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ノーベル賞候補 ビールの味も制御「結晶スポンジ法」

日経ビジネス電子版

「サイエンス・ベースド・ブルーイング・テクノロジー(科学に基づく醸造技術)を提唱したい」。8月26日に開催したキリングループの研究開発(R&D)説明会で、キリンホールディングス(HD)R&D本部キリン中央研究所に所属する谷口慈将主任研究員は胸を張ってこう述べた。「結晶スポンジ法」という、東京大学大学院工学系研究科の藤田誠卓越教授が見いだした分析方法を用いれば、ビールの味や品質に関わる成分を突き止めることができ、科学的に味や品質を制御できるというのだ。「結晶スポンジ法」とは一体何なのか。

結晶スポンジ法は小さな分子の立体構造を解析する革新的な手法だ。分子の立体構造は、結晶化してからX線回折という方法で解析する手法が100年以上前に考案された。その後、幾つか新しい手法も登場したが、立体構造を直接観測できるという点で、現在も結晶のX線回折法が信頼性の高い手法と考えられている。ただし、サンプル量が少ない物質は結晶を作るのが難しく、そもそも結晶化するのが困難な物質も少なからずあるのが難点だ。

結晶スポンジ法は、内部に規則的なナノメートルサイズの空間を多数持ったスポンジ状の構造体(結晶スポンジ)を用い、1つ1つのナノ空間に分子を規則正しく閉じ込めてX線回折をする手法だ。この手法を用いれば、結晶化が困難な物質であっても、微量のサンプルを基に立体構造を解析できる。

藤田卓越教授は、2013年にこの分析方法を科学誌ネイチャーに発表した。これらの研究などにより、ノーベル賞の有力候補の1人と目され、19年には東京大から「卓越教授」の称号を授与されている。卓越教授は、ノーベル賞の受賞者または文化勲章の受章者か、それらに準じる賞の受賞歴や業績を有するとして部局長が推薦した者に付与できる称号だ。

キリン中央研究所の谷口研究員らは、17年11月に東京大が開設し、11社の民間企業が参加した社会連携講座の一員となり、藤田卓越教授から結晶スポンジ法を習得。ビールの苦味成分の研究に結晶スポンジ法を活用してきた。

ビールの苦味成分としては「トランスイソα酸」と呼ばれる物質が知られ、ビールの泡持ちや、殺菌などに関わっているとされる。トランスイソα酸は、長期保存する間に化学反応により変化し、変化した成分が味わいや品質などに関わっていると考えられているが、どういう化学反応により、どういう物質に変化するのかは未解明だった。谷口研究員は結晶スポンジ法を駆使して、ビールの中にある13種類の苦味成分の変化物の構造を解明した。うち5種類は存在が推定されていた物質だったが、8種類は新規に同定した成分だ。

「におい」の分子の構造解析も可能

構造が分かれば、保存している間にビールの中でどのような化学反応が生じているのかが推定できる。谷口研究員らは、そうした化学反応を進めたり、抑えたりすることで、特定の苦味成分を増減して、味や品質を制御しようと考えている。これが谷口研究員の言う「科学に基づく醸造技術」だ。

実際、キリンHDでは結晶スポンジ法などの分析技術を駆使することで、ビールの苦味成分の中にある体脂肪低減の機能性を持つ物質の量産化に成功した。ホップを酸化させてできるα酸酸化物群がその物質で、構造解析に基づいて化学反応の経路を明らかにし、製造方法の最適化や品質の均一化に努めた。量産が可能になったため、「熟成ホップエキス」と称する機能性素材として、ノンアルコールのビールテイスト飲料やサプリメント、食品などに使用している。

さらに、谷口研究員らはキリングループ内での技術交流会で結晶スポンジ法を紹介し、協和キリンと共同で、超臨界流体クロマトグラフィー(SFC)という手法を組み合わせた独自分析法の開発に取り組んできた。結晶スポンジ法は、混合物の中からターゲットの物質を事前に単離して解析する必要があるため、単一の物質を高速で分離するSFCと組み合わせることでシームレスに結晶スポンジ法に展開する手法を開発。日本農芸化学会の2021年度大会で発表した。医薬品の研究開発の初期段階で、候補となる化合物の構造を解析して、その合成方法の開発につなげるといった活用をしている。

結晶スポンジ法に用いる結晶スポンジは、有機化合物と金属イオンでできている。有機化合物と金属イオンの組み合わせを変えると、中にできるナノ空間の形やサイズが変化したり、物質を溶かす溶媒への耐性が変化したりするという。そこで、キリン中央研究所では、藤田卓越教授らがつくったものとは異なる独自の結晶スポンジを幾つか開発。構造を解析したい物質のおおよその大きさや、溶媒の種類などを基に、複数の結晶スポンジを使い分けている。

「結晶スポンジ法を用いれば、これまで解析が困難だった揮発性のある『におい』の分子の構造解析も可能だ。食品分野の研究開発も大きく進展するだろう」と谷口研究員は話す。日本発のノーベル賞有力候補の技術が、産業分野で大いに活躍する日がやってきそうだ。

(日経ビジネス編集委員、日経バイオテク編集委員 橋本宗明)

[日経ビジネス電子版 2021年9月1日の記事を再構成]

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