橘玲さん「自由な人生づくり 生涯現役と投資が両輪」
人生100年時代の資産形成術(1)

――足元のインフレや株価の乱高下を受けて、「FIRE(経済的自立と早期リタイア)」という言葉を耳にする機会が減っています。理想的な老後を送るためにどのようにお金を備えたらよいのでしょうか。
個人が富を得る方法は原理的に2つしかありません。一つは金融資本を金融市場に投下して利益を得る方法。いわゆる「投資」です。もう一つは人的資本を労働市場に投入して利益を得る方法。「働くこと」です。リスク分散の原則に従えば、収益源は1つより2つの方がいい。投資と仕事をバランスよく組み合わせることが大切です。
FIREのFI(経済的自立)は、「自由な人生を生きる」ための大前提です。1990年代の米国で「自由には経済的な土台が必要だ」といわれ始めました。
上司からパワハラやセクハラをされていたり、夫からドメスティックバイオレンス(DV)を受けたりしていてもひたすら耐えなくてはならないのは、会社や夫に生活を依存しているからでしょう。しかし、一人でも生きていける経済的な土台があれば、会社を辞めたり離婚したりして状況を変えることができます。そう考えれば、自由の土台にあるのは「お金」であり、FIは自分らしく生きるための、すべての人にとっての目標だと言えるでしょう。
――自由に生きるための金額に基準や目標はありますか。
幸福についての研究によると、収入や資産が増えれば増えるほど幸福になるわけではありません。「お金の限界効用」が逓減するからで、一定水準を超えると幸福感は変わらなくなることがわかっています。
日本の大学の調査では、その金額は1人あたり年収800万円(子供がいれば世帯収入1500万円)、資産なら持ち家プラス1億円。これは、年収800万円(世帯収入1500万円)あれば世間的に「幸福」とされるたいていのことができるからであり、1億円の金融資産があれば、将来なにがあってもとりあえず大丈夫だと安心できるからでしょう。
少子高齢化がとめどもなく進み、国が1000兆円を超える借金を抱える日本では、人々の最大の不安は、80代、あるいは90代になったときに「国家破産」が起き、年金がもらえなくなって、ホームレスとして公園の炊き出しに並ぶことでしょう。
とはいえ、国家が社会福祉を放棄する事態は考えづらく、年金が減額されたり、保険料の納付期間が延びたり、受給開始年齢が引き上げられたりしても、最悪、現在の3割減くらいで備えておけばいいでしょう。だとしたら、60歳時点で1億円というのは明らかに過大で、年齢とともに消費機会は減っていきますから、使い切れないお金が貯まっていくだけになってしまう。かなり余裕を見ても、5000万円の金融資産があれば十分でしょう。
若いうちは仕事を重視
――人的資本(仕事)と金融資本(投資)のバランスの取り方を教えてください。
若い時は金融資本がほぼゼロですが、大きな人的資本を持っています。日本人の場合、大学卒業から60歳まで働いた場合の平均的な生涯収入は、大卒の男性で3億円、女性でも2億円で、大企業に勤めていればさらに5000万円増えます。これには退職金や定年後再雇用の収入が含まれていませんから、それを加えれば、大学卒業時点で3億~4億円を稼ぐ潜在能力を持っていることになります。日本は「衰退途上国」などと揶揄(やゆ)されますが、それでもとてつもなく恵まれているのです。
しかし、海外にはもっと高収入の国もあります。年収300万円のすし職人が米国に出稼ぎに行ったら、円安の影響もあって年収8000万円になったという報道がありました。これなどは人的資本を効果的に活用した例でしょう。
人的資本はその性質上、年齢とともに減っていって、働けなくなった時点でゼロになります。日本のサラリーマンのいちばんの問題は、定年制度によって60歳で「強制解雇」されることです。人生100年時代だと、定年してから40年もあることになります。
老後問題とは「老後が長すぎる」という問題ですから、その解決策は長く働いて老後を短くすることと、金融資本を上手に運用して人的資本を補うことです。この両輪を活用すれば、老後に必要なお金を無理なく貯められるでしょう。
進むフリーランス化
1990年代の米国では、30~40代でRE(早期リタイア)し、悠々自適に暮らすことが理想とされていましたが、最近はかなり雰囲気が変わってきました。40歳でリタイアしたとして、残りの人生は60年もあります。その間、一体何をするのかという話になります。
現代の市場経済では、最も効果的に自己実現する方法は、働くことです。人とのつながりもできるし、顧客や取引先から感謝されれば自己肯定感も得られる。人的資本はお金を稼ぐ源泉だけでなく、社会的評価を得るための源泉でもあります。
先進国で社会問題になっている「孤独」も、その大きな理由が失業であることがわかってきました。早期リタイアで人的資本をゼロにするのは自ら進んで失業するのと同じで、これではかえって幸福を毀損してしまいます。

