進化続ける機械翻訳、微妙なニュアンスも対応
先読みウェブワールド(瀧口範子氏)
最近の機械翻訳の質の高さには驚くものがある。例えばグーグル翻訳にしても、数年前までは訳がぎこちなく、とうてい使う気にならなかったが、最近は微妙なニュアンスも訳せるレベルに達している。時間がたつにつれて人工知能(AI)が学習を繰り返してきたのだなあと感慨深い。

スマートフォンの翻訳アプリを気軽に使う人々が増えたことも興味深い。筆者には英語を母国語とする家族がいるが、少し前に電車の中で、小学生くらいの子供がスマホを手に話しかけてきた。2人でスマホの翻訳を見せ合いながらやりとりしていた。外国語の障壁を超え、ちょっとした異文化交流が成立している。
つい最近、翻訳イヤホンの製品を試す機会があった。機械翻訳というソフトだけでなく、それをハードウエアにすることの意味は何だろうかと考える機会になった。
使ったのは、タイムケトル社の最新型「WT2 Edge/W3」だ。フリーハンドで外国語が翻訳され、まるで目の前の人が自分の言語を話してくれているように耳に入ってくるのがいい。音質もよく、その点ではストレスがない。
また、使う状況によっていくつかの異なったモードがあるのにも感心した。例えば、2人で会話する際には「同時通訳」モードにして、それぞれがイヤホンを片方ずつ着ける。あるいは「リッスン」モードならば、講演会や映画など聞くだけに徹して翻訳が聞ける。
ただ、翻訳の質がまだ十分なレベルに達しておらず、自分なりには75点くらいではないかと採点した。話す速度が速いと、耳に聞こえる翻訳がかなり遅れがちになる。2人の会話では、どうしてもリアルタイムとはいかず、ちょっと間をとったやりとりになる。海外旅行のレストランでちょっとした会話を交わす時や、ゆっくりと話せるような状況に合ったツールのように思われた。
ところで、外国語教育の現場では機械翻訳の利用についての議論があるようだ。そもそも、機械翻訳が発達したら外国語を学習する必要がなくなるのでは、という主張がある。やはり自分で話して相手と直接コミュニケートする利点は大きく、言語の背景にある外国の思想や社会を学ぶことの意味は無限だろう。だが学校では、生徒が宿題で機械翻訳アプリを多用することが問題視されている。

外国語学習での機械翻訳は使いようだろう。原文を理解できたか素早くフィードバックを得るためには有効だし、自分で外国語を話してみて、機械翻訳で理解できるレベルに達しているのかを確認するのにも使えるのではないだろうか。
書いた原稿が英語に翻訳されることがある。翻訳者が機械翻訳を利用している場合、下訳として使うのは全く構わないのだが、問題はその後、下訳を優れたレベルまで手を入れてくれるかどうか、である。時にはおざなりな機械翻訳調がそのまま残っていて、推敲(すいこう)不足を目の当たりにすることもある。
一方、ゼロから丁寧に訳してくれたことがわかる翻訳には、隅々にまで言葉の意味や流れに注意を払った形跡がある。現時点では、プロの人間による翻訳に軍配を上げたい。
[日経MJ2022年11月7日付]