防災品の「パンの缶詰」 生みの親と誕生までのドラマ
黒川博士の百聞は一缶にしかず(18)

スーパーやホームセンターの防災品コーナーでよく見るようになったパンの缶詰。どれも軟らかくて食べやすく、今では10社以上の企業が販売している。ほとんどの商品が3〜5年保存可能だ。
その製造方法は主に2通りある。
①缶の中でパン種を発酵させ、缶ごとオーブンで焼いてから密封 ②焼いたパンを缶に入れ、密封後に加熱殺菌(マフィンタイプが多い) する――方法だ。①だと加熱工程が1回で済み、②よりもパンの仕上がりがしっとりする。だが、うまさと保存性を両立させるには、技術的に超えなければならないハードルがいくつもある。 それらを乗り越え、初めてパンの缶詰の製法を確立したのが、「パン・アキモト」(栃木県那須塩原市)だ。同社のパンの缶詰は、防災備蓄品として活用されているほか、今では国内外の被災地や飢餓に苦しむ国や地域に届けられている。

パン・アキモトの創業は1947年。後に栃木県内の学校給食会指定工場になるなどし、製造量は増えていったが、大手製パン会社に比べれば規模はずっと小さい。社長の秋元義彦氏いわく、「いわゆる町のパン屋さんです」。
会社の方向性を大きく変えたのは95年に起きた阪神大震災だった。秋元社長は震災発生直後に、パン2000食分を被災地に送ったが、現地で配られる頃には半分以上が傷んでいたという。実際にパンを受け取った人からは後日、こんな連絡があった。「保存できる軟らかいパンはないのか。もしないのなら秋元さんが作ればいい」
当時の保存用パンといえば、乾パンくらいしかなかった。乾パンは歯の弱い人や子供には硬くて食べにくい。被災直後で、精神的にもダメージを受けている人たちにとっても、あまり口にしたくはないものだろう。
「パン屋にもできることはあるはず。困っている人をパンで助けるのが自分たちのミッションかもしれない」 。そう決意した秋元社長は、保存用パンの研究に乗り出す。といっても研究用の施設はない。だから、日中の作業が終わった工場内で、工場長と2人での試行錯誤の繰り返しだった。

■今では国内外4カ国・地域で特許を取得
始めは焼いたパンを真空パックにしてみた。パンが傷む原因は主に菌類・微生物類の繁殖と、空気中に含まれる酸素による酸化だ。ならば、まずは空気を遮断してみようと考えた。しかし、パンを入れたビニール袋から空気を抜くと、パンは潰れてしまい、袋から出しても元のようにはならなかった。当たり前のことのように思えるが、実際にやってみないと分からないことだったのだ。
農産物加工所でタケノコを水煮し缶詰にしている様子を見て、パンの缶詰化を思いついた。缶ならパンが潰れることもなく、密封性も高いはず。さっそく焼きたてのパンを缶に詰め、1週間後に開けてみた。するとパンはカビだらけになっていた。空中を浮遊している菌類・微生物類が入り込んだからだった。
トライ&エラーの末にたどり着いたのが、パン種を缶の中で発酵させ、そのままオーブンに入れて焼く方法。オーブン内は高温だから、パンが焼けるのと同時に殺菌にもなる。ふくらんだパンが缶の内側に貼りつくのを防ぐため、特殊な紙を敷いたのも独自の工夫だった。パン・アキモトがパンの缶詰の発売にこぎつけたのは、阪神大震災から1年後の96年春のこと。これらの製法で同社は日本、米国、中国、台湾の4カ国・地域で特許取得に成功している。

パンの缶詰は発明品ともいえるほど画期的な商品だったが、すぐに売れたわけではない。もともと防災備蓄食と呼ばれるものは、「防災の日」など9月の防災月間などに注目されるが、それ以外の時期は一般的になかなか販売が伸びない。
しかし、パン・アキモトは地道に製造を続け、細かな改良を重ねることを怠らずにいた。2004年の新潟県中越地震や11年の東日本大震災など大規模な災害が発生するたび、パンの缶詰を無償で被災地に届けてきた。東日本大震災では岩手、宮城、福島の3県に計10万缶以上送っている。社長自らトラックのハンドルを握り、運んだことも少なくない。
被災した人が柔らかいパンを食べ、安堵する様子はテレビなどで報道された。そのたびに大きな反響があり、やがて多くの企業や自治体、学校などから大口の注文が舞いこむようになった。
そんなある日のこと。ある自治体から「パンの缶詰の賞味期限が近づいているので新しいものに買い替えたい。その際、古いものを引き取って処分してくれないか」という電話が入った。税金で購入していた備蓄品のため、自治体の職員が勝手に食べて、処分するわけにはいかないというのだ。
備蓄品として購入されたパンの缶詰が、その後どうなっているのか。気になって調べてみると、賞味期限ぎりぎりのものは、8〜9割がそのまま廃棄されていた。 困った人を助けるはずの缶詰がゴミとして捨てられている現実に、秋元社長らは胸を痛めた。その解決のヒントは、被災地への支援活動にあった。たとえ賞味期限が近くても、必要とされるところでは喜んで食べてもらえる。
ただ、これまでのように無償で届けていては経営が成り立たない。実際に、東日本大震災時には会社の資金繰りが悪化し、秋元社長は倒産も覚悟したという。短期的なボランティアではなく、継続して続けられる仕組みを作らないと。思案の末に考え出したのが「救缶鳥プロジェクト」だった。

■「救缶鳥プロジェクト」はウクライナ支援にも貢献
救缶鳥プロジェクトの仕組みはこうだ。まず企業や団体などが、災害備蓄用にパンの缶詰をまとめて購入する。3年ある賞味期間のうち、残りが半年から1年になったらパン・アキモトが回収。それを被災地や飢餓に苦しむ国・地域に届ける。この取り組みは09年に始まり、参加する企業や団体が次第に増えていった。17年には環境省が主催する「第5回グッドライフアワード」で環境大臣賞最優秀賞を受賞している。
昨年まではアフリカやアジアの貧困国などを対象にしてきたが、今はウクライナ支援を最優先にしている。ウクライナからの避難民を多く受け入れているポーランドに航空便で送り、現地の「日本国際飢餓対策機構」のスタッフを通して配布されている。
ウクライナ支援で難関だったのは、1ケース当たり約1万円かかる輸送費。そこでホームページ等で寄付を募ったところ、最初の目標だった輸送費300万円(300ケース分)はたった10日で集まった。現在も募金活動は継続中で、次の目標額は1000万円だという。誰も無理せず、少しずつ力を合わせる継続的な支援がここでも実現した形だ。
ちなみに、パン・アキモトでは食パンや総菜パンなども製造している。その売上比率は約35%で、残りの売り上げはパンの缶詰という。取締役専務の秋元信彦氏は「今ではパン屋というより缶詰屋です」と笑っていた。
(缶詰博士 黒川勇人)
1966年福島市生まれ。東洋大学文学部卒。卒業後は証券会社、出版社などを経験。2004年、幼い頃から好きだった缶詰の魅力を〈缶詰ブログ〉で発信開始。以来、缶詰界の第一人者として日本はもちろん世界50カ国の缶詰もリサーチ。公益社団法人・日本缶詰びん詰レトルト食品協会公認。
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