奈良・宇陀の久保本家酒造、手間暇かけて生酛造りが醸す

日本酒のラベルによく見かける「山廃(やまはい)」の意味をご存じだろうか。正式には「山卸廃止」を略した酒造用語で、「山卸し」とは江戸時代に確立した伝統製法「生酛(きもと)造り」の工程の一つ。「酛(もと)すり」とも呼ばれ、蒸米と麹(こうじ)を櫂(かい)ですり潰してペースト状にしていく重労働である。
奈良県東部の宇陀市に蔵を構える久保本家酒造では、19年前から生酛造りに挑んでいる。つまり単調でつらい「山卸し」を廃さないやり方だ。手間暇がかかるが、その分、キレがあり、しっかりした深い味わいの酒ができる。はやりのフルーティーな日本酒とは一線を画し、根強いファンを増やしている。
3月上旬、蔵を訪れた。古い町並みが残る宇陀松山地区。戦国時代に城下町として整備され、交通の要衝だったことから、江戸時代には宇陀松山藩の陣屋町として栄えた。久保本家の創業は1702年(元禄15年)。伊勢へ続く古道沿いの酒蔵は、格子や虫籠窓に歴史を刻んだ町家のたたずまいを残している。

朝5時から始まる酒造り。蒸米の蒸気が蔵いっぱいに立ちこめる。山卸しの季節は寒さがピークになる12~1月なので見学はかなわなかったが、蔵人たちが桶(おけ)を囲み、櫂を入れ続ける作業は2~3時間ごとに数回、朝から深夜に及ぶという。
酒造りは、発酵スターターである酒母の出来に左右される。生酛造りとは蔵内に漂う天然の乳酸菌の発酵を利用して酒母をつくる方法。戦前まではごく普通に行われてきたが、いまは少数派だ。

「生酛造りは時間も手間もかかるうえ、酒にならずに腐ってしまう腐造の危険性が高く、三重苦といわれています」と11代目当主の久保順平社長(60)。天然の乳酸菌の力を引き込む生酛は酒母ができるまで約40日。人工の乳酸を加える主流の速醸造りに比べて倍以上の時間がかかる。
それでも生酛造りに賭けたのには理由がある。元銀行員で英国駐在経験もある久保氏が銀行を辞め、家業を担うようになったのは1995年、33歳の時。当時は大手酒造会社に酒を売る「桶売り」が中心で、将来的に下請けの仕事はなくなるという危機感があった。
新しい酒造りを模索していた時に出会ったのが、「生酛の純米酒を醸したい」と各地で修業を積んできた杜氏(とうじ)の加藤克則さん(63)だ。2003年に加藤さんを招くと蔵を大改造。「小さい蔵だからこそできる」と独自の純米酒路線に舵(かじ)を切った。

看板商品の純米生酛「睡龍(すいりゅう)」はじめ、米のうまみたっぷりの「生酛のどぶ」が人気だ。従来のにごり酒にはないキレが光る。「少し水を加え燗(かん)にするのが一番うまい飲み方」と加藤さん。
「自分がうまいと思う、ウソのない酒造りをする」。厳しく頑固だが、腕利きの杜氏のもと、次を担う若い蔵人たちも育っている。
(奈良支局長 岡本憲明)

[日本経済新聞電子版 2022年4月14日付]
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