八神純子さん「世の中と違う動きで自分の新時代築いた」
シンガー・ソングライター
――今は日本と米国をどのくらい行き来されているんですか?

コロナ禍以降は簡単に行き来できなかったこともあり、日本にいる方が多くなってます。以前は1カ月半に1回、名古屋と東京を新幹線で行き来するぐらいの軽い気持ちで往復してたんですけど。今年は3回帰っていますが、最近はサーチャージのせいで運賃の値上がりもすごくて、飛行機にも軽い気持ちで乗れなくなりました。
――燃料高ですよね。米国は物価高もすごいようですが。
向こうでランチを食べようとしても今は全然楽しくなくて、「え、なんでラーメンで3000円も払うわけ?」みたいな。値上げと円安のダブルパンチですよね。
――一方、日本のハンバーガーは値上がりしても150円です。
だからこの円安は、海外から日本に遊びに来てもらうための作戦じゃないかなと思ったり(笑)。以前、投資の専門家に「八神さんは、お金は円とドルのどちらでお持ちですか」と聞かれて、基本的に円ですと答えたら「半々にされた方がいいですよ」と言われたことがあります。最近その意味がよく分かりました(笑)。
――八神さんには名曲がたくさんありますが、今ファンの方が一番支持している曲は何でしょう?
私が活動を再開したのが約10年前なんですけど、当時、業界では昔のヒット曲をリメークするのが主流だったんです。CDが売れなくなってましたからね。ただ私は、休んでいたのにリメークから始めたら八神純子じゃないだろうと。シンガー・ソングライターとして戻るのなら全力で新曲を作り、それを全国のコンサートで発信していくことで、新たな時代が築けると信じてやってきたんですね。
そしたらコンサート会場のアンケートの「今日良かった曲」「また聴きたい曲」は今の曲が上位を占めていて、会場での新譜CDの販売も素晴らしい数字が出るんです。つまり世の中とはちょっと違った動きをしてきた10年だったんですけど、それで自分自身の新しい時代を築けたという感じです。
――最近はコンサートの回数も増え、日本中を飛び回っていらっしゃいますよね。
そうなんです。過去テレビにいっぱい出ていた時期も、コンサートはこんなにやっていなかったんですね。その反省もありました。
昔はほぼ給料制で、就職したような感じ
もう40年くらいたったので言えるんですけど、その頃はヤマハという会社に所属していたので、ほぼお給料制みたいな感じだったんですよ。「ポピュラーソングコンテスト」というアマチュアのコンテストからヤマハに入ったので、ポプコンが就活、ヤマハに就職みたいな感じで。コンサートを何本やってもお給料は変わりませんでした(笑)。まあ「歌が歌えるんなら」ということで、契約の時もほぼ無条件でサインをしましたからね。
でもそれは間違いだったんだって後々気付くんです。それはお金が欲しいというんじゃなくて、あの時、私が声を上げていたら、私に続くアーティストがもっと増えたんじゃないかなって思うんです。米国で暮らし始めたら、考え方も「音楽もビジネス、権利関係を知らないと!」という風に変わりましたので。
――最近の曲は歌詞が昔以上に深く、中年の心にしみます。
「本を読むように私の歌を聴いてください」って言うんですけど、昔の曲よりストーリー性があるので、新曲でも楽しめると思います。今はメロディーの付いた朗読をしているような意識でいますので。
――また八神さんの歌詞は率直で飾らないので聴いていてすっと入ってきます。東日本大震災の時の「翼」でも「がんばれ日本」ですから。あの時は被災地支援ライブと一緒に炊き出しもされてましたね。

私は阪神淡路の震災の時には米国にいたんですけど、歌うために帰国しようかと考えたんです。でも関西のある方に「いや、今は歌を歌うって感じじゃないんだよ」と言われて、やめたんです。それをずっと後悔してたんですね。歌を仕事に選んで、音楽の力なんて言いながら、なぜそのたった一人の言葉でやめてしまったのか。実際はやってみないと分からないじゃないですか。みんな笑顔になるかもしれない。なので東北には迷わずに行きました。
熊本地震の時もすぐに行って歌を届けたんですね。その時は「八神さんの『がんばれ日本』がすごく気になる」という方がいらっしゃいました。「頑張れって言われたくないんだよね」と。でも、私は日本全体に、木々に、海に頑張れっていう意味で歌ったんですと説明したら分かってくださって。だから、迷惑かけるかもと思って行かないのは間違いだったんですね、やっぱり。
毎回、最後のコンサートだと思って歌う
――今回、米国の音楽団体の「女性ソングライターの殿堂」から、日本の女性シンガーとして初めて「殿堂入り」に選ばれました。選考委員にも「あなたはファイヤーボールのような情熱を持って歌っている」と評価されたとか。
私は一本一本、今日が最初で最後のコンサートだと思って歌っています。また「J-LODlive」といって海外に日本の優れたコンテンツを発信するのに補助金を出す経産省の取り組みがあるんですが、スマホで撮影するアーティストもいる中、私は撮影チームを入れて動画を作ったんですね。そういう積み重ねが受賞につながったというのがとてもうれしくて。
推薦してくださったのは日本のポップス研究のために東大に来られていたこともあるヘルシンキの大学の教授でしたが、この方は私の最新作の「TERRA」までご存じでした。これは、今は地球上のみんなが手をつながなければ乗り越えられない問題ばかりですから、目を背けないで、諦めないで、という気持ちで作った曲で、11分以上ある長い曲です。
――問題は多いけれども、まだ間に合うんだと。

