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近江鉄道、「辛苦是経営」の120年 上下分離で存続模索

時を刻む

開業から120年を超える近江鉄道(滋賀県彦根市)が経営の大きな節目を迎えようとしている。沿線の人口減や車利用の拡大などで鉄道事業は赤字が続き、2024年に公有民営の上下分離方式を導入する。滋賀県東部に60キロの路線を持ち、田園地帯を一直線に疾走する姿が象徴的だが、その歴史は曲折に満ちていた。

地元出資で開設

近江鉄道は旧彦根藩士らの呼びかけで近江商人の資金を活用して開設された。その後の歴史は3つの期間に分けられる。1898年(明治31年)の運行開始から地元資本を中心にした28年間。1926年(大正15年)から宇治川電気(現在の関西電力の前身の一部)傘下の17年間。そして1943年(昭和18年)の箱根土地(現プリンスホテル)に買収されて現在の西武グループに入ってからの78年間だ。

滋賀大学の小川功名誉教授(観光社会学)によると、鉄道国有法が公布された1906年(明治39年)当時に存在した初期の私設鉄道約30社のうち、社名が一度も変わることなく存続しているのは近江鉄道と東武鉄道の2社しかない。

経営のピンチは開業直後に訪れる。人口や貨物が少ないため、収入が増えず、線路敷設のための借り入れ金が返済できない。1901年(明治34年)経営陣が優先株によって100万円を出資する形で自ら負担。資本金で欠損を補填する減資も2度経験する。このときの経営陣の言葉が本社に残る「辛苦是(これ)経営」の石碑につながる。

小川さんは「英国製レールなどの立派すぎる設備投資が過大になり、資金回収できなくなった。近くに東海道線もあり、幹線になるルートではない。彦根藩のプライド、維新後の地域の衰退に対する焦りが根底にあった」と指摘する。

宇治川電気傘下の第2期は余剰電力の活用を目的にした電力会社をバックに、全路線で電化が進む。彦根―米原間も営業を始めた。経営は安定するが、戦時統制の下で電力会社からの分離が国策で進められた。

次に近江鉄道を買収した箱根土地は滋賀県選出の国会議員だった堤康次郎が創設した企業だ。地元のインフラ企業を握り、選挙を有利にする狙いだったとの見方もある。

戦後、自動車が普及すると、輸送人員は1967年度の1126万人をピークに減少に転じる。2020年度は新型コロナウイルス禍の影響で373万人に落ち込む見通しだ。鉄道事業の営業損益は1994年度に赤字に陥り、2020年度まで27年連続が免れない。20年度の近江鉄道の売上高65億円(見通し)のうち、鉄道事業は12%にすぎない。収益の柱は高速道路サービスエリアの運営などが担っている。

新たな体制へ

1998年度に国や滋賀県、沿線自治体が設備投資の一部を負担する「活性化計画」がスタートした。2016年には「民間企業として経営を維持するのは困難」と抜本的な支援策を県に要望した。存続のための法定協議会が発足し、24年度からの上下分離方式の導入方針が決まった。自治体が鉄道施設を保有し、民間は運行に専念する。

法定協の委員を務め、国内や欧州の公共交通に詳しい関西大学の宇都宮浄人教授(交通経済学)は「公共交通への支援は負担ではなく、将来に地域の価値を生み出す投資。上下分離は官民の役割分担の再構築と捉えるべきだ」と話す。

近江鉄道の飯田則昭社長は「地域に設備の負担をお願いする分、サービス向上に努めたい。駅前のにぎわいづくりなど、利用客の増加に直接結びつかなくても、幅広い地域貢献の方法を探っていく」と話す。ただ要望の多い増便には、車両増や変電所の新設など課題が多いようだ。

上下分離方式を導入する24年度からは第4期に入るといえる。地元が支えるという意味では設立当初の姿に戻る。滋賀県と沿線10市町は大きな負担を受け入れて、近江鉄道を残す道を選んだ。新型コロナ禍で乗客が減り、自治体財政の厳しさも増すなか、新たな難路が始まる。

(木下修臣)

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