なぜネズミとネコの甲冑なのか 手作りの芸術品

「いつも冗談で言っています。最初にネズミの甲冑(かっちゅう)を作ったとき、私は人類史上最高のネズミの甲冑職人になった、とね」とカナダのアーティスト、ジェフ・デ・ボーア氏は語る。デ・ボーア氏は36年にわたり、博物館に展示されていてもおかしくないクオリティーのネコやネズミの甲冑を制作してきた。
ネズミ用の十字軍の甲冑から、ネコ用の中世イスラム風の鎖かたびらまで、この間にカルガリーの工房での制作した甲冑の数は500点を超えるとデ・ボーア氏は見積もっている。



デ・ボーア氏の目的は、甲冑を実際に動物に着せることではなく、人々の想像力を刺激し、弱者の勇気を奮い立たせることにある。
「私の作品には、一人ひとりの物語が込められています」とデ・ボーア氏は説明する。「私は物語の作者ではありません。まだ実現されていない物語を芸術品にしているのです」
すべてはネズミから始まった
デ・ボーア氏が最初に刺激を受けたのは5歳のとき、カルガリーのグレンボウ博物館でさまざまな甲冑を見たことだ。「小さな子どもは甲冑を面白いものと認識していると思うのですが、私にとっては、いつまでも忘れられないものでした」と59歳のデ・ボーア氏は振り返る。「これはどのように作られたのだろう? 誰が着ていたのだろう? なぜそれを着ていたのだろう? あの甲冑はどのような体験をしたのだろう? そのような考えが私の人生に付きまとっています」
デ・ボーア氏は父親の金属加工工場で工作を始め、高校生のとき、初めて人間用の甲冑をつくった。しかし、1980年代半ば、美術学校でジュエリーデザインを専攻していたデ・ボーア氏は、当時制作していた小さな作品と甲冑への情熱を調和させる必要があった。人間用の甲冑のミニチュアをつくることもできたが、それは本物ではないと感じた。それでは、どのような甲冑を作れば、小さくても本物だと感じられるのだろう?
「そして、私は気付きました。ネズミの甲冑を作ればいいと」とデ・ボーア氏は回想する。「それが転機でした。ウォルト・ディズニーが言ったように、『すべてはネズミから始まりました』」



ビジョンが見えてきたとき、甲冑を身に着けたネズミの世界には敵も必要だ、とデ・ボーア氏は考えた。もちろん、それはネコだ。
「もの」だけでなく歴史をつくる
「ネコとネズミの甲冑」シリーズは、デ・ボーア氏が手掛ける多数の作品のひとつにすぎない。デ・ボーア氏はジュエリーからパブリックアート、さらに骨つぼまで制作している。しかし、デ・ボーア氏にとって最も大切なのは、歴史や考古学にも関連する甲冑だ。
デ・ボーア氏の甲冑プロジェクトではまず、文化や時代を決定する。そして、当時の甲冑の様式を徹底的に研究し、コンセプトを手描きする。続いてその絵を基に粘土で模型を作り、必要な金属部品の正確なパターンを作成する。甲冑1作品当たり、30〜200個ほどの金属部品が必要だ(例えば、ローマの剣闘士をイメージしたネズミの甲冑は50の部品でできているが、うろこ状のネコの甲冑は500の部品から成る)。
小さな作品の制作に合わせて、小さな道具や部品も自作している。1つの甲冑を作るのに必要な専用の道具を5〜10個作るだけで40時間、さらに、甲冑を作るのに30〜50時間かかる。大部分をニッケル、スチール、真ちゅう(ときにはゴールドやプラチナ)で作り、ひげやタッセルなどの装飾を施す。
デ・ボーア氏は3Dプリントによって自分の作品が陳腐化することを心配していない。むしろ、ソーシャルメディアで氏の作品をフォローしてくれている多くの職人やコレクターに励まされ、金属加工技術を後世に伝えたいと考えるようになっている。
「私たちは皆、歴史をつくる一員です」とデ・ボーア氏は言う。「私たちはただものづくりをしているだけではありません。私たちは過去、現在、未来の一部なのです」


インスピレーションは至る所に
ネコやネズミの甲冑を必要としているのは誰だろう? デ・ボーア氏によれば、制作を依頼するコレクターやパトロンはさまざまだが、歴史や芸術に対する深い関心は共通しているという。「おそらく全員に共通しているのは、ナショナル ジオグラフィックを購読していることでしょう」とデ・ボーア氏は笑う。
依頼はすべて個人からで、とても私的な内容だ。ネコの甲冑の場合、亡くなった最愛のペットをしのぶために依頼されることが多い。デ・ボーア氏はそれぞれの動物の物語を作品に取り入れ、甲冑を動物の肖像画、さらには聖遺物容器のようなものにしている。ときには、ほかの動物の甲冑を制作することもある。ある警察官からの依頼では、引退した相棒が持っていた「武士道精神」を表現するため、イヌのための侍のかぶとを制作した。
人間の戦場では見たことがないような甲冑を依頼されることもある。デ・ボーア氏は現在、インド人とポーランド人のカップルからの依頼に取り組んでいる。インドのマラーター王国とポーランドの騎兵、フサリア隊の要素を組み合わせた17世紀の甲冑だ。「私には思い付かないようなものです」とデ・ボーア氏は認めたうえで、「しかし、この2つの文化を研究しているうちに、どちらも現代的であることがわかり、今はワクワクしています」と言い添えた。



デ・ボーア氏は自身の作品について、生きている動物に着せるためのものではないと強調し、ネコに甲冑を着せてほしいと頼まれた最初で最後の出来事を振り返った。1990年代前半、日本のゲーム番組の取材班がデ・ボーア氏の工房に「スタント・キャット」を連れて現れた。カメラの前で服を着ることに慣れているネコということだった。「とても大きなネコがとても小さな甲冑を着ることになったとだけ言っておきましょう」とデ・ボーア氏は振り返る。「決しておすすめできることではありません」
時代を超える職人と作品
デ・ボーア氏は自身の作品について語るとき、エジプト考古学博物館でツタンカーメンの黄金のマスクに対面したときのことをしばしば話題にする。「そのとき、私の頭に浮かんだのは、目の前にある素晴らしい遺物のことではありませんでした。私はそれが完成した日に思いをはせていました。エジプトの職人たちが工房に座り、友人を招いてビールを飲みながら、この偉業を祝い、私が言いそうなことを口にしているのです。『パトロンがいたことに感謝しよう』、『10世代分の技能が蓄積されているからこそ、このようなものを制作できる。すごいことだと思わないか?』と」
1922年にツタンカーメンの黄金のマスクが発見されたとき、考古学者、そして世界が驚嘆した。今から数世紀後、ネコやネズミの甲冑を発掘した人々はどう反応するのだろうと、デ・ボーア氏は楽しみにしている。
「彼らは同じように反応し、同じ疑問を口にするのでしょうか?」とデ・ボーア氏は空想する。「なぜ作られたのだろう? 本物だろうか? 誰が、なぜ、誰のために作ったのだろう?」
「そのような疑問をきっかけに、私はアーティストになりました」とデ・ボーア氏は続ける。「ある意味、過去の職人が残した作品を通じて、連続する歴史の一部になるのです。私が発見した作品が、私が今これを行うきっかけになりました。そして、私の作品をきっかけに、未来の世代が同じように行動することを願っています」
(文 KRISTIN ROMEY、写真 CHRISTIE HEMM KLOK、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2023年1月12日付]
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