安倍氏県民葬 昭恵夫人「豊かな67年の人生」「長期政権地元の支え」
安倍晋三元首相の山口県民葬が15日、同県下関市内の県国際総合センター「海峡メッセ下関」で開かれた。地元の後援者らおよそ2000人が参列した。100人程度の国会議員が出席し、安倍氏が会長を務めた自民党安倍派(清和政策研究会)の議員は80人ほどが集まった。

遺族を代表して喪主の昭恵夫人があいさつした。昭恵氏は「素晴らしい方々との多くの出会いがあり、支えられ、大好きな日本のために大きな仕事をさせていただいた。豊かな67年の人生だったと私は思う」と述べた。
「首相を務めることができたのも地元で支えていただいた皆さまのおかげだ」と語った。細田博之衆院議長や村岡嗣政山口県知事らが追悼の辞を読んだ。米国や韓国、台湾といった海外からの参加者もいた。
安倍派の塩谷立会長代理は県民葬後、記者団に「一致結束して安倍会長の遺志をつぎ日本の政治に貢献していきたい。岸田政権を支える」と話した。
山口県などは県内に会場を設け、一般の献花を受け付けた。県によると1万人超が献花に訪れた。県選出で首相経験者の佐藤栄作氏や岸信介氏、安倍氏の父で元外相の晋太郎氏らが死去した際、県民葬が実施された。
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昭恵夫人のあいさつの要旨
7月8日にあのよう形で命を絶ち、きょうでちょうど百か日を迎えた。先日は日本武道館で立派な国葬儀を挙行していただき、だんだんと私も実感がわいてきて、本当にいなくなってしまったんだなとさみしさが増していく日々だ。
1991年、主人の父・安倍晋太郎は膵臓(すいぞう)がんのために「首相目前」と言われながら亡くなった。主人と同じ67歳だった。秘書をしていた主人はおそらく誰よりも無念さを感じていたことと思う。その後、父の遺志を継いで政治家になる決意をして下関に帰ってきた。
主人を支えてくださったのは地元の皆さまだった。ことあるごとに主人は「東京で安心して仕事ができるのは地元で支えてくださる皆さまがいらっしゃるからだ」と口にしていた。
2007年、第1次政権を病気のために辞任することになったときは「突然首相を投げ出した無責任な男だ」と大変な非難をあびることになった。09年、自民党にとって大変厳しい選挙だったが今までにないような得票率で主人は当選した。
そのとき主人は「再び地元の皆さまに政治家として命を吹き込んでいただいた」と言っていた。そのあと7年8カ月、首相を務めることができたのも地元で支えていただいた皆さまのおかげということを主人にかわり厚くお礼を申し上げる。
本当に素晴らしい方々との多くの出会いがあり、多くの方に支えられ、大好きな日本のために大きな仕事をさせていただいた。豊かな67年の人生だったと私は思っている。
主人が愛した山口県、私も本当に大好きで私も地域のためにこれからなにかしら活動していきたい。これが最後なのかなと思って私は県民葬が終わると気が抜けてしまうのではないかと思う。本当にこのように立派にお見送りしていただいたことに改めて主人にかわりお礼させていただく。