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モデルナが3日でワクチンを作れた理由 田中道昭さん

立教大学ビジネススクール教授 田中道昭さん

――ヘルスケアや自動車、テクノロジーなど幅広いセクターに精通し、多くの企業のコンサルティングも手掛ける立教大学ビジネススクール教授の田中道昭さん。最新刊『モデルナはなぜ3日でワクチンをつくれたのか』では、デジタル化の進展とともに激変するヘルスケア業界や米巨大テック企業の戦略について詳説しています。

DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI(人工知能)がもたらす医療業界の破壊的な変革の象徴が、設立からわずか10年で新型コロナウイルスワクチン開発のトップランナーとなった米バイオベンチャーのモデルナです。同社の本質は、「デジタル製薬企業」。既存の製薬会社にはなかった発想やテクノロジーで、製薬業界に新しい領域を切り開いています。

私がモデルナを本格的にウオッチし始めたのは、トランプ政権が進めた(ワクチンの迅速な供給を目指す)ワープスピード作戦の際、米国のワクチン開発をリサーチしたことがきっかけです。当時ファイザーなどと並んで名前が挙がっていたモデルナは2015年、CNBCが選出する「ディスラプター50企業」のトップに選ばれていたのですが、そのモデルナ評を読んで直感的に、従来の製薬会社とまるで違う企業だと思いました。

――どんな点でそう感じたのでしょうか。

モデルナは特定の病気に効く薬ではなく、mRNA(メッセンジャーRNA)を使って複数の病気と闘うことができる薬物療法を開発していました。mRNAとは、例えて言うなら「細胞が自らたんぱく質をつくるための設計図」のようなもの。mRNAを使って細胞に指示を与えることで、人体そのものが病気を治すのに必要とされる「薬」を造ることを目指していたのです。

他社とはまるで違うモデルナのDX戦略

ワクチンというと、ウイルスの病原性を弱めたものと思い込んでいる人が多いのですが、モデルナが開発したコロナワクチンはmRNAを活用したものです。

同社は、新型コロナの遺伝子情報が中国の科学者らによってネット上で公開されてからわずか3日で、ワクチンの設計を完了させました。それを可能にしたのが、設立以来モデルナが取り組んできたmRNAの開発手法の構築です。mRNAを開発するためのプラットフォームが準備できていたからこそ、コロナの遺伝子情報が開示されてすぐに、コロナと戦うためのたんぱく質をつくる設計図を細胞に届けるためのmRNAワクチンを設計することができたのです。

――同社のDX戦略も、他の製薬会社とはまるで違うと指摘します。

モデルナは設立当初から、DXを土台にしたR&D(研究開発)プロセスや製造流通システムの構築に注力してきました。

様々な疾患や治療分野に対応するmRNA医薬品を同時かつスピーディーに開発するには、多くのデータの集積と解析が不可欠です。それを可能にしたのが独自のDX戦略で、その土台には「デジタルビルディングブロック」という概念上のインフラがあります(下図)。

クラウドをベースに、モノをインターネットにつなぐIoT、集積されたデータを解析するアナリティクス、そしてAIによる予測モデリングなど、最先端のデジタルインフラ上でR&Dを進めることで、多くの実験や臨床試験を行うことができ、膨大なデータの収集と正確な解析が可能になります。それが、より的確なアルゴリズムにつながり、より効果のある医薬品開発を実現できる。この「自動化サイクル」が、モデルナのmRNAプラットフォーム戦略を可能にしているのです。

モデルナは創業以来、デジタルインフラ構築に1億ドル以上を投資。21年以降の5年間でさらに1億ドル以上を投資する予定といいます。設立当初からデジタル製薬企業を目指し、会社の芯からデジタル化しているモデルナは、小売業界におけるアマゾン、自動車業界におけるテスラのように、製薬業界を大きく変える存在になるとみています。

――激変する製薬業界の中で、日本企業の存在感をどう見ますか?

日本の製薬会社もDXに取り組んではいますが、その多くは合理化止まり。DXの土台の上に事業をつくってきたモデルナとはデジタルやAIについての考え方・使い方が全く違うと感じます。ただ、さすがにこれからは日本の製薬会社もモデルナをベンチマークし始めるのではないでしょうか。R&DにデジタルやAIを掛け算する威力を、コロナワクチン開発で見せつけられたわけですから。

GAFAMのヘルスケア参入で大転換の時代に

――ヘルスケア業界全体も、大転換の時代にあると指摘します。

デジタル化が遅れていたヘルスケア業界ですが、コロナ禍を機にDXへの取り組みが加速しました。加えて今後を展望する上で見逃せないのが、米GAFAM(グーグルの持ち株会社アルファベット、アマゾン・ドット・コム、旧フェイスブックのメタ、アップル、マイクロソフト)のヘルスケア産業への参入です。

例えばアップルは21年、フィットネスのサブスクサービスをリリース。「アップルウオッチ」と連携し、ユーザーごとにパーソナライズされたプログラムを提供しています。

アマゾンは21年夏から、従業員向け医療サービス「アマゾン・ケア」の米国企業への提供を開始。クラウドサービス「AWS」による医療データ関連サービスやオンライン薬局の展開、フィットネス用ウエアラブルデバイスの開発など、サービスを拡大しています。これからのヘルスケア産業は、既存ヘルスケア企業対テクノロジー企業という構図になると思います。

――テクノロジー企業の参入によって、ヘルスケア業界にはどんな変化が起きると予測しますか?

