岐阜・平野醸造、愚直に手作り 地元名水生かす

「日本三大清流」の一つに数えられる長良川の上流域にある岐阜県郡上市大和地区。支流の栗巣川沿いに立つ蔵で、1873年の創業以来150年間、酒造りを続けてきた平野醸造は、地元の清水と米の良さを生かした手作りの味にこだわる。
商品の多くを占める「母情」シリーズは初代平野吉兵衛の妻「じゅう」に由来する。木材や製糸業も営み、地方きっての実業家だった平野家を切り盛りしながら、明治維新で生活が変わり、困窮する地域の人たちを支援したじゅうは「おじゅう様」と親しまれた。その母の豊かな愛情を酒造りに生かしたいと、二代目が「甘露」から名を改めたのが始まりだ。

銘柄のごとく「社員にも愛情を持って酒造りをしてほしい」と平野雄三社長は話す。「古今伝授の里の水」の名で知られる近くの名水を地下約80メートルからくみ上げて仕込み水に使い、純米酒は地元産の酒造好適米「五百万石」を全面的に採用。「酒造りは何より水と米が大事」との信念のもと、基本を守りながら人手をかけて酒を醸していく。
伝統を感じさせるのが、昭和中期にタイムスリップした感覚になる仕込み蔵だ。古い木戸をくぐると、1960年前後に造られたもろみ作り用のホーロータンクや冷却設備が並ぶ。
創業以来、杜氏(とうじ)は東北地方や新潟からの出稼ぎだったが、5年ほど前、日置義浩さんが初めて自社で育った杜氏になった。日置さんは麹(こうじ)造りの際は夜中に何度も起きて状態を確認。室温などのわずかな変化にも神経をとがらせ、機械管理に頼らない酒造りを続ける。
一大観光地に発展した近隣の高山市や下呂市と異なり、奥美濃といわれ古い町並みが残る郡上の地域性は「純真ですれてない」(平野社長)。原風景が残る酒蔵でできた母情は、すっきりとした淡麗辛口から甘口まで20種類以上をそろえながら、共通するのはどこか優しい味わいだ。近年、70年前の木おけで仕込んだ「郡上風土酒」の販売も始まった。

事前予約すれば蔵は見学可能で、古今伝授の里の水も自由に試飲できる。2010年代後半からは、「もっと酒のことを知ってほしい」と地域との交流も始めた。
12月に新酒を楽しむ蔵開きは、出店が立ち並び地域おこしに一役買うイベントに発展。SNS(交流サイト)で知り県外から訪れる愛好家もいる。市の創業支援事業を活用して移住者が企画した、飲み手が五百万石の田植えから参加できる「一から百酒プロジェクト」も始めるなど、蔵元として存在感を増している。
主に近隣のホテル・旅館や小売店に卸し、オンラインショップなどでも購入できるが、東京・大阪など大消費地での販売は手薄だった。県内での知名度の割に、全国的には知られていない。
今後は主要都市にも積極的に販路を広げ「海外にも販売していきたい」と平野社長。日本の自然と匠(たくみ)の技が詰まった老舗の味が世界に届く日を夢見ている。
(岐阜支局長 西堀卓司)

[日本経済新聞電子版 2022年9月22日付]
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