三菱重工、国産ジェット旅客機撤退へ 開発会社も清算

三菱重工業が国産ジェット旅客機の事業から撤退する方針を固めたことが6日、分かった。2020年秋に「三菱スペースジェット(MSJ)」の開発を事実上凍結していたが、今後の事業成長を見通せないと判断した。開発子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)も清算する方針。累計1兆円の開発費を投じながら納期を6度延期するなど空回りが続いた。新たな産業育成に向けた官民による国産旅客機の構想は頓挫した。
7日にも発表する。20年秋に「いったん立ち止まる」(泉沢清次社長)と開発を事実上凍結した。その後も商業運航に必要な型式証明(TC)取得に向けた作業を続けてきた。新型コロナウイルス禍から航空市場が回復した後も、座席が100未満の小型ジェット旅客機「リージョナルジェット」市場の成長は見通せないと判断したとみられる。

三菱航空機は三菱重工側を含めて外国人技術者など最盛期に1000人規模がいたが、足元では10分の1の100人規模になっていた。凍結後は21〜23年度の開発費は200億円程度と、18〜20年度(3700億円程度)から大幅に圧縮した。22年3月には試験飛行をしていた米国ワシントン州の拠点を閉鎖するなど縮小を進めていた。国産旅客機は1962年に初飛行した「YS-11」以来の開発だった。
MSJは2008年に事業化が決定した。当初は「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の名称で90席クラスの機体として開発が始まった。民間企業の主導で日本の航空機産業の育成を目指す一大プロジェクトだった。13年にも最初の顧客である全日本空輸への納入を予定していた。技術力の不足などでトラブルが相次ぎ6度も開発期限の延期を余儀なくされた。
当初1500億円としていた開発費は1兆円規模に膨らんだ。20年3月期にはMSJ関連の資産などを対象に1224億円の減損損失を計上することなどにより、減損は「一巡している」(三菱重工)という。日本の航空機産業を育成する官民肝煎りのプロジェクトとして経済産業省も500億円を支援していた。
三菱重工は今後は日本と英国、イタリアの3カ国で35年の配備に向けて次期戦闘機の開発を目指している。国産ジェット機の開発で得られた知見を生かしていく。
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