雇用統計、FRBも市場も適度な悪化期待 過度の好転は懸念
ニューヨーク株式市場は、米連邦準備理事会(FRB)に「三つのP」を期待している。いずれも株と円は反騰のシナリオだ。
まず、Pivot. 直訳すれば旋回。ここでは金融政策の緩和への転換を意味する。FRBインフレ退治策の副作用として起こり得る経済減速・不況入りで、2023年中には利下げ、あるいは量的な金融引き締め(QT)減額に追い込まれるとの見立てだ。
次に、Pause. 利上げの一時停止。3回連続で0.75%利上げの劇薬を接種したうえで、11月、12月で計1.25%の利上げをすることで年末政策金利水準は4.4%~4.6%に達することを米連邦公開市場委員会(FOMC)参加者19人のうちで17人が予測している。この荒療治が果たして効いているのか。金融政策効果にはラグがある。それゆえ利上げを一時停止して、効果を点検すべきだとの見解が民間には根強い。
そして、Put. ここでは株価下落をヘッジするプット・オプションを意味する。金融超緩和時代には、景況感悪化・株価暴落など市場が危機的状態になる可能性が強まれば、FRBのパウエル議長が助け舟を出してくれた。それを市場ではパウエル・プットと命名した。ジャクソンホールでのパウエル氏強弁により、もはや「困ったときのパウエル頼み」は望めぬと市場も諦めていた。そこに英イングランド銀行(中央銀行)が利上げを維持しつつ、時限措置ながら量的緩和を再開という矛盾した金融政策ポリシー・ミックスを強いられる衝撃の一件が突如起きた。
オーストラリア準備銀行(中銀)の0.5%幅利上げは必至と見られていたが、0.25%幅に縮小との事例も、いざとなれば、副作用を回避するため中央銀行は引き締めに手心を加えるとの期待を生んだ。その矢先に、金融大手クレディ・スイスの財務不安を英フィナンシャル・タイムズ(FT)が報じ、英国年金危機の可能性も論じられ、市場の不安心理が高まった。
米国内でもQTの副作用として短期金融市場が逼迫するリスクが指摘され始めた。2019年に、国債を担保にお金を調達する「レポ取引」の市場で資金需給が逼迫し、金利が急騰。これを受けて、FRBがレポ市場への臨時資金供給を実施した事例が想起されたのだ。かくして、クレジット・イベント・リスクが生じれば、FRBが時限措置ながらも緩和再開に追い込まれる可能性がputという単語には込められているのだ。
ホワイト・アウト(白い闇)に近い視界不良のなかで、すがる気持ちで、市場はFRBからの救いの手を期待している。
しかし6日に、FRB高官が相次いで、その可能性を否定した。
まず、カシュカリ・ミネアポリス連銀総裁が「インフレが確実にピークアウトして、願わくは下落するまで、私はpauseを宣言するつもりはない」と断言した。
さらに、ボスティック・アトランタ連銀総裁も「市場に23年には利下げとの強い観測があることは承知しているが、私は、早まるな、と言いたい。緩和への転換は論外」と、にべもなく市場の期待を切り捨てた。
同氏は、1960年代後半から70年代にかけて、FRBが「ストップ&ゴー」すなわち、インフレ退治のための引き締めで失業率が高まり、突然方向転換して、早まった緩和に動き、結局、インフレが長期化してしまった事例を挙げた。その後始末のため、80年代初期に当時のボルカーFRB議長が強力な引き締めを行い、米経済は不況に突入した。この一連のFRBの過ちを繰り返してはならない。「FRBは失業が増えても、インフレ退治路線からの転換の誘惑に抵抗せねばならない」とも述べた。
この発言は、パウエル議長の「ボルカー氏が引き起こした非常に高い社会的コストのたぐいを我々は回避できる」との発言を踏襲したものだ。
パウエル議長は、失業率が予想より上振れしても、物価安定のほうを重視する、と明言している。インフレ・マインドが民間で当たり前になることを最も恐れていることも語ってきた。そこまで浸潤すると、その国民心理を除去するために、想定外の時間を要する結果になるからだ。
このような背景があるからこそ、今晩発表される雇用統計にはいつになく注目が集まる。さらに13日発表される米消費者物価指数(CPI)も重要視される。
雇用統計は、結果がよければよいほど、市場のFRB利上げに対する警戒感は強まる。ほどほどの数字が並べば「米国経済軟着陸」の期待が高まる。具体的には、バイデン大統領は、月次の新規雇用者増加数は15万人程度が望ましいとウォール・ストリート・ジャーナルへの「私のインフレ退治策」と題する寄稿文で明示している。今晩の雇用統計の事前予測は25万人程度だ。
とはいえ、中間選挙を控えた大統領が、雇用の増加をインフレ退治優先とはいえ、「労働市場の過熱」と国民に言えるだろうか。失業率もFRBは、9月発表の経済見通しで今年末3.8%、2023年は4.4%と、先月雇用統計の3.7%からの上昇を予測している。今回の雇用統計は、ほぼ同率が事前予測されている。
果たして、今後の失業率悪化をインフレ退治策とする経済政策で選挙に勝てるものか。政治と経済のロジックのはざまで現米国政権は袋小路に追い詰められている。政治的独立が保障されているはずのFRBにしても、中間選挙の前の11月1~2日にFOMCを開催するので、何らかの判断を迫られる。
なお、FRB批判の先鋒(せんぽう)に立つサマーズ元米財務長官は、インフレを抑え込むには、5%以上の失業率が5年続くことが必要とまで論じている。
かくして、アカデミックな議論が飛び交うなかで、市場は雇用統計の判定基準も定まらず、政治的要因も読み切れず、揺れている。

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