「イラスト入りの古典」 インドのアジャンター石窟

1819年、インド中部のワゴーラー川沿いにある断崖で、トラ狩りをしていた英国兵の一団が、驚くべきものに出くわした。岩の中に精巧にくりぬいて造られた、大小30ほどの洞窟群だ。しかも、美しい石細工は序章にすぎなかった。
洞窟の中で待ち受けていた巨大な壁画、岩肌に彫られた彫刻、仏舎利塔、僧院、祈祷(きとう)殿、碑文などは、数世紀にわたる初期仏教美術と、インド古典文化の黄金期だったグプタ朝時代における芸術の傑作ばかりだ。そして驚くべきことに、1400年もの間、ごくわずかな地元の住民しかこれらを知らなかった。

そして石窟群は廃虚と化した
インドの主要な王朝の多くは、地球史上最大級の火山噴火によって広く玄武岩に覆われたデカン高原で誕生した。岩肌に彫られた彫刻や碑文は、初期インド社会に関する最も優れた記録のひとつだ。古代の町アジャンター近郊には、暗色の玄武岩をくりぬいた石窟が30ほど点在している。絵画、柱、彫像で飾られた思いのほか壮麗な外観は、ヨルダンのペトラ神殿やイタリア、ポンペイのフレスコ画を想起させる。

アジャンター石窟群の壮大さは、当時の王の力を物語っている。紀元前2世紀から1世紀のものもあるが、多くは紀元5世紀半ばにインド中央部を広く支配したヴァーカータカ朝のハリシェーナ王の時代に造られ、一時期は数百人の僧侶が洞窟で生活していたという。
アジャンターが宗教と芸術の中心地として繁栄した時期は、477年に亡くなったハリシェーナ王の治世と重なるようだ。7世紀になると、僧院は使われなくなり、石窟は放棄され、アジャンターの美しい絵画は忘れ去られていった。そして仏教は、その発祥の地であるインドから次第に姿を消していくことになる。13世紀末、石窟群はイスラム軍の侵攻によって破壊され、廃虚と化した。

別世界のように彩られた壁
大半の石窟には、礼拝用のチャイティヤ窟(祠堂、しどう)と、修行僧が生活するヴィハーラ窟(僧坊)がある。柱に囲まれた中央の部屋は、仏像の置かれた祠(ほこら)へと続き、その外側の廊下には、石造りの寝台以外には何もない僧坊への入り口が並ぶ。

全体的に厳粛で敬虔(けいけん)な雰囲気だが、壁だけは別世界のような彩られ方だ。中でも悟りを開く場として設計されている最も精巧な石窟の壁は、霊性を呼び覚ますかのような絵画でほぼ覆われていた。
壁画の大部分は時を経て断片的にしか残っていない。それでも、かつてここに満ちていた官能的かつ神秘的な空気を呼び覚ますには十分だ。寺院の壁には、既知のすべての創造物が描かれているように見える。ブッダや菩薩(ぼさつ)、その他の仏たち。王侯貴族、商人、ホームレス、音楽家、召使、恋人、兵士、聖職者。ゾウ、サル、スイギュウ、ガン、ウマ、そしてアリまでもが人間たちに加わっている。木々に花が咲き、蓮(はす)が開き、蔓(つる)が巻きつき伸びていく。

最も魅力的な壁画のひとつが、蓮(はす)を手にした無限の慈悲を象徴する「蓮華手菩薩(れんげしゅぼさつ、パドマパーニ)」像だ。祠(ほこら)の入り口付近に守護者として立つその姿は、訪れる人々に平和のビジョンをもたらしている。
石窟にやってくる現代人を迎える菩薩像は、最盛期にアジャンターを訪れた巡礼者、僧侶、商人たちも歓迎していたに違いない。壁にはブッダの過去世(前世)を物語る「ジャータカ(本生話)」を緻密な構成で表現した絵画が描かれている。ブッダとなった1000年前のインドの王子、ゴータマ・シッダールタの生涯を描いた絵画もある。


こうした絵画は5世紀に描かれた「イラスト入りの古典」とも言える。見ることによって信仰心を呼び起こし、悟りに近づくことを目的としたものだ。現代人にとっては難解な物語であっても、暗闇の中に浮かび上がる絵画の優美さと感動は、昔も今も変わらない。

保存への新たな取り組み
現代では、アジャンター絵画の崇高な力が少しずつ見直されてきている。ナショナル ジオグラフィックの写真家フォルクマル・ウェンツェル氏は、1946年から47年にかけてインドを横断した旅で、アジャンターおよび隣接するエローラの村を訪れた。彼は当時新しく発売されたエクタクローム・カラーフィルムで壁画を撮影しようとしたものの、あまりの暑さに乳剤が解けてしまった。結局、ウェンツェル氏は160キロメートル以上も離れたところから氷を運び、洞窟内のくぼみを暗室として使うこととなった。
石窟群は1983年にユネスコの世界遺産に登録されたが、イタリア人保存修復師が誤って壁画にニスとシェラックを塗ってしまい、色が変わってしまった。そのため、1999年、インド考古調査局の保存責任者であるラージデオ・シン氏が徹底した保存キャンペーンを開始した。インド人写真家・映画監督のビノイ・ベヘル氏は、数十年にわたって石窟を記録し続けてきたが、今でも壁画には感動すると言う。「それは私たち自身の神聖な部分を示しているのです」
その幽玄な美しさにもかかわらず、アジャンターの絵画は一時的に花開いた、偶然の産物と見なされていた時期もあった。しかし、近年の研究により、アジャンター絵画の素晴らしさはそれ以前の流れから生まれたものであり、その影響は広く及んでいることが明らかになった。ベヘル氏の写真や映像は、アジャンターの絵画がヘレニズム、ヒンドゥー、仏教の伝統の中にどのように位置づけられるかを伝えている。

聖なるもののイメージが発展したことが、アジャンターの芸術を花開かせた。この時代は、仏像が理想化された人間の姿を表すようになった時期だった。当初、芸術家たちは仏足石(ブッダ〔仏陀〕の足跡を石面に刻んだもの)、菩提樹、空の玉座などのシンボルで実在した者としてのブッダを表現していたが、信者たちはより個人的な信仰の焦点となりやすいものを求めていた。紀元1世紀にインド亜大陸で生まれた、目を伏せ、穏やかな表情を浮かべた姿は、アジア全域に広がる仏像の原型となった。それは現在もなお、ブッダの表情として不動の地位を築いている。
(文 EDITORS OF NATIONAL GEOGRAPHIC、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年5月18日付]
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