後、17年から全社一丸の変革プロジェクト「布施改革」を推進してきた。結果、「本麒麟」の大ヒットや「一番搾り」のリニューアルなどを経て業界トップに返り咲く。

「お客様のことを一番に考える」と常々口にしていた布施社長はマーケティングを重視した。その重責を担ったのが常務執行役員の山形光晴氏だ。

山形氏は15年にプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)日本法人からキリンに転職。キリンビバレッジを経て17年にキリンビールのマーケティング部長に就任した。「お客様第一だ」と語る布施社長に対し「当然その通りだ」と答え、二人三脚で布施改革に取り組んだ。

当時の社内は名門ブランドにあぐらをかき、「お公家体質」ともやゆされる社風。商品開発やマーケティングは競合他社の動きに対応したものばかりだった。

マーケティングの責任者となった山形氏は即座に動く。それまで売れ行きをけん引してきたCMキャラクターの「嵐」と決別するなど、社内外に波紋を呼ぶ変革を断行した。また、業界初の糖質ゼロビールとなる「キリン一番搾り糖質ゼロ」では同社のイメージカラーにない青色を採用している。

「布施さん、この改革は反発が起きますよ」――。新しい取り組みを仕掛ける前に、山形氏は相談した。「布施さんは『お客様にとって正しいことなら構わず実行してくれ』と、私の志を見てチャレンジを認めてくれた」(山形氏)という。

山形氏は自身を「マーケターだと思っていない」と言う。ヒット商品は作ろうと思っても生まれるものではないと知っているからだ。P&Gで化粧品などを担当していた時代には、週末ごとにドラッグストアに入り浸り、買い物客が手にする商品からその人間像を想像した。そこで感じたことこそが商品に反映されるべきであり、戦うべき相手は競合ではなかった。

現場を知らない会社の経営層は「マーケティング」に対して「NO」を突きつけるかもしれない。「それでも市場から『GO』の声が聞こえるなら進むべきだ」と山形氏は語る。

人間に対する圧倒的な興味が不可欠

山形氏が自らをマーケターと呼ぶのに違和感を抱くのは、その取り組みが「競合との差別化」ではなく、「顧客価値の創造」にあるからだ。

世の中のヒット商品は人間の欲求をベースとした「太くて大きなニーズ」を捉えている。例えば、利便性を求めて生まれたスマートフォンなどがそうだ。健康関連商品もその一つ。発泡酒や第三のビールでも健康志向で機能系が増えたが、ビールには存在しなかった。おいしさと健康が両立できるなら誰もが望む商品となる。

「キリンにはビールで糖質ゼロを実現する研究開発(R&D)の力があった。あとは商品を魅力的に感じてもらえるよう、顧客とコミュニケーションを取るだけだった」と山形氏は言う。

では、どのようにコミュニケーションを取ればいいのか。「そのやり方はお話しできない」と山形氏はいたずらっぽく語るが、ヒントをくれた。大切なのは「温度感」を感じることだという。

要は簡単なことだ。「顧客が何を考えているのか、朝起きてから夜寝るまでの生活を何人にも、何人にも聞いて、その温度感を感覚として持つほかはない」(山形氏)と言う。そして、街を歩いていても、電車に乗っていても、人間に興味を持って観察を続ける中で太くて大きなニーズの形を探り出す。

山形氏はP&G時代に若くしてマーケティングの責任を与えられたことが、顧客に立ち返って考える原点になっていると話す。デジタルサービスならば2つの事例を比較する「ABテスト」をバンバン実施する。正しいと思った宣伝手法も「もっと良い見せ方があるのではないか」と追求する。

「そこに『虎の巻』が存在するわけではない。苦しみながら発見するしかない。一つだけ言えるとすれば、顧客の理解は経営そのものであるということ。競合と戦うべきは『顧客の理解度』だ」と山形氏は語る。

山形氏は、競合の分析が悪いわけではないが、競合を基準とした商品やサービスづくりにはリスクがあると指摘する。A社の商品が100億円売れたなら、当社が後追いすれば50億ほどは売れるだろう。こうした考え方は経営陣に響きやすい一方で、なぜ売れるのかという本質を見失いがちになってしまう。その繰り返しは企業の礎である商品やサービスの開発力を奪い、やがて経営を迷走させる遅効性の毒となる。

だからこそ、顧客との接点を増やす取り組みは重要だ。キリンビールはクラフトビールなどを自宅に設置した専用ビールサーバーで楽しめる「KIRIN Home Tap(キリン ホームタップ)」を推進している。毎月定額の支払いでつくりたてのビールが飲めるサブスクリプションだが、ビール市場が衰退している危機感から生まれたサービスだ。

メーカーが毎月2回ビールをダイレクトに顧客に届ける過程で、より多くの接点を構築し、様々な声を集める。そこに同社の真の狙いがある。

亡くなった布施氏から山形氏が引き継いだのは、ビールを通して生活を豊かにする「CSV(共有価値の創造)」の志だ。社会問題の解決に取り組み、社会と価値を共創することで持続的に成長する。キリンビールのマーケティングは、その実現に向けた手段というわけだ。

(日経ビジネス 江村英哲)

[日経ビジネス電子版 2021年11月4日の記事を再構成]

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