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ESG重視のVCファンド設立 翻訳家・関美和さんの挑戦

翻訳家、Mパワー・パートナーズ・ファンド ゼネラルパートナー 関美和さん

――ビジネス・経済ジャンルを中心に翻訳を手掛け、ベストセラーを世に送り出してきた関美和さん。5月にESG重視型のグローバル・ベンチャーキャピタル・ファンド「Mパワー・パートナーズ・ファンド」を設立、運用を開始しました。新たな挑戦のきっかけは。

Mパワー・パートナーズの共同創設者であり、長年の友人である元ゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー・松井さん、元OECD(経済協力開発機構)東京センター所長の村上由美子さんと、「社会にインパクトを与えるファンドをつくろう」と意気投合したことが始まりです。

私たちは3人とも、1965年2月生まれ。米ハーバード大学で学び、国内外で長く金融機関に勤めてきたという共通点もあり、毎年一緒に誕生会を開くなど親しくしてきました。50歳を迎える頃から、「いつか社会にインパクトを与える仕事を一緒にやろう」と話すようになり、数年前から準備を進めてきました。2020年末にキャシーさんがゴールドマンを退職、村上さんもOECDの仕事に区切りをつけ、今年5月に会社を立ち上げました。

Mパワー・パートナーズ・ファンドを共同設立した元ゴールドマン・サックス証券副会長兼チーフ日本株ストラテジストのキャシー・松井氏(中央)、元OECD東京センター所長の村上由美子氏(右)と。ESG重視のベンチャーキャピタルとして、高い成長性を見込むスタートアップに投資する

――翻訳家になる前は、外資系金融機関でファンド運用やアナリストとして活躍してきました。その経験を起業家支援に生かしたいとの思いがあったのでしょうか。

そうですね。07年に米投資顧問クレイ・フィンレイ東京支店長の職を辞してから十数年、翻訳の仕事が忙しかったこともあり金融から離れていましたが、有望なスタートアップへの投資を手掛けたいという思いは長く温めてきました。

仲間がいなければエンジェル投資家として、社会課題解決に取り組もうとする起業家をシードステージから支援したいと考えていましたが、縁あって仲間たちと一緒に立ち上げたVC(ベンチャーキャピタル)ファンドを通じて、その夢が動き出したことをうれしく思っています。

――ファンド総額は1億5000万ドル(約160億円)。SOMPOホールディングス、第一生命保険、三井住友トラスト・ホールディングスなどの大手企業から出資を受けています。国内外のスタートアップに投資するそうですが、重視するポイントは。

テクノロジーを用いて社会課題を解決しようとするスタートアップに投資します。重点分野はヘルスケア・ウエルネス、新しい働き方、教育にデジタル技術を活用するエドテック、環境、共有経済や循環経済など新しい消費のあり方、フィンテックや金融包摂などです。いずれも社会課題を解決する可能性がある事業分野であり、大きなビジネスチャンスがあると考えています。こうした分野で新しいビジネスモデルを手掛けるスタートアップに投資することでリターンを最大化し、かつ社会をいい方向に動かすことを目指しています。

――ファンドの特徴として、ESG(環境・社会・企業統治)重視も明確に打ち出しています。

企業が持続的に成長し、社会にインパクトを与え続けるには、ESGを戦略に組み入れることが欠かせないと思いますし、スタートアップも例外ではありません。

むしろ成長ステージにあるスタートアップや、これから上場を目指すといった段階からESGを実装することが、企業の長期的な成長戦略としてとても重要です。経営層や取締役会のダイバーシティー(多様性)をどう担保するか、従業員のウエルネスをどう実現するかといったことについての対話や助言を通じて、戦略的なESGの実装を促していきたいと考えています。

――スタートアップ段階からESG戦略を重視することは欧米では既に一般的なのでしょうか。

ESG投資が根付いた欧州では広がってきていますし、米国でも近年、大手の機関投資家がベンチャー企業に投資するようになったことで、徐々に浸透してきています。これからは、いや応なく全世界に広がっていくと思います。

――金融庁によると、19年時点の米国のVC投資額は日本の約52倍。日米のベンチャー企業を取り巻く環境には依然大きな開きがあります。

そうですね。米国の方が日本よりVC市場が圧倒的に大きく、シードやアーリーといった早期ステージから上場前のレイトステージまで、幅広いステージに資金が行き渡っています。資金量がまだ少ない日本では、多くの企業が早い段階で上場して資金調達をするので、どうしても企業規模が小粒になる。そうした環境もあり、日本のスタートアップはなかなか規模拡大ができず、世界的なサービス展開にも成功していません。

