世界大会進出、職人2人の競演 千葉のピッツァが熱い
イタリア美味の裏側(22)イタリア食文化文筆・翻訳家 中村浩子

日本のピッツァ職人の仕事は過酷だ。ピッツァは、小麦粉・水・塩・酵母による生地づくり→発酵・熟成→形成→焼成というプロセスから成る。客の多いランチに合わせて、生地の発酵が最適になるよう時間を逆算するため、仕込みはディナーが最も忙しい時間か、閉店後から深夜になることもある。ディナーがメインであるイタリアのピッツェリアでは、午前中に生地を仕込めばよいところと大きく違う。
にもかかわらず、日本ではピッツァ職人に対して、リストランテのシェフほどの敬意が払われない気がするのはなぜだろう。日本に最初に入ってきたピッツァが米国経由の「ピザ」で、大量生産品や冷凍品のイメージがついてしまったからだろうか。
今回は、「真のナポリピッツァ協会」(本部ナポリ)から店が認定を受け、ナポリピッツァ職人世界大会(通称「カプート杯」)の日本大会で優勝した千葉県のピッツァイオーロ(ピッツァ職人)2人とその店を紹介しよう。

1店目は、千葉県柏市の「ピッツェリア ティンタレッラ」(以下、ティンタレッラ)。同店の代表でピッツァイオーロの遠藤秀雄さんは、調理師学校卒業後、6年間の都内一流ホテル勤務を経て、「ナプレ(現在のナプレ南青山本店)」で食べたピッツァ・マルゲリータに衝撃を受け、ピッツァイオーロを志した。
「それまでピッツァ生地をまじまじと見たりすることはなかったんですが、そのときは、これはどういう生地なんだとひと口食べては観察することを何度もくり返しました」。その後、イタリア中部の料理学院で学び、帰国後しばらくして念願の「ナプレ」に職を得た。

遠藤さんはナポリピッツァひと筋。2016年に店をオープンさせた翌年、本物のナポリピッツァの規定を定める「真のナポリピッツァ協会」の厳しい試験合格ののち、同協会から認定を受けた。そして、7回目の挑戦の末、22年の第7回カプート杯クラシカ部門で優勝。23年のナポリでの世界大会での出場権を得た。「ピッツァづくりにルールがあるからこそ、自分を出せると思っています。目先を変化させたピッツァより、伝統的なナポリピッツァをお客様にぶつけたいんです。ピッツァが生まれ、発展したのは、飢えや戦争などの背景をもつナポリこそだからです」

ピッツァは、ナポリ近郊のカゼルタ産水牛モッツァレッラを使ったブッファリーナほか、60種類以上。小麦粉はカプート社の「サッコブルー(青袋)」がベースで、塩は海塩、発酵・熟成は10~12時間。ホールトマトはポンペイ遺跡の近くのサン・マルツァーノ種。ナポリのピッツァ窯職人御三家の一人、ステファノ・フェラーラ氏の石窯で、薪は脂分の少ないナラやブナを使用し、炉床温度400~450度で焼き上げる。
冬野菜がとれるピッツァ2種類をいただいた。「ブラッチョ・ディ・フェッロ(意味は鉄腕)」(N=ノルマーレ=約30センチ 2640円、P=ピッコラ=約17センチ 2150円)というホウレンソウのペーストとサラミのピッツァ。ペーストにはリコッタとペコリーノ(チーズ)を混ぜ、栄養的にも申し分がない。

もう一つは、「サルシッチャ(生ソーセージ)・エ・フリアリエッリ」(N 2640円、P 2150円)。フリアリエッリはナポリの冬野菜で、近年、日本でも栽培農家が増えてきた、苦味のある野菜だ。自家製生ソーセージは、余計な部位が混ざらないように豚の腕肉を塊で買い、塩漬けしてからひき肉にしている。
日本のピッツァ職人の仕事が過酷であるもう一つの理由は、イタリアよりも豊富な前菜やドルチェを用意し、提供するためである。遠藤さんとスタッフが作る前菜は、カリフラワー、ケッパーなどを中に入れて巻いた冷菜「キャベツのインヴォルティーニ」(990円)、ナポリの肉料理「カルネ・ジェノヴェーゼ」(1980円)、詰め物をした「玉ネギのリピエーノ」(1210円)、「バッカラ(干し鱈)とスカローラ(野菜)」(1650円)など。ドルチェの「ババ」(660円)で締めれば、ナポリ気分も上がる。

