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山城結ぶ「のろし駅伝」、琵琶湖一周に挑む

時を刻む

三雲城跡ののろし上げでは太鼓の演奏も披露された(11月23日、滋賀県湖南市)

滋賀県は中近世に築かれた城館が1300カ所以上ある「城の国」だ。点在する城跡で次々にのろしを上げて琵琶湖を一周できれば、どんなに壮観だろう。そう考えた歴史愛好家らによって「近江中世城跡 琵琶湖一周のろし駅伝」が毎年11月23日に開かれている。19回目となる今年は39カ所が参加した。

滋賀県南部の湖南市にある三雲城跡。曇天のこの日、山の中腹にある駐車場に80人ほどが集まった。1つ前の水口岡山城跡ののろしは見えなかったが、パンパンという鉄砲隊の発砲の後、高さ4メートルの煙突から白い煙がゆっくりと立ち上った。

地元の太鼓の演奏も披露され、地域の文化祭の趣だった。甲冑(かっちゅう)を着込んで、この城ののろしを担当した園部俊治さんは「のろし駅伝は地元の人が地域の文化財である城跡に注目するきっかけをつくった」と話す。

のろし駅伝は午前10時、明智光秀の出身地の説がある同県多賀町の5つの城跡から一斉にスタートした。以後はほぼ4分おきの割り当てられた時刻に1カ所ずつ点火。時計回りに琵琶湖を一周し、昼すぎに最終地点の佐和山城跡(同県彦根市)に達した。

後で集計すると、悪天で3カ所が実施を見送った。同時にスタートした5カ所などを除き、1つ前の順番ののろしを目視できたのは15カ所にとどまった。

19年前、この酔狂なイベントの開催を呼びかけたのは中山道の宿場町、番場(同県米原市)に住む泉峰一さんだった。地域の歴史の勉強会を立ち上げていた。近くには国史跡の鎌刃城跡があり、尾根上の城跡からは国宝の彦根城や佐和山城跡が見渡せる。「のろしでも上げればよく見えるだろうと考えた」と振り返る。

中世にのろしは伝達手段として実際に使われていたようだ。「今夜城中之東南不挙烽(のろしあがらず)、不鳴鐘矣、少康耳」。京都の相国寺鹿苑(ろくおん)院主が書き残した日記「鹿苑日録」によると、室町時代の1499年にのろしの記述がある。

ここに出てくるのは現在の京都府城陽市にある水主(みずし)城だ。応仁の乱後も対立が続いた地域で、火急を知らせるのろしと鐘の存在が緊迫感を伝える。全国の城郭に詳しい滋賀県立大学の中井均教授は「平地の城に記録が残るということは、見通しのいい山城では日常的にのろしが使われていたはずだ」と指摘する。

中井教授によると、旧国別で最も城館が多いのは伊賀国(三重県の一部)で2000カ所。小規模な土豪が割拠しそれぞれに城を構えた。近江国だった滋賀県は2番目だ。

なぜ城郭が多かったのか。城館の多さはそこに住む領主の多さを示す。「近江の農業生産力が高かったことが大きい。通常なら2~3つの村落に1人の領主がいたが、近江では1つの村落で領主を支える経済力があった」(中井教授)。14世紀の南北朝争乱、15世紀の応仁の乱、16世紀の戦国争乱期を経て土塁や堀切を構える城館が増えた。

滋賀県が1996年に作成した城郭分布地図「淡海(おうみ)の城」に記載されたのは1328カ所。広い平地を中心に、街道筋や山際に多い。最も密集ぶりが目立つのが県南部の甲賀地域だ。伊賀と同様に中小領主が多かった。狭い地域に県全体の2割近い248カ所が集中する。

折しもお城ブーム。滋賀県は豊富な城跡を観光や地域活性化に生かそうと今年、城郭の写真と説明を名刺大のカードにまとめた15城の「近江の城カード」を発行した。

自転車の「ビワイチ」をはじめ、近江人は琵琶湖一周が好きだ。悪天や距離に阻まれ、のろしのビワイチは厳密にはつながらなかった。それでも城好きのネットワークを国中に張り巡らせる役割を果たした。

(木下修臣)

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