工芸クリエーターが活躍 創造が生んだエコシステム

米ノースカロライナ州にあるアトリエで、メアリー・トンプソン氏はポケットナイフを器用に使い、近くに流れるオコナルフテー川で刈ったササの茎を細長く割いていく。その後、採集したクルミの樹皮とサンギナリアで染色し、ジグザグや円のモチーフが描かれたチェロキー族(米国先住民の1グループ)の伝統的なバスケットを編む。トンプソン氏は傷だらけの手を見せながら、「これが仕事です」と語る。トンプソン氏は東部チェロキー族の一員で、バスケット職人としては第2世代に当たる。
チェロキーの街にあるクアラ・アーツ・アンド・クラフト・ギャラリーでトンプソン氏の1000ドル(約13万円)のバスケットを見ても、それがどれほどの時間と労力、文化的な遺産を結集して作られたかを想像するのは難しい。しかし、職人のアトリエを訪問すれば、いろいろなことが見えてくる。さらに、伝統技術の保存や経済的持続可能性の促進にもつながる。

これこそがブルーリッジ・クラフト・トレイルズ(ブルーリッジ工芸街道)の核心だ。NPO(非営利団体)のブルーリッジ・ナショナル・ヘリテージ・エリアが開発したこのクラフト・トレイルズは、ノースカロライナ州西部に300以上あるアトリエ(トンプソン氏のアトリエを含む)と学校、ギャラリーで構成されている。中心地はアシュビルで、数十のギャラリーやリバー・アーツ・ディストリクトが旅行者とアーティストをつないでいる。

クラフト・トレイルズの目的は、文化観光を振興し、ドライブ旅行する気にさせること。旅行者にとっては、ガラス職人や陶芸家、織物職人、木工職人の仕事をじかに見る機会となっている。それでは、クラフト・トレイルズを巡る旅に出よう。
なぜ創造の文化が根付いているのか
「(ノースカロライナ州などが含まれる)南アパラチアでものづくりが生まれた理由は、孤立した地域だからというわけではありません。でも、ものづくりが続いたのは、ここが孤立した地域だからです」。ブルーリッジ・クラフト・トレイルズのキュレーターを務めるアナ・ファリエロ氏はこう説明する。ファリエロ氏は工芸の歴史を研究しており、著書がいくつもある。
この地域がなぜ工芸を巡る旅にふさわしいのか――。このことを理解するには、力強い創造の文化が存在する理由を知るのが早道だ。

布や家具、調理用具などを作るか、物々交換するしかなかった時代、工芸は必要に迫られて生まれたのかもしれない。しかし、米国で工業化が進むと、こうした家内制手工業は廃れていった。南アパラチアのように、工業製品を手に入れにくい辺境を除いては。
20世紀になると、この地域最大の都市アシュビルは全米から注目を集め、名だたる富裕層を引き付けた。そうした富裕層の女性たちの一部が、この地域の主婦たちに豊かさをもたらしたいと考えた。
この地域でつくられていた精巧な織物、キルト、バスケットなどの家庭用品は極めて上質で、東海岸の都市のバイヤーに高値で売れる可能性があった。女性慈善家たちは、熟練した職人が報酬を得て教育する機会をつくり、商品の販売を支援することで、今日まで続く強固な工芸品産業を確立した。
先駆者の1人がフランシス・L・グッドリッチ氏だ。グッドリッチ氏は1895年にアランスタンド・クラフト・ショップを立ち上げ、その後、サザン・ハイランド・クラフト・ギルドを創設。サザン・ハイランド・クラフト・ギルドは現在、米国の9つの州に900人以上の会員を抱え、ブルーリッジ・パークウェイでフォーク・アート・センターを運営している。そこには今もグッドリッチ氏の店があり、手彫りの木製ボウル、手吹きガラスのカップ、シルバーに複雑な細工を施したネックレスなどを販売している。
ノースカロライナ州西部にある2つの名高い工芸学校も同じ女性慈善家たちが設立したもので、初心者からベテランのアーティストまで、今も多くの人が授業を受けたり、校内のギャラリーで買い物したりしている。
ブラスタウンののどかな谷間に位置するジョン・C・キャンベル・フォーク・スクールは、1925年の開校以来、週末と1週間のクラスを何百も提供している。学生はキャンパスに滞在し、復元された1930年代のバンガローや現代的な寮に寝泊まりしながら、皆で食卓を囲んだり、頻繁に行われるコンサートを楽しんだりできる。