さて、もう一店は千葉市のJR総武本線稲毛駅からほど近い「ペルテ」。代表でピッツァイオーロの鈴川充高さんは、18年、カプート杯STG部門で優勝歴がある。19年にオープンした店は、フランスのグルメガイド「ゴ・エ・ミヨ2022」でポップ部門に選出された。店はあえてピッツェリアと名乗らず、唯一の本店を意味するウニカ・セーデと謳っている。
鈴川さんは料理学校でフランス料理を学んだあと、イタリア料理店「マンジャペッシェ」(現在は閉店)で働いた。「正直なところ、フランス料理より楽だなという甘い考えでした」と鈴川さんは苦笑する。そんな20歳の鈴川さんを病が襲う。悪性腫瘍だった。半年の余命宣告を受けたが、3回の手術と新薬による治験が効いて命をとりとめた。

飲食業の立ち仕事は難しいと医師から言われたにもかかわらず、鈴川さんは青山のカラブリア料理店で働きはじめた。そこで出合ったのがピッツァの薪窯だ。そして、店のイタリア人に連れていってもらったのが、名店「SAVOY(サヴォイ、当時は東京・目黒)」。「そのピッツァがナポリ風とは知らずに食べました。生地の食感、トマトソースとモッツァレッラのバランス、サイズ感。どれをとっても群を抜いていました」。ピッツァを作りたい――。そのとき、鈴川さんは心を決めたのだった。
それから数年後、鈴川さんは「ピッツェリア パルテノペ 広尾店」(現在は閉店)で働くことになった。同店のスタッフは、ナポリ近郊のイスキア島の「ダ・ガエターノ」で研修を受ける。「ダ・ガエターノではとにかく量に圧倒されました。一枚300グラムのピッツァを1日1000~1500枚も、焼いていたんです」

順風満帆なピッツァ職人人生に普通なら満足しそうなものだが、そこで終わらないのが鈴川さんである。次に勤めた箱根のホテルのレストラン&ベーカリーで、薪窯で焼くパンにがぜん興味が湧いた。「数百年の歴史のピッツァに比べて、パンの歴史は数千年。パンには最先端の技術が詰まっているし、それをピッツァに生かせないかという気持ちもありました」
何の当てもなくお店を辞め、バックパッカーになってフランスのリヨン入り。偶然にもオーナー夫人が日本人だったベーカリーと知り合い、1年間パンを薪窯で焼き続けた。帰国後、共同で立ち上げたつくば市の「トラットリア エ ピッツェリア アミーチ」での13年間を経て、千葉市に「ペルテ」をオープンさせたのだった。
水牛のモッツァレッラを使った「マルゲリータ500」(2750円)は、鈴川さんがカプート杯STG部門で、500点満点で優勝したピッツァだ。値段がやや高めと感じる客に対しては、「時間がかかってもいいので、職人としての技術を認めてくださる方に食べていただきたいと思っています。職人の価値を上げたいのです」と鈴川さんはきっぱりと言う。

小麦粉はカプート社の「サッコブルー」と鳥越製粉の「グランクロア」をブレンド。塩はシチリア産海塩で、グルテンをゆっくり出すために氷水を使う。パン用マシンで20~30分練ってそこでグルテンをしっかり出すが、10分練って10分休ませるなどをくり返す。生地を発酵させて落ち着かせる。熟成は12~24時間。グルテンがつながっていると固く焼き上がるため、グルテンが切れ始める時間を見計らう。
窯の中の石だけをイタリア製に変えた日本製石窯で、炉床温度450度で焼き上げる。薪はナラで、最後の20秒にスギを足すことで火力を上げ、表面に薄皮をつくり、より軽く仕立てる。全プロセスに鈴川さんの真価が感じられる。ピッツァの縁は日本人が好きなモチモチ感がありながら、食後感が軽い。冬にお勧めのピッツァ、4種のチーズ(2530円)のほか、予約制の前菜の盛り合わせ(2420円~)もある。
ピッツァづくりも前菜もドルチェもドリンクも、いまは鈴川さんが1人で担っている。前菜の半分近くを作り、ソムリエ資格をとってワインを選んでいた奥様ゆかりさんの姿はもう店にはない。22年の春、心無いひき逃げの事故に遭い、26歳で亡くなった。生前、ゆかりさんは笑顔で言っていた。「うちのピッツァは冷めてもおいしいんですよ」。私がもち帰った鈴川さんのピッツァは、冷めていても、どこか温かく感じられた。
イタリア食文化文筆・翻訳家。東京外国語大学イタリア語学科卒。イタリアの新聞社『ラ・レプブリカ』極東支局長助手をへて、文筆・翻訳へ。著書に『イタリア薬膳ごはん』(共著)『「イタリア郷土料理」美味紀行』、訳書に『イタリア料理大全 厨房の学とよい食の術』(共訳)『スローフード・バイブル』
※「イタリア美味の裏側」は今回で終了します。
関連リンク
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。