「知の宝庫」を守れ 北アフリカの小さな「書物」の町

アフリカ大陸北西部、サハラ砂漠のはずれに位置するマリ共和国に、かつて黄金の交易で栄えたトンブクトゥという町がある。その名を聞いて、ある人は失われた町に隠された財宝というロマンチックなイメージを思い浮かべるかもしれない。しかし、トンブクトゥの本当の富は、黄金ではなくその豊かな歴史のなかに隠されている。
トンブクトゥが栄華を極めた15~16世紀、町は5万~10万人の人口を抱え、通りは行き交う商人やラクダでにぎわっていた。町の外には、交易キャラバンが何キロにもわたって列をなしていた。

トンブクトゥが莫大な富を築いたのは、サハラ砂漠を渡るキャラバンのルートとニジェール川という二大交易路が交わる地点に位置していたためだ。商人たちは、はるか遠くのグラナダ、カイロ、メッカから衣服や香辛料、塩を運び、黄金、象牙、アフリカ内陸部出身の奴隷と交換した。
その富のおかげでトンブクトゥは、商業の中心地としてだけでなく知の中心地としても発展を遂げた。町には巨大なモスクが建てられ、学者たちが各地から集まった。彼らは学会を作り、地中海地方やアラビアと北アフリカを結ぶ交易路を通じてイスラム世界から大量の書物を取り寄せた。
裕福な家は、集めた書物の数がその地位の高さを表すとして、地元の筆写者に装飾を施した写本を作らせた。また、大規模な図書館を築き、宗教、芸術、数学、医学、天文学、歴史、地理、文化などの蔵書を所有した。
町の創立
トンブクトゥの起源は、西暦1100年代に遡る。アフリカ北西部の遊牧民族トゥアレグ族が、ニジェール川の近くに季節的な野営地を置いたのが始まりだという。野営地は、それから数百年かけて町へと発展していった。
それより以前、西暦700~800年にかけて、イスラム世界の商人たちは、交易とともに北アフリカへイスラム教を広めた。商人はやがてトンブクトゥにも到達し、人々はイスラム教信仰を受け入れた。

1225年ごろ、現代のマリとギニアの国境近くにあった小国カンガバで、放浪に出ていたスンジャタ王子がスマングル王に対して反乱を起こし、権力を掌握した。その後王子は領地を広げ、黄金やその他の資源が豊富なトンブクトゥも支配下におさめた。王子はイスラム教を受け入れ、ムスリム商人たちを歓迎した。
マリ帝国の誕生
スンジャタの下で地域は繁栄し、やがてマリ帝国として知られるようになる。

その後スンジャタの弟の孫であるマンサ・ムーサが皇帝の座に就くと、トンブクトゥはマリの首都になった。
1324年、メッカへ巡礼したマンサ・ムーサは、旅先で膨大な知識を仕入れ、故郷へ持ち帰った。
メッカからはアラビア語の書物を、スペインのアンダルシアからは詩を手に入れた。トンブクトゥの図書館は拡張され、「アラビアンナイト」やムーア人の恋愛詩、コーランの注解書、偉大なアフリカ諸国の法律書や戦記など、あらゆる書物が収められた。

はっきりした数字はわからないが、15~16世紀の黄金時代、トンブクトゥに数十万の書物が蓄積されていたことは間違いない。当時、町はソンガイ帝国に支配され、エジプトのカイロやスペインのコルドバなど各地から学者たちが集まっていた。
書物は、最も価値あるものとして扱われていた。町中いたるところで、書物が書かれ、写本が作成された。その多くはイスラム教の聖典や論文だったが、他にも科学、数学、医学、哲学、天文学の写本や、プトレマイオス、アリストテレス、プラトン、イブン・スィーナーの著作物もあった。
そんなトンブクトゥの凋落(ちょうらく)が始まったのは、1591年にモロッコの君主が黄金交易を掌握するため、トンブクトゥを襲ったころからだった。兵士たちは図書館を略奪し、著名な学者たちをモロッコへ連行した。図書館のコレクションはバラバラにされた。個人で図書館を所有していた人々は、書物を泥レンガの壁の裏側に隠したり、砂漠へ埋めたりした。だが、多くは移動中に失われたり破壊されたりしたと思われる。

貴重な写本の保全
19世紀末、トンブクトゥはフランスの植民地支配を受けた。1960年に独立を勝ち取った直後、新たに誕生したマリ共和国は、アーメド・ババ研究所を設立して、失われたトンブクトゥの写本を探し出し、それらを保存する作業に取り掛かった。研究所の名は、16世紀にトンブクトゥがモロッコの手に落ちた際、モロッコのマラケシュでとらわれの身となった著名な学者アーメド・ババ・アル・マスフィにちなんでいる。

ところが2012年に、新たな危機が訪れる。リビアのムアンマル・カダフィ大佐の死後、その武器を手に入れたイスラム武装勢力がマリ北部を一夜で制圧し、トンブクトゥは混乱に陥った。町の文化遺産とともに大量の写本が破壊されることを恐れた町の人々は、貴重な写本を町から移動させた。
9カ月の間に、トンブクトゥとその周辺にある45カ所の図書館から35万冊の写本が運び出され、マリの首都バマコや、町の中に隠された。2013年にイスラム武装勢力は倒されたが、その残党はトンブクトゥを逃げ出す際に、アーメド・ババ研究所に火を放った。幸い、ほとんどの写本は既に持ち出された後だった。
現在、救出された写本は、政情不安に直面しながらも将来へ残すための保全努力が続けられている。しかし、トンブクトゥの宝ともいうべき書物が実際にどれくらいあったのかは不明であり、それらの行方を探す作業はまだ終わっていない。

本記事の一部は、A・R・ウィリアムズ編『Lost Cities, Ancient Tombs(失われた町、古代の墓)』(未邦訳)からの抜粋です(Copyright © 2021 by National Geographic Partners. Reprinted by permission of National Geographic Partners)
(文 EDITORS OF NATIONAL GEOGRAPHIC、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年5月7日付]
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