伝統を守るために観光業へ ベネチアの漁師の思い

春か秋に飛行機でベネチアを訪れると、水面に大きな円や奇妙な渦巻きが広がっているのが、空から見えるかもしれない。ベネチアの潟に生息するカニ漁師が仕掛けた網だ。
水上都市として知られるベネチアには、もう一つの顔がある。それは、街を取り囲む広大な潟の自然だ。カニ漁師(モエカンティ)たちは、何世紀も前からここで暮らし、名物のソフトシェルクラブ「モエケ」を捕ってきた。

ベネチアと聞いて、のどかな田舎の風景を思い浮かべる人は少ないだろう。毎年およそ3000万人の観光客が押し寄せるベネチアは、オーバーツーリズムの象徴のようになっている。一方で、家賃の高騰と公共サービスの低下によって町を出ていく住民が絶えず、過去70年間でベネチア本島の人口は70%減少し、今は5万人を切っている。その流れに歯止めをかけるために、町はこの夏から日帰り観光客に「入島税」として3〜10ユーロ(約400〜1400円)の支払いを課すことにした。
潟に浮かぶ小さな島への訪問は新しい税金の対象とはならないが、オーバーツーリズムはこうした島々にも影響を与えている。潟の北部にある面積0.2平方キロメートルのブラーノ島にも、毎日のように数千人の観光客が訪れる。ベネチアから水上バスで約40分。船から降りた人々は、島のカラフルな街並みや傾いた鐘楼を見物すると、混乱(とゴミ)を残して去っていく。

そんな状況を見かねた一部のブラーノ島民は、オーバーツーリズムに対抗して、島を拠点としたエコツーリズムの促進に力を入れ始めた。漁師たちもこれに協力し、本業のカニ漁を続けながら観光客を受け入れ、繊細な潟の自然を守ることの必要性を伝えている。
長い歴史を持つ伝統漁
昔から水と深く関わってきたブラーノ島には、今も中世の漁村が残っている。ベネチアから比較的距離があるため、島は独自の伝統を維持することができた。
しかしここにきて、漁師の生活を存続させるためにも、観光客を受け入れることがますます重要になってきている。新型コロナウイルスのパンデミック中に、水産物の卸値は半分近く下落した。ブラーノ島で5世代続けて漁師を営んでいるアンドレア・ロッシさんは、「国外からの養殖魚が流入しているためです。とても許容できません。潟の魚は、もっと評価されるべきです」と話す。ロッシさんもまた、自分の漁船を使って観光客を案内している。
同じくカニ漁師のドメニコ・ロッシさん(アンドレアさんとは親戚関係ではない)も、鮮やかな赤と緑のブラゴッツォ(伝統的なトロール漁船)に観光客を乗せてエメラルドグリーンの海へ出て行き、漁師の仕事や潟の野生生物を紹介している。
「自分の仕事には誇りを持っていますが、あと数年もすれば、この仕事をする人は誰もいなくなるということもわかっています」。過去数百年間、島の漁師は毎年3月から6月、そして10月から12月にかけて、潟で網を広げてきた。

ドメニコさんの祖先は、ベネチアが共和国だった時代(697〜1797年)から漁師を続けてきたが、その伝統もドメニコさんで終わりとなる。カニも漁師も、近年は数が激減している。「私が子どもの頃、ブラーノ島にはモエカンティが100人いましたが、今は19人しかいません」。気候変動の影響により、過去10年間で潟の海水温が上昇した。カニは絶滅危惧種ではないものの、網にかかる量は年々減っているという。
伝統的な産業が消滅しようとしていることに危機感を覚え、観光ツアーを始めることにしたと、ドメニコさんはいう。「この仕事が好きなので、何らかの形で残ってほしいと思います。これまで誰も、漁師の仕事を説明したり、見せたりはしませんでした」

ドメニコさんは、19世紀に建てられた島の漁業組合所で観光客を迎える。船に客を乗せて、大きな観光船が通ることのできない狭い水路を通り抜ける。カニ漁の時期であれば、仕掛けた網を見せることもある。
その後、船はベネチアの発祥の地とされるトルチェッロ島に向かう。ここは、ビザンチン様式のモザイクで飾られた聖堂が有名だ。中世初期にブラーノで漁業が発展したのに対して、トルチェッロは人口2万人を誇る港町として栄えた。
わずか十数人の島民
現在、トルチェッロにはわずか十数人の島民が残るのみだ。聖堂の周囲の土地は荒れ果て、ほかの歴史的建造物もほとんどが廃虚と化している。


ドメニコさんは、聖堂の近くにある自分の小屋で網にかかったカニを選別する。モエケは脱皮直後の殻が柔らかい状態で食べるが、捕れたカニの90%は殻が硬いため、潟へ戻さなければならない。まれに脱皮直前のカニが見つかった場合、小屋のそばの水路に吊(つ)るした木箱に入れておく。そして、日に2回様子を確認し、脱皮したらすぐに取り出して市場へ卸す。
「ブラーノは楽しい島です。観光客が押し寄せるとはいえ、同時に彼らは仕事ももたらしてくれます。私が反対するのは、一部のツーリズムだけです。たった30分だけやってきてすぐに帰ってしまっては、来る意味がありません」
アンドレア・ロッシさんも同意する。「もっと良質なツーリズムが必要です。大人数で押しかけてお土産を買い、島を破壊していくというのには反対です。ここはとても小さな、とても特殊な場所なんです。家の壁をそれぞれ違う色に塗り、戸外で魚を焼き、潟で漁をします。私はこの島に誇りを持っていますが、こうした伝統が消えてなくなってしまうのではないかと不安で仕方がありません」

アンドレアさんは、ベネチアでも最高級のレストランに魚を卸すかたわら、エコツーリズムに手を広げている。漁師仲間のミケーレ・ヴィットゥリさんとともに、観光客を連れてトルチェッロ島でバードウオッチングをしたり、自然豊かな潟の北部へ船を出したりしている。
「人々に、有名な観光地の向こうにあるものを発見してほしいんです。ベネチアまで来ても、潟を見に来る人はほとんどいません。私は、潟の静けさ、植物、野生生物を見せ、混乱の先にある平安を見せたいと思っています」
セレブも愛する地域密着のレストラン
2人の得意先のひとつ、ミシュランの星を獲得した「ヴェニッサ」は、ブラーノ島と歩道橋でつながるマッツォルボ島にあるレストランだ。店の外にはブドウ園と有機農園があり、島に住む定年後のお年寄りが世話をしている。

地元住民だけでなくハリウッドセレブにも愛されているというブラーノ島の「トラットリア・アル・ガット・ネロ」も、アンドレアさんたちのモエケをメニューに載せている。オーナーのボヴォ家は、60年間ブラーノ島民の漁師から直接魚を仕入れている。
「できるだけ伝統を維持しようとしています」と、主人のマッシミリアーノ・ボヴォさんは言う。「本物のブラーノの雰囲気のなかで、伝統的な魚と伝統的なもてなしを提供したいのです」。メニューのおすすめは、潟でとれた新鮮な魚介類料理だ。ハゼのリゾット、ホタテとマテガイの炙(あぶ)り焼き。旬のモエケは、その甘じょっぱい味を引き立たせるために姿揚げにする。
「潟の自然は、どんなことをしても守らなければなりません。そのために、今努力をしなければならないのです」と、マッシミリアーノさんは言う。幸い、漁師も同じ思いで、行動を起こしている。
(文 JULIA BUCKLEY、写真 MARCO ZORZANELLO、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2023年1月21日付]
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