ネコ神はなぜ誕生? 古代エジプト、動物の神々の秘密

ライオンの頭を持つ戦の女神セクメト、ジャッカルの頭を持つ冥界の神アヌビス、ウシの角をつけた女神ハトホル……。古代エジプトには動物の神が数多く存在した。
その信仰の起源は、はるか昔にさかのぼる。肥沃なナイル沿岸に暮らしていたエジプトの人々は、そこにいる動物たちについて深い知識を持つようになり、やがてそうした動物たちを神の領域へと持ち込んだのだろう。エジプト初期王朝の黎明(れいめい)期、紀元前3100年ごろには、神々は動物の姿を取るようになっていた。
エジプトの神々の世界は、混沌として見えるかもしれない。しかし忘れてはならないのは、エジプトの宇宙観が数千年をかけて形成されたものだということだ。時とともにエジプトを支配する王国が入れ替わる中、神々も移り変わり、進化し、ときに混ざり合った。
たとえば、最も古い神のひとつ「ホルス」は、ハヤブサの頭を持つ天空の神だが、その役割はやがて、同じくハヤブサの姿で描かれることの多い太陽神ラーと融合していく。ラーがその後、ホルス神やほかの神々と融合して生まれた神ラー・ホルアクティも、やはりハヤブサの頭部を持った。

ハーレムを与えられた雄牛
古王国時代(紀元前2575~前2150年)に入り、ギザにクフ王の大ピラミッドが建設されるころになると、動物の神は多種多様になる。
天空の神ホルスは、ごく初期の図像では空の船に乗っている姿でも描かれている。天空を渡って冥界へと下り、夜明けに再びのぼってくるこの船は、エジプト神学において核となる存在だ。ホルスという名は「遠くにいる者」を意味し、そこに含まれた高く飛ぶ存在というニュアンスが、鳥と飛翔(ひしょう)と宗教的な畏怖とを結びつけている。
男性神はこのほか、雄牛や雄羊の姿でも描かれた。エジプトの雄牛崇拝において、神は選ばれた個体に宿るとされた。
聖なる雄牛アピスをまつる儀式は、古王国時代に起源を持つ。アピスとされた雄牛をメンフィスの街に放って走らせ、象徴的に土地を肥沃にするというものだった。雄牛が死ぬと、その死骸はメンフィスからほど近いサッカラに葬られた。その後、後継となる牛探しが始まるが、その牛は毛皮に特定の模様が入っていなければならないとされていた。新たなアピスとして認められた雄牛は、メンフィスの神殿に連れて行かれ、自分専用の牛の「ハーレム」が与えられた。

新王国時代(紀元前1539年~1075年)には、ファラオによる統治の座はメンフィスからテーベへと移された。この移動は神学的に大きな影響を及ぼし、カルナック神殿などテーベにある神殿で崇拝されていたアメン神が国神へと格上げされた。アメン神は、ラー神と一体化したアメン・ラーの姿で雄羊として描かれることが多い。
アメン神と雄羊とのつながりは、はるか昔のエジプトの神で、人間を作り出したとされるクヌムにまでたどることができる。アメンは「2本の角を持つ神」と呼ばれることも多い。雄羊は豊穣(ほうじょう)や戦争を象徴し、新王国時代のファラオを守る強力な守護神となった。
角を持つ女神たち
初期の女神たちはその多くが、出産、豊穣、栄養など、生命や生殖に関連するものをつかさどっていた。最も古い女神の中には、牛の頭部や角が付いている者もあった。
たとえばバト神は、エジプトの国家統一をたたえる内容が記された紀元前3100年ごろの重要遺物「ナルメルのパレット」に、牛の角をつけた姿で描かれている。時がたつにつれ、バト神はまた別の強力な女神ハトホルへと進化していったようだ。ハトホルは、母性、音楽、農業、喜び、さらには死など、生命に関わる数多くの領域に影響を与えた。
「黄金の者」として知られ、何世紀にもわたって輝きを放ち続けたハトホルだが、その役割はやがて、重要性を増したイシス神へと組み込まれていった。イシス神は通常、人間の姿で描かれ、動物とのつながりはさりげない形で示される。イシスの頭の上には牛の角が描かれていることが多く、これはハトホルへの賛意を表している。イシスはその後、ハトホルの役割を引き継ぎ、とくに冥界の支配者オシリスの配偶者・守護者として、エジプトの母・妻の普遍的なシンボルとなっていった。

イヌとネコの神々
ペットとして世界で最も人気のあるイヌとネコもまた、エジプトの神話において大事な役割を担っていた。冥界でオシリス神に仕えた重要な神が、ジャッカルの頭部を持つミイラづくりの神アヌビスだ。力強いジャッカルが死者のために行動するというのは、埋葬されたばかりの死体を掘り起こす習性のある自然界のジャッカルに対する防御としては最適だっただろうと、歴史家は考えている。
ネコの女神たちは今日、多くの博物館で人気を集めている。ネコの神々へ信仰は、当初は特定の都市と結びついたものだったが、その名声が広まるにつれて、地域にいるよく似た神々と結びついていった。たとえばメンフィスで重要だったのは、ライオンの頭を持つ戦の女神セクメトだった。

セクメトのことを気に入っていたアメンホテプ3世は、紀元前14世紀にテーベに建設された自身の巨大な葬祭殿のために、この女神の石像を730体も作らせた。エジプト学者らは、ファラオがこれほど多くの像を作らせたのは、セクメトの恐ろしい性質をなだめるためと、その保護の力を引き出すためだったと考えている。
セクメトと混同されることもある、また別のネコの女神にバステトがいる。バステトは下エジプトのブバスティスを中心に信仰されていた。ときに太陽神ラーの化身である聖なるネコ、マウとして描かれるバステトは、手にナイフを持ち、邪悪な蛇アポピスを殺している姿で知られる。どう猛さと親しみやすさを兼ね備えたセクメトとバステトは、ネコの性格の矛盾を体現する存在として、互いに結びつけられるようになっていった。やがて、セクメトの凶暴さを相殺するかのように、バステトはそれとは正反対の、優しく子を育てる側面を表すようになった。

奉納品だった動物のミイラ
動物の性質を持つ神々の好意を得るために、古代エジプト人は現世の動物たちを利用した。ミイラにされた鳥や獣は、エジプト全土の遺跡から何千体も発見されている。その多くは、宗教的な祭事に捧げられた奉納品だったと考えられている。
2018年、考古学者らはサッカラにある4500年前の墓から、ネコのミイラ数十体とバステトの像100体を発見した。知恵と文字の神トトに関連する鳥トキのミイラは、エジプトの最初期の支配者たちが埋葬されているアビドスで大量に見つかっている。
紀元前1世紀のプトレマイオス朝末期には、動物崇拝は下火になり始めた。ローマ帝国の支配下に入り、キリスト教がエジプトに進出すると、古い神々は見捨てられていった。今日では、新たな発見や古代エジプトを象徴する遺物が、動物たちが持つ力、魅力、強さが崇拝を集めた3000年間を思い起こすよすがとなっている。




(文 ELISA CASTEL、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2021年9月26日付]
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