逆に、間に合わないと思ったらTERRA(地球)は終わってしまいますから。この地球を守ることにしても、私たちは責任が重い世代ですよね。パンデミックの問題にしても、何かが私たちに「これでもか、これでも分かんないのか」って言っているような気がします。私は無宗教ですが、自然界から感じるメッセージには敏感でいたいと思います。
――今年は世界中で水害と干ばつが起こり、食糧危機も起きそうなのに、まだ気付かずに戦争なんかしているのかということですね。
この間、四十数年ぶりに屋久島に行ったんですよ。屋久島の森では大きなサルノコシカケが倒木を土に変えていたり、猿が木から落としたものを鹿が食べていたりで、一つの命の輪ができていました。それを見て感動すると同時に、なぜ私たちはそれを壊してしまったのだろうと思いながら帰ってきたんですけどね。
――ところで八神さんは声が昔と変わらないのもすごいと思いますが、何か秘訣があるのでしょうか。
薬とか健康法のような話は全くなくて、やっぱり私は体が楽器なので、同じ音を鳴らすためには体の中でやることを変えないといけないんです。使う筋肉を昔より多くするとか、響かせる場所を替えるとか。それで体中の筋肉をうまく使うことを覚えました。口の中の音の響きでも、英語の母音を取り入れるとうまく声を響かせることができたりとかね。なので、歌っている時の私の頭の中はすごく忙しいです(笑)。
――2018年の「ヤガ祭り」では、終演後の会場音楽に合わせてまたお歌いになってましたよね。
ヤガ祭りは私が歌いたい曲を歌いたいだけ歌うというライブで、4時間近く歌ったりするんですけど、あの時は「まだ歌い足りないなー」と思って(笑)。やっぱり歌が好きでしょうがないんですね。で、聴いてくれた皆さんが元気になると、うれしいからまた元気になって、もっと歌いたくなってしまうという(笑)。

日本の問題を解決する突破口は「食」
――日本の未来について、何か元気が出そうな話はあるでしょうか。
それが、こんなに素晴らしい国なのに、向こうにいると「なんか中国や韓国に追い越されたよ」と、日本の時代が終わってしまったかのように伝わってくるんですよ。それはとても残念なので、もう少しプレゼンテーションやアピールすることに貪欲さがあってもいいのではないかなと思います。
そういう状況にうまく働きかけられるものの一つに、日本の「食」があると思います。日本はとにかく食べ物がおいしい。東北の支援でも多くのシェフと一緒に炊き出しライブをやったのですが、彼らは世界にはばたき、頑張っているんですね。また本当においしいものを前にすると、人の心は平和になれたり、やさしくなれたりします。ですから多分、「食」は日本の強みとして、人と人をつなぐなど色々なことへの突破口になっていくような気がするんですね。

私も本当に微力ですけど野菜の生産者の人たちを呼んだディナーショーや、水産業の応援をやらせていただいているんです。先日は焼津の水産高校が100周年を迎えるというので歌を届けに行きました。「出演料はいかほどで……」とおっしゃるので、「あ、私はボランティアなので、そう言っていただけるのならおいしいマグロをご馳走してください」と言って、マグロで手を打ってね(笑)。
――八神さんから食の話が出るとは思いませんでした。でも食は大事ですよね、日本人ならお米とか。
昔、飛脚がおにぎりを腰にぶら下げて東海道を走ったでしょう。今お米は炭水化物で悪者にされてますけど、昔の写真で飛脚の筋肉や米俵を担ぐ女性を見たら、お米ってすごい食べ物でやっぱり力の源なんだなって思いますよ。
――最後に11月26日・渋谷Bunkamuraオーチャードホールでの「ヤガ祭りthe 4th」への意気込みをお聞かせください(編集部注・インタビューは22年10月中旬に実施)。
これは私のわがままでスタッフに迷惑をかけるコンサートで、たった1日のためにバンドは何十曲も練習しなければなりません。照明さんもサウンドの方も同じで、採算を合わせるのも大変。だけど、年に一度「歌いたい歌を歌いたいだけ歌わせて」っていうコンサートなので、今回も曲数はかなりそろえました。今まで歌いたくても歌えなかった曲や懐かしい曲、今の私の一番強い思いを届ける曲、新曲もずらりと入れるという、そういうコンサートになってます。どうぞお楽しみに。
(撮影 / 大沼正彦 取材・文 / 大口克人)
[日経マネー2023年1月号の記事を再構成]
1958年、名古屋市生まれ。74年、高校在学中に第8回ヤマハポプコンに出場、「雨の日のひとりごと」で優秀曲賞を受賞。78年「思い出は美しすぎて」でデビュー。「みずいろの雨」「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」等ヒット曲多数。87年、ロサンゼルスに移住。2000年に日本でのコンサートを一時中断するが11年に再開、現在も精力的に全国各地を回る。最新アルバム「TERRA -here we will stay」も絶賛販売中。
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