子育て外科医は不要か 過酷な環境改善に動く女性たち
長時間にわたる手術や週末深夜を問わない呼び出しなどの過酷な労働環境が要因となり、外科医師のなり手減少に歯止めがかからない。家事や育児との両立可能な働き方とはほど遠く、特に女性は外科医としてのキャリアを築きにくいとされてきた。このような状況にメスを入れようと活動する女性外科医たちを追った。
外科を去る女性に「同じ経験させたくない」 支援団体設立
「子育て中の女性外科医は悪ですか」。大阪医科薬科大学(大阪府高槻市)助教で同大学病院の外来も担当する河野恵美子さんは、涙を流しながら退職していった同僚の言葉が今も忘れられない。
河野さんは2015年に消化器外科の女性医師を支援する団体「AEGIS-Women」を共同設立した。その活動の原点には、「外科医を続けたいのに続けられない。二度と同じ経験をする女性を出したくない」との思いがある。
河野さんは06年に出産、医師や看護師の子供の保育や病児保育が可能な子育て支援に力を入れる病院を探し、徒歩1分の場所に引っ越すなど満を持して仕事復帰した。しかし待っていたのは厳しい現実だった。
「患者の担当医として呼び出しに常に駆けつけることができないならいてもいなくても同じ」と上司から無視されるようになった。現場に子育てとの両立者を受け入れる準備はなかった。「子供がいるだけでチャンスさえもらえないのか」
状況を変えるには働きを認めてもらうしかない。朝4時に起き8時前に出勤した後、午後7時まで働いて一度帰宅し、子供の世話をした後また病院に戻った。周囲からは「やり過ぎ」とさえ言われる奮闘の中で見えてきたのは、個人の努力では限界があり、環境を変えなければならないということだった。
立ち上げた「AEGIS-Women」では、外科手術の技術向上に向けた託児付きの泊まりがけイベントや、最近の技術動向を学ぶセミナーなどを開催する。医師の働き方見直しに動く厚生労働省とも、女性医師の働き方に関する資料作成などで連携する。
河野さんは女性医師の働き方改革に携わる代表的な一人となった。手が小さく握力の弱い女性医師用の医療器具開発にも取り組む。

過酷な労働環境に男女問わず若手が減少 女性医師増阻む「美徳」
厚労省によると、20年の外科に従事する医師数は2万7946人。過酷な労働環境から男女問わず若手が回避する傾向が強まり、30〜40代の比率は20年前の55%から46%に減少した。病院勤務の「外科」に従事する女性医師は1割に満たない。女性医師が増えれば、外科医の高齢化や不足解消の一助になる。

阻んできたのは外科医特有の美徳だ。24時間365日働いて当然、患者が急変すればいつ何時でも駆けつけるのが当たり前とされてきた。3人の子供を育てる外科医の藤川善子さんは「専業主婦に支えられた男性を前提とした働き方だ」と指摘する。
女性には、キャリア形成に重要な時期である20代後半から30代前半と、出産時期が重なることも重荷だ。日本外科学会の調査によると、女性外科医の第1子出産の平均年齢は33.1歳。医師免許取得後、様々な科で研修する初期研修医を終えるのが早くても26歳。一般的な外科の知識や技術を習得した後に、さらに専門性の高い資格を取得する。
藤川さんもこの時期に出産・育児を経験した。だが、家庭の都合のためにまとまった休暇を取ることが難しいことなどで何度も行き詰まり、2度退職を余儀なくされた。いまはフリーランスで働く傍ら、辞めざるを得なかった外科医の立場を代弁しようとセミナーの場にも立つ。
岡山済生会総合病院(岡山市)外科医長の竹原裕子さんは、母校出身の女性外科医らを支援するグループを19年に立ち上げた。県内の各病院の育休・産休制度や、院内保育などや当直勤務の有無などを調査し情報提供する。妊娠・育児や介護中の女性の、専門医の資格取得に関する相談に乗ったりもする。加えて「男性も含めて全ての医師が妊娠や子育ての実情をよく知ることが重要」と強調する。

こうした女性たちの活動は、着実に変化を生み出している。河野さんらが、女性が男性と比べ代表的な手術で執刀数が少ないことを論文で発表したところ、日本消化器外科学会は格差是正に向け取り組むと理事長の名前で声明を出した。「色々な活動が報われた瞬間だった」。河野さんは手応えを感じている。
働き方改革を好機に
厚生労働省によると、20年末時点の病院勤務の外科の女性比率は7.8%にすぎない。諸外国と比べても日本の女性外科医は少ない。カナダや英米は2〜3割を女性が占める。
日本には「手術は男性の方が向いている」という風潮も少なからずあったが、性差がないことが複数の論文で示されている。米マサチューセッツ総合病院などの論文では、執刀医の性別と予後について男女で差はなかったと報告。術後死亡率が最も低いのは50代女性外科医という。
日本では24年度から残業上限を原則として年960時間にする医師の働き方改革が始まる。これまでの主治医制から1人の患者を複数の医師がみるチーム制に移行するなど、想定される変化を患者に丁寧に説明することが大切だ。より多様な外科医が働ける環境づくりが欠かせない。
(藤井寛子)
[日本経済新聞朝刊2023年2月27日付]
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