重要な変化として「アウトカム(成果)重視」へのシフトが挙げられます。日本は医療行為ごとの点数に応じて報酬が計算される、いわばプロセス型の報酬体系ですが、医療行為や健康状態がデータ化されて医療行為の結果が可視化されるようになれば、プロセスだけでなく結果が報酬に反映されるようになると考えます。

既にオランダなどではアウトカム評価を一部導入する動きも出ています。プロセスだけを評価する報酬体系は医療費の増大の要因とも指摘されています。デジタル化によって、成果に応じて報酬が変わる制度が導入されれば、イノベーションの促進や無駄の見直しにもつながります。

もう一つの大きな変化は、提供する側の論理で動いてきた医療や介護の現場が、カスタマーセントリック(顧客中心主義)へとシフトすることです。アマゾンは「地球で最も顧客中心主義の会社」をミッションに掲げ、顧客を基点に置いて、徹底的にパーソナライズしたサービスを提供することでユーザーの支持を集めてきました。今やパーソナライズの大潮流はあらゆる産業で起きており、ヘルスケア産業も例外ではありません。提供サイドを基点とする画一的な医療サービスが、テクノロジーの力を活用することにより患者起点でパーソナライズされたサービスに置き換わっていく未来は、そう遠くないように思います。

完璧さの追求は日本の強みで、生き残りの鍵

――テクノロジーが世界のあらゆる産業を大きく変えていく中で、日本企業が生き残るためにはどんな取り組みが必要でしょうか。

3つあると思います。まずは長期の将来予測を立てた上で、成長を実現するための超長期的なビジョンを持つこと。GAFAMもモデルナも最初に実現不可能と思えるぐらい大胆なビジョンを描き、そこに向けリーンスタートアップで事業を高速で成長させています。

2つ目が、起業家的なマインドセットです。日本企業の多くが陥っている大企業病を脱し、経営陣はもちろん社員一人ひとりが使命感や危機感を持つことが欠かせません。アマゾン創業者のジェフ・ベゾスが日々繰り返し「アマゾンにとって今日がDAY1(創業日)だ」と言い続けたことは有名な話ですが、大企業病に陥らないための仕組みをつくることなしに成長を続けることは難しいと思います。

3つ目がミッションの共有です。メンバー全員が自社のミッションを共有し、それを自己実現上の目標と捉えるようになるまで高められれば、競争優位につながります。DXはあくまでミッションを達成するための手段にすぎません。

――日本企業が高めていくべき優位性はありますか?

日本は完璧主義的な傾向が強く、スピードではどうしても米中に遅れてしまいます。しかし、その完璧を追求する姿勢や細部へのこだわりこそが日本企業の強みです。強みを見失うことなく、DXなどで自らを変革しながら事業運営の効率を高めていくことが、世界で生き残る道ではないでしょうか。

(撮影/工藤朋子 取材・文/佐藤珠希)

[日経マネー2022年3月号の記事を再構成]

田中道昭(たなか・みちあき)
三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)投資銀行部門調査役、シティバンク資産証券部トランザクターなどを経てマージングポイント社長。シカゴ大学経営大学院MBA。専門は企業戦略・マーケティング戦略。幅広い業種に関するビジネスの知見と豊富なコンサルティング経験を生かし、テレビ東京WBSでコメンテーターを務めるなどメディアでも活躍。『世界最先端8社の大戦略』など著書多数。
『モデルナはなぜ3日でワクチンをつくれたのか』 田中道昭著/集英社インターナショナル/968円(税込み)
設立わずか10年のバイオベンチャーでありながら、2020年に新型コロナウイルスワクチンをスピード開発した米モデルナ。その本質は、既存の製薬会社とは一線を画する最先端のテクノロジー企業であり、同社の「mRNAプラットフォーム戦略」は製薬業界に破壊的なイノベーションをもたらすポテンシャルがあると著者は指摘する。DXの進展とGAFAMなど米巨大テック企業の参入で激変するヘルスケア業界の最前線と主要企業のビジネス戦略を幅広い視点から考察。次世代ヘルスケア産業の姿を描き出す。

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