アシュビルから北東に約1時間、バーンズビル近郊にあるペンランド・スクール・オブ・クラフトは、1923年の設立以来、粘土、テキスタイル、ガラスなどのクラスを開催している。森や山麓の丘に20世紀初頭の建物が点在し、石壁のコテージでは工芸品が販売されている。アーティストの作品を販売するギャラリーもある。
「1890年代から1945年ごろに起きた工芸運動がノースカロライナ州西部を形づくりました」とファリエロ氏は説明する。「それが現在の活況の大きな理由であることは間違いありません」
バンコム郡だけで16億ドルを創出
そうした工芸学校が今、地域の創造的なエコシステムを活気づけている。作り手が技術を学び、磨くのを助けるだけでなく、ノースカロライナ州西部に暮らす何千人ものアーティストを支えるコミュニティーを育んでいる。
これらすべてが手作りの良さを理解する住民や旅行者を呼び込んでいる。そして、アートを中心とした経済がさらに多くのアーティストを引き寄せている。年間1100万人以上が訪れるアシュビルは、クラフト・トレイルズを象徴する存在だ。2019年の調査によれば、アシュビルがあるバンコム郡だけで、工芸が生み出す産業によって16億ドル(約2000億円)を創出している。
クラフト・トレイルズのクリエーターたちはアシュビル以外にも工芸ファンを導き、小さな町の経済を活性化させたいと考えている。トンプソン氏は、自分のスタジオを訪れる人がいれば、「私たちの文化や歴史、アイデンティティーについて知ってもらい、私たちが変化、進化してきたこと、今もここにいることを示す機会になります」と語る。
このほかにも、顔をモチーフにした水差しで知られるヘンダーソンビルの陶芸家ロドニー・レフトウィッチ氏、ペンランド近郊で活動するガラス作家のケニー・パイパー氏、アシュビルのテキスタイルデザイナー、バーバラ・ザレツキー氏などがトレイルにアトリエを構える。
ファリエロ氏はクラフト・トレイルズについて、「私たちは技術の保存を目指しています」と語る。「職人が自分の限界に挑戦し、作り続けられるようにすることで、職人により良い市場を提供できればと考えています」
曖昧になる工芸とデザインの境界
アシュビルから北に1時間、クラフト・トレイルズ沿いのスプルースパインという静かな町に、近くのペンランド・スクール・オブ・クラフトで出会った若いアーティストたちがトリーツ・スタジオズを設立した。2021年、1930年代に建てられた赤れんがの印刷会社の建物をグループで購入し、アトリエ、設備、ギャラリーを持つ新進アーティストのための共有空間に生まれ変わらせようとしている。
「この地域は工芸の多様性に富んでいます」と語るのは、立ち上げメンバーのシェイ・ビショップ氏だ。「さまざまな素材を扱う人々が発するエネルギー。そして、自分と異なる技術を持つ人々からアドバイスをもらったり、道具を借りたりできます。これらすべてが大きな助けになっています」。交流と実験を繰り返し、スタジオのメンバーたちは伝統工芸を新しい手法、ときには極めて革新的な方法で活用するようになった。
例えば、ビショップ氏は小さなセラミックタイルを組み合わせ、軽いよろいのような花柄のカウボーイチャップスやヘビがあしらわれたベストなど、衣服の彫刻を制作している。ビショップ氏が探求しているのは衣服による力、ジェンダー、集団アイデンティティーの表現だ。
同じくトリーツの立ち上げメンバーであるアニー・エブリン氏は木、発泡素材、布を重ねる昔ながらの手法で椅子をつくり、そこに装飾を施すことで、彫刻のような作品を生み出している。赤いシルクの裾を引きずる椅子、背もたれが花瓶になっている椅子などだ。


ノースカロライナ州のクリエーターはもはや単なる機能的なものづくりにとどまらず、芸術、工芸、デザインの境界を曖昧にしている。そして、その作品は全米の美術館、ギャラリー、個人のコレクションになっている。
ニューヨークのような物価の高い大都市に拠点を置くクリエーターと異なり、米国の青く縁取られた辺境に暮らす織物職人や陶芸家などの作家は、活気あるアートコミュニティーと理想的な生活の質を求めてここに集まってくる。
「産業革命とデジタル革命によって、人間の行動は様変わりしました」とビショップ氏は語る。「しかし、私たちは自分の手を使って探求したいという衝動に駆られています。私は、自分自身は工芸を守る歴史の一部だと考えているのです」
(文 MELISSA REARDON、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年6月7日付]
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