古代ローマの小さなお宝に見る 2000年前の日常

有名な円形闘技場コロッセオが代表するように、古代ローマの遺跡は優れた工学と建築で知られている。しかし現代の考古学者たちは壮大な建築物だけでなく、小さな日用品も数多く発見している。
こうした日用品は、2000年以上前の人々がどのように神々を礼拝し、お金を使い、ご馳走(ごちそう)を食べていたのかといった当時の生活をうかがわせてくれる。ささやかだが、それでいて魅力あふれる古代ローマの遺物を紹介しよう。
神と女神
古代ローマの神々の多くは、ギリシャ神話の流れをくんでいる。ローマ人は、神殿に祭られている60以上の神々と、そのほか無数の半神半人が、日々の生活で起こるあらゆる事象を形づくっていると信じていた。
なかでも、生命のあらゆる側面を見守る天空の神ユピテル(ジュピター)、最高位の女神として女性の生をつかさどるユーノー(ジュノー)、そして知恵の女神ミネルウァ(ミネルバ)はカピトリヌスの三神と呼ばれ、ローマで最も重要な神とされていた。帝国が領土を拡大すると、古代エジプトのイシスやペルシャのミトラなど、他の多くの文化の神や女神たちも崇拝の対象に加えられた。

芸術
古代ローマの美しい大理石の彫像を見ると、優れた芸術的才能と高度な専門性に驚かされる。そしてその才能は、宝飾品や楽器など普段使いの小物の制作にもいかんなく発揮されている。
ギリシャやエトルリアの影響を受けたローマの職人たちは、特に金、銀、そのほかの金属細工に秀でていた。その技術は数世紀にわたって、父から息子へ、師匠から弟子へと受け継がれていった。

軍隊
ローマ帝国では伝統的に、軍隊に所属できるのは地主だけだった。しかし、時とともに地主階級が縮小し、だんだん傭兵(ようへい)による補助部隊に頼るようになったため、ローマ市民であれば誰でも入隊できるように制度を変更した。すると多くの貧しい市民が、征服先で戦利品の分け前にありつこうと、入隊を志願した。
ローマ軍は、文化的同化も助長した。征服先の住人も、ローマ軍に入隊すればローマの市民権が与えられ、それに伴う財産所有、結婚、投票、そして選挙に立候補する権利までもが、恩恵として与えられた。ただし、市民権を得るためには25年以上従軍しなければならなかった。

硬貨
貨幣制度は、ローマ帝国よりも前のギリシャ世界などに既に存在していたが、それを芸術の域まで高めたのはローマ人だった。当初は硬貨に銅が使われていたが、帝国が領土を拡大するにつれて、戦利品で得た金や銀が使用されるようになった。貨幣の単位や価値は時代とともに変わったが、セステルティウス硬貨やデナリウス硬貨など歴史に残る有名な硬貨は、長い間使われていた。
しかし、ローマ帝国衰退の一因を作ったのも貨幣だった。2世紀後半になると、帝国は数々の経済難に見舞われた。時の皇帝セプティミウス・セウェルス(在位:193~211年)は、損失を補うためにデナリウス硬貨に含まれる銀の量を減らして大量の硬貨を鋳造した。
すると、ローマ貨幣に対する信頼が失われ、インフレが起こった。これが帝国を危機に陥れ、235~284年の間に20回以上も皇帝が入れ替わった。インフレは社会の富の99%を奪い、暴動や内乱が各地で勃発した。これに対する皇帝ディオクレティアヌスの解決策は、国を2つに分割することだった。その後ローマ帝国がかつての繁栄を取り戻すことは二度となかった。

美食
ローマ人は料理も得意だった。ひよこ豆、鶏肉、ウニなどの豪華な食材を、ハチミツ、ヒメウイキョウの実、塩、コショウなどで味付けした。また、ブドウからワインを醸造し、パンやお菓子を焼いた。
何時間もかけて飲み食いするローマの供宴は有名だ。特権階級だけに許されたテーブルには、高級な生ガキ、ロブスター、ウサギ、イノシシが、オウムの舌のシチューやヤマネの肉詰め料理などと一緒に並んだ。
裕福な男たちは満腹感を抑えるために長椅子に寝そべって食事をし、食べ物を詰め込んだうえ、さらに胃にスペースを空けるために吐いては食べるという、快楽主義の典型のような飽食に明け暮れた。
(文 EDITORS OF NATIONAL GEOGRAPHIC、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年11月20日付]
関連リンク
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。