クリスマスにチキン 日本独特の鶏肉愛は江戸時代から

毎年、クリスマスシーズンにはチキン商戦が過熱する。
この分野では早くから熱心にキャンペーンを繰り広げてきた「ケンタッキーフライドチキン」に対して、最近は「ファミチキ」の「ファミリーマート」やファストフード各社も猛追。百貨店はもちろん、スーパーマーケットの総菜売り場や食肉売り場もチキン関連が前面に打ち出される。また、ホテルなどでも、クリスマスディナーにローストチキンなどのチキンメニューがラインアップされることが多い。
とは言うものの、クリスマスにチキンを食べる文化というのは、世界広しといえども、どうも日本特有のものであるらしい。
「クリスマスにチキンは日本だけ」のナゾ

以前勤めていた職場に半年ほど、ヴィクトールというスペイン人が社会人インターンの形で在籍していたことがある。仲良くなっていろいろ話すようになったが、クリスマスが近づいてきたある日、彼は不思議そうに言った。曰(いわ)く、「日本ではクリスマスにチキンを食べるけど、変わってるよね」と。
私が、ヴィクトールはクリスマスに何を食べるのかと聞くと、ビーフだという。それはヴィクトールの家でそうなのかと聞くと、スペインのたいていの友達の家はそうだという。ヨーロッパの他の国ではどうだろうと聞くと、ビーフや魚介などの料理を食べるだろうけれど、チキンはあまり聞かないという。そのときの会話では、およそ彼が言いたかったことというのは「ごちそうとして食べる肉はビーフ」ということだと受け取った。
米国はどうか。米国人や米国滞在歴のある日本人などに聞いてみると、やはりビーフが多く、感謝祭(米国では11月の第4木曜日)の定番のターキーをクリスマスにも食べるという声も聞かれた。そしていずれにせよ、やはり「チキンは食べないかな」とも。

なぜ日本ではクリスマスにチキンを食べるようになったのか。よく聞かれる有名な話は、日本ケンタッキー・フライド・チキンが1970年代に「クリスマスにはケンタッキー」という広告展開を行ったことが発祥だというもの。これは同社の広報資料でも読んだことがあり、多くのメディアでも紹介されている。
お肉がないならおすしを食べればいいじゃない

ただ、筆者はこのことには異論がある。「ケンタッキーフライドチキン」が日本に上陸した1970年よりも前、私事ながら、子供の私はそのシーズンに骨付き鶏もも肉を焼いたものを出してもらうのが楽しみだった。出身地(北海道函館市)のスーパーでも、クリスマスシーズンにローストチキンなどの鶏料理や鶏肉を売り出していたのを覚えている。
日本ケンタッキー・フライド・チキンのキャンペーンが日本市場に大きな影響を与えたことは間違いないだろうが、それは同社だけが発想し、同社が初めて取り組んだことではなかったはずだ。
食品の流通の世界では、統計から分かっている知見のいくつかが、食ビジネスを理解するための基礎的な知識として扱われているが、そのなかの一つが、「その国・地域の所得が上昇すると動物性たんぱく質の需要が伸びる」というもの。
日本国民の所得がはっきりと上昇し始めたのは、「所得倍増計画」の発表があった1960年以降。つまり、理論的には日本人はその頃から、穀物よりも動物性たんぱく質を求めるようになったと言える。ただ、当時の日本にはちょっと特殊な事情があった。肉の供給が十分でなかったのだ。
太平洋戦争が終わった1945年は大凶作の年でもあり、日本の戦後は飢餓とともに始まった。そこで農林省(当時)が打ち出したのは、芋類栽培の推進と、稲作の技術革新だった。コメは、作付けの推進、品種改良、水田の基盤整備、肥料を与えるプロセスの工夫、そして機械化によって1970年ごろには減反政策に転じざるを得ないほどよくとれるようになった。