今後日本でもVC市場が拡大し、グロースステージの企業に向かう資金量が増えてくれば、ある程度の規模に成長してから上場するという選択肢を多くの企業が持てるようになります。有望な日本のスタートアップに潤沢な資金が集まり、事業のインパクトも投資リターンも大きく育つ仕組みづくりに貢献できればと思います。

――ご自身は米モルガン・スタンレーやクレイ・フィンレイで、資金調達やM&A(合併・買収)リサーチ、株式アナリストやファンドマネジャーなど、幅広い業務を手掛けてきました。日本株の運用もしていたそうですね。

クレイ・フィンレイに勤務していた1997年から退職するまでの約10年間、日本株の運用を手掛けていました。日本株が低迷していた時期でしたが、中長期で成長を遂げる銘柄への集中投資で好パフォーマンスを上げることができました。とは言え、運用手腕に自信があったわけではなく、「運が良かっただけ」と感じていました。

その後翻訳を手掛けるようになり、ハーバード・ビジネス・スクールのファイナンスの教授の本を訳していたら、「ファンドの好パフォーマンスの要因は、まぐれであることが珍しくない」と書いてある。私だけじゃないんだ、と納得しましたね(笑)。

――退社後、08年に翻訳家として独立。経済・金融分野の知見を生かし、ピーター・ティールやベン・ホロウイッツなど、米国で新時代を築いてきた起業家の著書も多数手掛けてきました。多くの翻訳のオファーが来ると思いますが、手掛けるタイトルはどんな視点で選んでいますか?

実は、あまり仕事を選んでいません。オファーが来たものを順番に受けて、順番に仕上げてきました。十数年、依頼が来た仕事をひたすらこなしてきたら、いつの間にか50冊になっていたという感じです。

さすがに今はMパワー・パートナーズの立ち上げで忙しくなり、自分で仕事を選んでいかないと、と思うようになりましたが(苦笑)。

――19年に出版した上杉周作さんとの共訳本『ファクトフルネス』は、100万部超の大ヒットとなりました。スウェーデンの医師、ハンス・ロスリング氏とその息子らが著した作品で、思い込みや無意識の偏見を捨て、データや事実に基づき世界を捉えることの大切さについて説いています。

原作を読み、素晴らしい作品だと感銘を受けました。でも、いい本だから売れるとは限りませんし、300ページを超える分厚い本でもあったので、100万部達成はうれしいサプライズでした。多くの人に手に取ってもらえたこと、そして、「事実に基づく世界の見方」の大切さを知ってもらうことができたことは、翻訳者としてとても幸せなことだと感じています。

――翻訳に当たって意識していることは。

一人称や人称代名詞の使い方から時制まで、英語と日本語は異なる点が多いので、言葉を置き換えるというより、原作を読んだ時に頭の中に浮かんできた視覚的な印象を日本語で表現することを意識しています。

加えて、著者が作品で語っていることを最初から日本語で言うとしたら、どう表現したらいいかも考えます。著者が伝えたいことを自然な日本語のリズムで読者に届けることを大切にしています。

――VCや翻訳の仕事に加え、杏林大学外国語学部の特任准教授や教育機会が乏しいアジアの発展途上国の女性のためのアジア女子大学(AUW)の支援団体の理事を務めるなど、次世代育成にも尽力しています。

若い世代との交流は大きな財産で、学生たちから日々、たくさんのことを教えてもらっています。日本の学生は真面目で気遣いにあふれ、AUWの学生はものすごくハングリーで向学心があって、必死に勉強しています。それぞれが置かれた環境の中で、より良い未来のために前向きに頑張っている。素晴らしいと思います。

貧富の差や男女格差など、世界には多くの問題が山積していますが、30年、50年と長い目で見れば、社会は確かに良い方向に変化しています。「なかなか変わらない」と嘆いているだけでは何のインパクトも生み出せません。大切なのは、足元で少しずつ起きている「いい変化」に自分がどう関わり、どう貢献していくか。私はこれからも、自分が持っているリソースを様々な形で、より良き社会の実現のために使っていきたいと思います。

(撮影/工藤朋子 取材・文/佐藤珠希)

[日経マネー2021年9月号の記事を再構成]

関美和(せき・みわ)
慶応大学卒業後、電通、スミス・バーニーを経て米ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経てクレイ・フィンレイ東京支店長を務める。退職後は翻訳家として活躍。100万部を突破した『FACTFULNESS』など多くのヒット書籍の翻訳を手掛ける。21年5月に元ゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー・松井氏らとグローバル・ベンチャーキャピタル・ファンド「MPower Partners Fund L.P.」を共同で設立しゼネラルパートナーに就任。杏林大学特任准教授も務める。
ビジネスや経済ジャンルを中心に約50冊の翻訳を手掛ける。『FACTFULNESS』(日経BP)は108万部、『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ダイヤモンド社)は21万部のベストセラーに。

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