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佐賀・富久千代酒造「鍋島」 ネット頼らず酒店で販売

NIKKEI STYLE

焼酎の蔵元が集まる焼酎王国の九州で、佐賀県は「日本酒県」の独自の地位を堅持する。国内有数の米どころで名水にも恵まれ、良質な酒を古くから造り続けてきた。

ただ地酒ブームをけん引した新潟県の地酒と比べ、知名度は低かった。この状況を変えたのが富久千代酒造(佐賀県鹿島市)の「鍋島」だ。英国で2011年に開かれた世界最大級の品評会で最高賞を獲得。佐賀の酒が国内外に広く知られる契機となった。

同酒造の3代目、飯盛直喜社長は商社勤務を経て1989年から家業の酒蔵で働き始めた。当時の環境は厳しかったという。日本酒の市場は年々縮小。酒類免許が緩和され、量販店での安売り競争の波にも襲われた。飯盛社長は「(廉価な)普通酒が当たり前だった時代。大手を見学に行って規模の違いにがくぜんとし、価格競争は無理だとわかった」と振り返る。

パートを含めて従業員数が30人に満たない小さな蔵元が、どうすれば生き残れるか。考え抜いて、安売りとは一線を画す方向性を出した。「全てを吟醸造りにする。佐賀、九州を代表する断トツの酒を造る」。佐賀県産の山田錦など各地の酒米と向き合い、それぞれのよさを最大限に引き出そうと試行錯誤を続けた。

独特なのが売り場を地酒専門店に絞る特約店方式にしたことだ。直販もネット販売もしない。うまい酒を追求するからには、それを伝えられる酒店で売りたい。その信念で店主らに「愛される酒を共に造ろう」と呼びかけ、意見を聞きながら酒造りにまい進した。

98年から「鍋島」を売り出した。しばらくは売れず、共同代表を務める妻の理絵さんは「私の経営する調剤薬局の稼ぎで従業員の給料を払っていた」と苦笑する。徐々に口コミで評判となり注文が増えていったが、特約店方式は守り続けた。

飯盛社長は「11年に最高賞を受賞したとき、特約店のみんなが『俺の鍋島が世界一をとった!』と自分のことのように喜んでくれた。よいお店と酒を造り、よいお客とつながったからブームで終わらなかった」と感謝する。佐賀県の4店舗で始まった特約店は現在、27都道府県の107店にまで広がった。

酒造りの成功は地域活性にも一役買う。鍋島の快挙を機に、12年から鹿島市の蔵元などが連携して「鹿島酒蔵ツーリズム」を開始。酒蔵を巡って新酒の試飲を楽しむもので、10万人が訪れる名物イベントに成長した。

さらに地域を盛り上げようと富久千代酒造は21年、市内の旧商家を改装したレストラン兼宿泊施設「御宿 富久千代」を開設した。酒蔵が直営する宿は全国でも珍しい。宿泊者は非公開の酒蔵を特別に見学でき、レストランで鍋島と相性の良い日本料理を楽しめる。

活気を支えるため、東京の大学に進学していた飯盛社長の長女、日奈子さんが昨年から同酒造で働く。飯盛社長から「4代目」の期待を受ける日奈子さんは「『鍋島』ブランドをもっと洗練させたい」と意気込んでいる。

(佐賀支局長 諸岡良宣)

[日本経済新聞電子版 2022年3月10日付]

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