お笑いトリオ「ネルソンズ」 ゾンビコントで急浮上
深夜番組『有田ジェネレーション』(2021年3月まで。現在はParaviで配信中)や、日々のライブ活動でお笑いファンを中心に注目されてきたネルソンズ。コント日本一決定戦の『キングオブコント』では、19年に決勝に進出して6位だったほか、『NHK新人お笑い大賞』で準優勝2回など、賞レースでも結果を残してきた。

演技力を生かしたコントを得意とし、丸刈りで丸い体形の和田まんじゅうが、ボケ役としてコミカルな動きやセリフ回しで笑わせる。そこに、青山フォール勝ちと岸健之助がツッコんだり翻弄されたりと、様々なリアクションを見せてストーリーを展開する。
最近はゾンビネタを連続シリーズで繰り広げる『千鳥のクセがスゴいネタGP』や、ピュアな和田がターゲットになっている『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』(共にフジテレビ系)など、ゴールデン帯のバラエティー出演が増加中だ。
結成は10年。中学時代に同じレスリング部に所属していた、幼なじみの青山と和田が22歳でNSC(吉本総合芸能学院)に入学。そこで同期として出会った岸を誘い、トリオを組んだ。「僕と青山が2人ともボケだったから、最初はあんまりうまくいかなくて。それでツッコミを入れたいと同期に相談したときに、紹介されたのが岸でした。コンビで活動したかった青山には反対されましたけど」(和田)。「青山はずっと僕のことを認めてくれなくて、いまだに半月ごとの仮契約なんです(笑)」(岸)
ダブルボケにツッコミが加わったことで、順調に滑り出したのかと思いきや、「岸が実はツッコミのことをあまり分かっていなくて(笑)。今はネタ作りも僕と青山でやっていて、岸はそこにいるだけ。でもとにかくいいヤツだから」と和田。岸は「もともと自分がどんな役割で呼ばれたか知らなかったし」といたってマイペースだ。
転機が訪れたのは15年。和田が後輩のバビロンとのライブ中に丸刈りになったことだ。「そこからすごくウケるようになって。初めて『キングオブコント』で準決勝まで行けて、翌年の『おもしろ荘』(日本テレビ系)では優勝できたんですよ。和田が全面的にボケてくれるようになって、ネタを作りやすくなったのは大きかった」(青山)

バラエティーでの3人の役割分担は、「体を張るのは僕、エピソードトークは岸、青山は説明する人」と和田。ドッキリ企画の常連になった和田について「天職ですよ。バラエティーの歴史が変わるくらいリアクションが面白い」と岸は絶賛するが、和田本人は「マネジャーには、ドッキリはNGにしてくれと何回も言っているのに。ホントに嫌なんです」と本音をもらす。
ネタはほとんどがコントだが、数年前には漫才に挑戦したことも。「和田が『恥ずかしいから、もうできない』と言ってきたからやめましたけど」と青山が説明すると、和田は「俳優気質なんですかね。キャラクターに入っていないと恥ずかしくて」と笑わせた。
最近気分が上がった仕事は、「(明石家)さんまさんに初めてお会いできたことですかね」と青山が言うと、岸も「『痛快!明石家電視台』(MBS)でトークのときに、さんまさんや(間)寛平さん、(村上)ショージさんが笑ってくれて、めちゃくちゃ感激しました」と同意。和田はかまいたちの名前を挙げた。「山内(健司)さんが島根県出身で同郷なんです。会うたびに褒めてくれて。先日は特番の『ドラフトコント』で指名してもらえて、うれしかったです」(和田)
今後の目標について青山は、「『キングオブコント』には挑戦し続けたい」と言い、その思いは3人共通している様子。また和田は「同期の相席スタートの山添(寛)がライバルなので、あいつと『ドキュメンタル』(Amazonプライム・ビデオ)で戦いたい」と個人的な野望も明かした。
確かな演技力とユニークなキャラクターが武器。広く顔が知られるようになった先には、俳優としての活躍も期待できそうな3人だ。
和田まんじゅう、1985年9月20日生まれ、島根県出身。青山フォール勝ち、1986年1月19日生まれ、島根県出身。岸健之助、1983年8月9日生まれ、山口県出身。21年には島根県観光大使「遣島使」に任命された。吉本興業所属。
(ライター 遠藤敏文)
[日経エンタテインメント! 2022年2月号の記事を再構成]
関連リンク
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。