事故で車いす、再エネ法務の道貫く
西村あさひ法律事務所弁護士・曽我美紀子さん(折れないキャリア)
国内最大手の法律事務所で経営にも携わるパートナー弁護士であり、再生エネルギー関連の大型資金調達向け法務では第一人者だ。その弁護士としてのキャリアの半分は、車いすとともに送ってきた。
幼少期から左足などに血管奇形の持病があった。大学生からはつえを使う。資格職で転勤がない弁護士を目指し、2001年に資格を取った。
米国留学の後、みずほ銀行に出向した。法務部ではなく異例にも営業部で「夜の接待も含めて顧客と対峙した」。事務所に戻った後は深夜まで多くの若手同様に激務をこなした。
仕事が多忙を極めるなかで10年6月に出産。11年1月に復職した。「女性のパートナーはまだ少数だったが、昇格候補として名前が挙がっていた」。顧客や案件の新規開拓も含めて自らの責任と裁量で動けるようになるパートナーへの昇格は、大きな目標だった。

復職して1カ月後には、公務員の夫と家事や育児をやりくりして「出産前の9割近い働きはできる」と手ごたえを感じていた。だが仮眠していたホテルから朝方自宅へ帰ろうと乗っていたタクシーが凍結した路面で事故を起こす。大腿骨が折れたが持病のため手術ができず、7カ月にわたる入院を余儀なくされた。
3月に起きた東日本大震災で世の中は混乱し、0歳の子供とも会えない日々。「昇格どころか、もう一線では無理かもしれない」と意気消沈した。パートナーになり得意分野を広げたい希望もあったが、車いす生活になり、痛みや体力低下、移動や出張の制約を考えると難しくなった。
だが諦めずに業務の「選択と集中」でチャンスをつかみ取る。12年夏、経験のあった再エネ向け法務の論文を専門誌に投稿したのを皮切りに、当時の新規立法による再エネブームを追い風に依頼が増えた。銀行時代に培った人脈も生かせた。まだ手掛ける弁護士が少なかった分野に特化して実績を積み、事務所の看板分野の一つに育った。
今も骨は折れたままで「不便はあるが、工夫すればなんとかなる」と朗らか。最近は弁護士が専門知識を生かして社会貢献するプロボノ活動や、多様性推進の取り組みをリードする。周囲の理解や支えは大きい。「今度は自分が支える側に」との思いを強くしている。
(聞き手は児玉小百合)
[日本経済新聞朝刊2022年10月31日付]
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