カツカレーの元祖「銀座スイス」 なぜかシューマイも

老若男女が大好きなカレーライスの中でも、飛び切りのごちそう感にあふれているのが、カツカレーだろう。そのカツカレー発祥の店として知られ、今年創業75周年を迎える銀座の洋食の名店「銀座スイス」(東京・中央)が2月に本店を移転した。
以前の店からほんの50メートルほどの距離で新しい店は以前の店の倍の広さ。「入居していたビルの建て替えで2025年までに移転する必要があったのですが、前の店は手狭だったので広い場所を借りたかった。人手も必要で、早く動かなければ人材も確保できないと物件を探したところ、ちょうどよい場所を借りることができました」と銀座スイス社長、藤岡康雄さんは話す。
2月の初めに東京駅に隣接する八重洲地下街に誕生した人気カレー店を集めたエリア「トウキョウ カレー カルテット」に新しい業態のカレー専門店「トウキョウ カレー カルテット 銀座スイス」も出店。こちらは、手軽に「銀座スイス」の味を楽しめるよう食材を工夫し価格を抑えた店で、人気を集めている。

「銀座スイス」にカツカレーが登場したのは、創業の翌年1948年。創業者の岡田進之助さんは西洋料理の礎をつくった東京・麹町の「宝亭」や首相官邸で総料理長を務めた料理人で、さすがのアイデアと思いきや、実はこの料理を考案したのは巨人軍の名選手だった千葉茂さん。
当時、巨人軍は高級オーダースーツで知られる「銀座テーラー」でユニホームを作っており、その帰りによく同店に寄ったそうだ。体が大きく健啖家(けんたんか)であった千葉さんがある時、早くたくさん食べたいと、カレーライスにポークカツレツを載せて欲しいと注文したのが、このメニューの始まり。いずれも千葉さんの大好物だった。
「当時、カレーは今のような人気はなかったんです。だから、大鍋ではなく1皿分ずつ手鍋で温めていました。そのため、最初はカツレツをその鍋に入れてカレー煮のような形で千葉さんにお出ししたそうです」と藤岡さん。ただし、煮込むと、せっかくサクサクに揚げたカツの食感が失われてしまう。そのため、ほどなくカツレツにカレーをかけた現在の料理が誕生した。
びっくりしたのは周りの客だ。「トッピングという発想がない時代。そんなことしちゃうの?と驚いていたとか。でも、カツカレーをもりもり召し上がる千葉さんを見て、『おいしそうだな』と評判になっていったそうです」(藤岡さん)。

「銀座スイス」のカレーの味をたどれば帝国ホテル
「銀座スイス」のカレーは、進之助さんの次男、岡田義人さんが修行した帝国ホテルのカレーを原型としている。初期には、当時の同ホテルのメニュー名にならって「カルカッタ風カレー」と名付けていた。タマネギ、ニンジン、リンゴ、ショウガなどに加え、だしとして端材として出た豚肉を一緒に煮込んでいる。
「たくさんのカツを成型する際に出る端材は、形がなくなるように煮込むには時間がかかる。そのため、現在はこれをミンチにして利用しています」と説明するのは進之介さんの孫で、藤岡さんの伴侶である三代目・庄子あけみさん。
すりおろした野菜とひき肉をとろとろに煮込んだカレーは、いわゆる欧風カレーなのだが、小麦粉を炒めてとろみを出すのではなく、食パンに水を加え裏ごししたものを使用している。こうすることで、「うまみと甘みがよくでる」と藤岡さん。一般的な欧風カレーよりもさらっとして、スパイスの香りや味が際立つように感じる。
カツカレーというと女性には少し重いイメージがあるが、120グラムとボリュームたっぷりの国産豚ロースカツが載ったカレーでも、口当たり軽くおなかに収まる。肉厚のカツは衣が薄く、フォークで触るだけでサクっと音がするほどカラリと揚がっている。カツには一部しかカレーがかかっていないので、トンカツのように食べることもでき、一皿で色々な楽しみ方ができるメニューだ。
ちなみに、同店の揚げ物には、生パン粉と純製ラードが用いられている。純製ラードを使うのは、「揚げたときの衣のうま味が全く違う」(庄子さん)からだ。冷めると脂が固まってしまうため、熱々の揚げたてを出す同店ならではのこだわりだ。