――コロナ禍でリモートワークが浸透し、働き方にも変化が出てきました。
米国では2000年前後に、成功したバリキャリの女性が突然、専業主婦になるために会社を辞める「オプトアウト」という現象が起きました。国連や大手弁護士事務所、ウォール街などで活躍していた女性が、自ら選択して労働市場から「脱落」していったのです。
しかし考えてみれば、これは合理的な選択です。有名大学や大学院を出た優秀な女性は夫も高収入であることが多く、既に一生分を稼いでしまった。だとすれば、なぜ子供を犠牲にして、青筋立てて働き続けなくてならないのか、というわけです。
ところが今では、オプトアウトのことなど誰も言わなくなりました。エリート同士のパワーカップルにはフリーランスになるという、より魅力的な選択肢ができたからです。会社に毎日出社しなくても仕事はリモートでできるし、SNS(交流サイト)で評判を獲得すれば、会社の看板も必要なくなる。いつ誰とどのように仕事するかを自分たちで決められれば、子育てと仕事の両立はずっと容易になるでしょう。
私は40歳のときにフリーランスになりましたが、コロナ前は年に3カ月は海外を旅していました。「なぜそんなことができるのか?」とよく聞かれましたが、通勤と会議で無駄にしていた時間を合計すると、サラリーマン時代と同じくらい働いても、3カ月の「休暇」が取れる計算になります。
幸福度の研究では、愛する家族を亡くしたり失恋や離婚で落ち込んだりするより、日々の通勤の方が幸福度を下げるようです。どれほどつらい出来事でも「1回限り」であれば、いずれ幸福度は元に戻ります。それに対し、「終わりの見えない嫌なこと」は、気持ちを切り替えることができないのです。
現代人の最大のストレスは、人間関係を選択できないことです。家族を選べないのは仕方がないとしても、パワハラする上司、足を引っ張る同僚、仕事ができないくせに偉そうなことばかり言う部下と毎日顔を合わせなくてすむだけで、幸福度は劇的に上がります。これが、リスクがあっても先進国でフリーエージェント化が進む理由でしょう。
考え方をポジティブに
――フリーランス以外にも、ジョブ型雇用や副業など様々な働き方も出てきました。

「老後資金2000万円問題」が注目された時に、ツイッターで「65歳から75歳までの10年間、年収200万円で働けば2000万円になる」と投稿したら、ずいぶん怒られたことがあります。「高齢者がそんなに稼げるはずがない」「病気になったらどうするんだ」というのです。しかし、病気になることを前提にネガティブな人生設計をしても、よい結果にはならないでしょう。「働かない理由を探しているだけではないのか」と思いました。
若い人から、「老後に備えて少しでも貯金しなければ」と言われることがありますが、こちらも疑問です。やりたいことを我慢して月1万円を積み立てるよりも、色々な経験をして人的資本を大きくして、資産運用は30代になってから考えても十分間に合うでしょう。
資産運用で失敗する典型は、自分の誤ちを認められず、値下がりした銘柄にさらに投資して、損切りできないまま評価損が膨らむというパターンです。若いうちから色々な経験を通して失敗からの学習を積み重ねておくことは、行動経済学の観点でも重要です。
(取材構成は井沢ひとみ)
[日経マネー2023年1月号の記事を再構成]
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