復興とともに進化する日本酒 福島・大熊町「帰忘郷」

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災地に、一風変わった名前の日本酒ができた。福島県大熊町の「帰忘郷」。避難は長きにわたれど忘れ得ぬ故郷――。そんな思いを宿している。
「1年目よりいい(原料の)お米がとれた。復興に向け変わっていく大熊町を思い浮かべてもらえるような味わいに仕上がった」。2月、大熊町内であった完成報告会。醸造元の高橋庄作酒造店(会津若松市)の高橋亘社長がデビューから2年目の帰忘郷をPRした。
沿岸部の大熊町から西へ約100キロ。会津若松市は内陸の雪国だ。原発事故後、大熊町から多くの避難者を受け入れた。町の一部で避難指示が解除された2019年までの約8年間、役場機能も置かれた。
「お世話になった会津の人たちに恩返しできないか」。帰還開始を前に、町の若手職員3人が話し合った。持ち上がったのが町産米で仕込む酒造り。「会津に来て、日本酒はこんなにおいしいのだと知った」(町職員の石田祐一郎さん)のも大きかった。
市内の酒蔵に醸造を打診するなかで、高橋社長に出会った。「うちはその手の企画は受けていません。ただ、今回は『気持ち』でしょ? できることはやりますよ」。蔵を訪ねた石田さんに高橋社長はこう伝えたという。

その「気持ち」に応えた人が地元・大熊町にもいる。町農業委員会の根本友子会長。除染後の田んぼでコメの試験・実証栽培の先頭に立った。20年からは帰忘郷用の酒米「五百万石」を育てる。「若い人と一緒に酒造りの夢を見ることができる。幸せだ」と笑う。
名称は20年、公募で決まった。町民は避難で離散したが、どこにいても故郷を忘れない――。作者はそんな思いを込めた。同県いわき市に避難する根本会長は「帰りたくても帰れない。でもふるさとを忘れない。私の思いと全く同じ」と話す。
22年産帰忘郷の味わいはどうか。会津若松市観光大使で利き酒師の資格を持つ氏家エイミーさんによると、果実のような香りをそなえ、爽やかなお酒に仕上がった。「ずばっと切れる」後口も特徴で、濃い味付けの料理にも合うという。

今回はクラウドファンディング(CF)を活用。日本酒を企画する、おおくままちづくり公社には当初、「大熊産米で造る日本酒は受け入れられるのか」と、風評への不安もあったが、455人から815万円を集めた。開始3週間で目標の500万円に届き、上限を引き上げた。
22年は21年の1.8倍の4合瓶(720ミリリットル入り)約2100本を製造。約500本をCF支援者に贈り、残りを一般販売する。震災から11年となる11日から、町内のコンビニや宿泊温浴施設などで扱っている。
酒米の作付けは今年、3年目を迎える。「土づくりには本来5~6年はかかる」と根本会長。だから、米作りには伸びしろもある。帰忘郷を毎年味わえば、町の復興の歩みを舌で確かめることができる。
(福島支局長 黒滝啓介)

[日本経済新聞電子版 2022年3月17日付]
関連リンク
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。