「カツにカレーをかけずに出してくださいというお客様もいらっしゃいます。2切れだけソースやカラシを付けてトンカツとして食べて、あとはカレーをかけるなど、みなさん好きなように召し上がっている。カレーをソースとして、ハンバーグやオムレツにかけて楽しまれる方もいらっしゃいます」と庄子さん。同店には、トッピングとして「カレーソース」というメニューもあるのだ。「合わせた料理が一層おいしくなる。『銀座スイス』のカレーは名脇役なんです」(同)。
同店のカレーはレトルト商品にもなっているのだが、商品名は「洋食屋のカレー」ではなく、「洋食屋のカレーソース」。単品でカレーとして食べるだけでなく、好きなものにかけ今までとは違う感覚で味わってみてほしいという思いが込められている。この商品は21年に発表された、中央区を代表する土産品を選出する「Central Tokyo Premium Selection」(中央区観光協会主催)の食部門で第2位に選ばれた。本店、八重洲地下街の店と「銀座スイス」のオンラインショップでしか買えない商品で、新型コロナウイルス禍の影響もあり販売は好調だという。

カツカレーが誕生してからは、これがすぐに店のダントツ人気メニューになったのだろうと思ったが、そうではなかった。「64年の東京オリンピックのときでも、圧倒的に人気だったのはオムライスとカレーライスです。カツカレーは値段が高かったこともあるでしょう。オムライスはとにかく人気があって、当時料理長をしていたおじから、朝から晩までひたすらこれを作っていたと聞きました」(庄子さん)。
「当時は卵が貴重で値段が高かった。私の父が『銀座スイス』で働き始めたときは、卵を割ったら、わずかのムダも出ないように1個ずつ殻の内側までティースプーンで削るようにすくったそうです。だから、いくつもの卵を使ってケチャップライスを包んだオムライスは、本当にごちそうだったのでしょう。当時は、メイン料理としてハムエッグなどがあり、ほかのメニューと変わらないような値段が付いていたんですよ」と庄子さんは続ける。

「銀座スイス」ではシュウマイも洋食
オムライスは今でも人気だが、現在のメニューに記された人気1位、2位は「カニクリームコロッケ」と「ビーフクロケット」。ビーフクロケットは、和牛のひき肉が入ったベシャメルソースを使ったコロッケで、取材中も客が次々とオーダー。取材が終わるころには売り切れた。思わず、次に店を訪れた際は、絶対にこれを食べようと心に決めたほどの人気ぶりだった。
「洋食はフランスやイタリア料理とは異なり、『日本食』です。カレーライスもオムライスもおコメを使った料理で日本人になじみやすい。だから、みなさんが飽きず、いくつになっても好きな料理なのでしょう。今は簡単に食べられる冷凍品などもおいしくなっているので、銀座にお店を構えお代をいただくからには、それ以上のものを提供しなければと常に思っています。きちんとした丁寧な仕事を守り続けいくと共に、新しい味、若い人に喜んでもらえるメニュー作りも心掛けています」(庄子さん)。

そうした新しい名物料理の1つが、数年前に考案した「洋食屋のシュウマイ」だ。カレーの中にも入れている豚のひき肉を用いた1品。シイタケ、タケノコ、ネギなど中華の食材は一切使わず洋風に仕上げている。ベーコンを使い、タマネギは生と炒めたものの2種類を練り込む。生は食感、炒めたものは甘みを加えるためだ。つなぎはブイヨンで、白ワインで香りづけをする。肉のひき方を変えるなど何度も試作を重ねたそうだ。
そもそもは、何か土産になるものをと開発したメニューだが、「シュウマイの形をしているけど、食べるとシュウマイじゃない。洋食だ!」と客が驚くメニューで、来店するとまずこれをつまみにビールを1杯、という客が多いという。

4月からは、肉厚のタラを使った「タラのエスカベッシュ」「野菜のマリネと生ハムの盛り合わせ」といった新メニューも登場。野菜たっぷりで、酒のつまみとしても楽しめそうな料理だ。藤岡さんも庄子さんも、「フランス料理などと異なり、洋食は家庭料理の延長のように思われてしまうことが多い」と言うが、料理人が腕を振るったおいしい洋食は格別。カツカレーをシメにして、至福のひと時を過ごしたい。
(ライター メレンダ千春)
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