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議会史に残る追悼演説 選挙区のライバルも登壇

政界Zoom

現職の国会議員が亡くなると、演説で追悼・哀悼の意を表することが国会の慣例として続いてきた。秋の臨時国会で7月の参院選の選挙期間中に銃撃され死去した安倍晋三元首相の追悼演説を予定する。過去の例をみると、議会史に残る名スピーチも少なくない。(一部の肩書は当時)

演説は衆院は「追悼演説」、参院は「哀悼演説」と呼ぶ。本会議場の傍聴席に遺族を招き、故人の生前の功績や人物像を紹介する。国会全体で追悼するムードが広がる。

演説とは別に衆参両院の議長による「弔詞」もある。安倍氏への弔詞は参院選後の8月の臨時国会ですでに両院の議長が読んだ。

池田氏「好敵手」

1960年10月。社会党の浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂(東京・千代田)で演説中、少年に刃物で刺されて死亡した。衆院選が間近という政治情勢のなかでの事件で、日本中が衝撃を受けた。

浅沼氏の追悼演説に臨んだのが池田勇人首相だった。60年は前の首相の岸信介氏が主導した日米安保条約の改定を巡り自民党と社会党が激しく対立した。

池田内閣は「寛容と忍耐」を掲げたが、当時は資本主義か社会主義かというイデオロギーの対立が国会論戦にも色濃く反映した時代だった。

池田氏は浅沼氏を「好敵手」と呼び、浅沼氏がいない衆院本会議場で「私は誰に向かって論争を挑めばよいのでありましょうか」と急逝を悼んだ。

暴力に反対する姿勢も強調した。「私は目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬ」と誓った。

池田氏は演説の後半に、浅沼氏の友人が歌ったという歌を紹介した。浅沼氏が演説のため「きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺」と各地を東奔西走したという内容だった。

浅沼氏が東京の下町のアパートに住み愛犬の散歩が楽しみだったことなど本人の人となりも紹介した。自民党総裁という保守勢力のトップである池田氏が浅沼氏の学生時代からの社会主義運動の半生を振り返るのも追悼演説ならではだった。

与野党の垣根を越えた演説はほかにもある。小渕恵三前首相が2000年5月に62歳の若さで死去した。社民党の村山富市元首相が追悼演説に立った。

自社さ連立政権の枠組みで村山氏は首相に就任したが、小渕内閣のときの社民党は野党だった。同党は安全保障政策や国旗・国歌法などを巡り政権を厳しく批判した。それでも両氏の個人的な人間関係は続いていた。

村山氏は小渕氏による沖縄サミットの開催決定の実績を評価した。小渕氏が沖縄に熱い思いを持っていたと述べ「沖縄サミットだけは君の手で完結させてほしかった。悔やんでも悔やみ切れない」と早い死を悼んだ。

小渕氏が映画「男はつらいよ」のファンクラブ第1号を自慢していたなどこぼれ話もあった。村山氏の夫人の健康を心配してカーディガンを届けてくれたと披露。「人柄の小渕」「気配りの小渕」といわれた一面を紹介した。

尾辻氏は3回

参院の哀悼演説はいま参院議長を務める尾辻秀久氏がこれまで3回している。すべて非自民の議員への演説だった。

07年12月に58歳で亡くなった民主党の山本孝史参院議員への演説が有名だ。山本氏はがんを患いながら議員活動を続けてきた。

尾辻氏も山本氏も社会保障分野の専門家として知られる。尾辻氏は厚生労働相の在職時に山本氏と委員会などで論戦を交わしたことを回想した。

ときに委員会の質疑は「一対一の真剣勝負」だった。官僚が作成した答弁書を尾辻氏が読んだら山本氏は反発したという。

尾辻氏は「私の思いを率直にお答えいたしますと、幼稚な答えにも相づちを打ってくださいました。(山本)先生から、自分の言葉で自分の考えを誠実に説明する大切さを教えていただきました」と強調した。

永田町の関係者の記憶に特に残るのが演説の終盤の尾辻氏の語りかけだった。「先生、今日は外は雪です。随分やせておられましたから、寒くありませんか」

11年11月に現職の参院議長のまま亡くなった西岡武夫氏への演説は当時副議長の尾辻氏が担った。西岡氏が同年の東京電力福島第1原子力発電所事故の直後に菅直人首相のいる官邸に乗り込もうとした秘話などを明かした。

20年に新型コロナウイルスに感染し死去した羽田雄一郎元国土交通相への演説も尾辻氏が務めた。「先生はただただ平和を願っておられました」「さようならとは言いません。またお会いしましょう」と訴えた。

かつて衆院の選挙制度は中選挙区制で、自民党は複数の候補を擁立した。同じ政党でも議員同士が激しいライバル関係にあったといわれる。以前に中選挙区で戦った相手を追悼した例もあった。

船田元・元経済企画庁長官は1995年に渡辺美智雄元副総理へ追悼の辞を送った。両氏は旧栃木1区でしのぎを削ってきた。

船田氏は「一度は渡辺先生に総理大臣をやらせたかったと思う国民は決して少なくなかった」「同じ選挙区で戦ってきた私が胸をかりるようなつもりでいた」としのんだ。

記者の目 変容が与野党関係を反映

安倍晋三元首相の追悼演説を誰がするかまだ公表されていない。27日に開く安倍氏の国葬はそれ自体が政治テーマになり、党派を超えて広く追悼しようとする雰囲気は乏しい。

浅沼稲次郎氏や小渕恵三氏への追悼演説は与野党が立場を超えて国会一体で弔意を示した例といえる。特に池田勇人氏の演説は政治的には対立しても、議会制民主主義や言論の自由を守るという点で国会としての決意表明の場にもなった。

尾辻秀久氏の演説のように参院には党派に関係なく故人を哀悼する慣例が残る。衆院ではあまりみられなくなった。同じ党の深く知る仲間をしのびたい心情は理解できるが、与野党が均衡点を探る能力が衆院で劣化したあらわれなのかとも感じる。(尾方亮太)

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