ただ、その裏で後手に回った観が否めないのが畜産と、それのための飼料栽培だった。計画的に大量の畜産物を得るには、近代的な畜産のノウハウが必要だが、牛や豚について米国式の近代畜産が本格的に日本に紹介されたのは1960年ごろから後となる。
だが、魚介はあった。地域ごとの近海漁業に加え、今日では当たり前となっているEEZ(排他的経済水域)の設定(「二百カイリ問題」と呼ばれた)がなかった時代。日本の水産業では世界の国々の目の前まで行って大量の魚をとって帰ってくる遠洋漁業も盛んだった。
コメと魚はある。さらに1960年代中盤以降には冷蔵・冷凍の流通網も発達する。ということで、「日本のごちそう=すし」という構図が、1970年ごろまでに完成したと言える。
しかし、欧米由来の行事であるクリスマスにすしというのはどうか? 逆に、現在ではむしろ目先を変えて、あるいは欧米でも人気のあるごちそうとして「クリスマスにすし」はありではあるだろうが、何しろ「国産」より「舶来」のほうが上と見られていた昭和の時代のこと。小売業でも外食業でも「それはキャンペーンとして扱いづらい」と考えたことは容易に想像できる。
そのとき、牛肉や豚肉の供給は頼りないものでも、実は鶏肉はあったのだ。
冷凍しないチルド鶏を探す楽しみ

現在は飲食店としての営業を終えている大阪・道頓堀の「くいだおれ」。長らく総合飲食ビルとして営業していたが、創業者山田六郎はさまざまなビジネスを手掛けたアイデアマンの商業者だった。彼は1960年代に近代的養鶏による若鶏生産=ブロイラーに商機を見出し、鶏料理店も出店して、これが「くいだおれ」ビルへとつながっていった。同様にブロイラーを手掛ける事業者はその頃日本各地に現れ、さらに、戦前にも国内の一部でブロイラーを手掛ける生産者がいたという。
いやいや、さらに昔。日本では江戸時代から鶏料理を扱う店はあった。たとえば、親子丼で有名な鶏料理「玉ひで」(東京・中央)は軍鶏料理の専門店として1760(宝暦10)年に開業している。また、江戸時代に岡っ引きだった半七老人から当時の話を聞いたという形をとっている岡本綺堂「半七捕物帳」にも鶏料理店が出てくる(「大森の鶏」など)。
日本では、遅くとも江戸時代には鶏を扱う店があり、鶏を調理する技術と食べる文化があったわけだ。これを、戦後、西洋風の料理にして新しい文化としたのが、日本のクリスマスのチキンだと言えるだろう。
「いや、江戸時代には殺生を避けるべきだとする仏教の教えで肉食が禁じられていたのでは」と考える向きもあるだろう。しかし、江戸時代に肉を扱う飲食店はあり、黄表紙(今日の週刊誌や漫画本のような印刷物)などにも描写が見られるし、彦根藩で牛肉の味噌漬け(「反本丸」という薬だった)を作ったのは元禄年間と伝えられ、これは幕府にも献上されていた。食べ付けないものを苦手に思うといった意味から肉食を避けるムードがあったとしても、それが全く禁止されていたというわけではなさそうだ。

それにしても、牛や豚は鶏ほどには食べられていなかったようだ。それはなぜか? 鶏は牛や豚よりも小さい。だから、鶏であれば小規模な店でも生(い)け物として扱うことができ、冷蔵庫がない時代でも流通・提供が可能だったためだろう。そのような鶏流通は、今日でも世界各地の市場でも見られるものだ。
ちなみに、そうした鶏肉は当然冷凍していないものであるわけだが、その味は格別だったのに違いない。鶏肉に限らないことだが、冷凍・解凍を行うと、赤い汁(ドリップ)が出て、これによってうま味が失われるが、生け物や冷蔵であればそれを防ぐことができる。
実際、冷蔵はしても冷凍していない鶏肉を扱っているという鶏肉専門店や焼鳥店には繁盛店や名店が多い。ちなみに、「ケンタッキーフライドチキン」が使う鶏肉も、一部補助的に冷凍を使うが、基本はチルド(冷蔵品)だという。
チキンを選ぶときには、産地や銘柄にこだわるのも楽しいが、そのようなチルドものを扱っている店を探すことが、実はなかなか価値のあるぜいたくな行動でもある。
(香雪社 斎藤訓之)
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