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「一目千本」の吉野山の桜、どうやって守られてきたか

とことん調査隊

吉水神社からみた中千本

「一目千本」とたたえられる吉野山(奈良県吉野町)の桜。今年は例年より10日早く4月初旬に見ごろを迎えたが、この山の桜の9割近くはヤマザクラだ。白い花が赤茶色の葉と交じり合い、遠目には鮮やかなピンク色にみえる。ガイドブックには修験道ゆかりの桜を多くの人が献木し、桜の山になったと書いてある。日本一の桜の名所は、どうやって守られてきたのだろう。

吉野山の桜は50㌶の山肌に広がり、山裾の「下千本」から「中千本」「上千本」「奥千本」の順に約1カ月かけて咲き上る。毎年30万人近い花見客が訪れるが、今年は新型コロナウイルス禍で例年の半分以下の人出という。

吉野山の桜に詳しい樹木医の天野孝之さんに取材を申し込むと、「ちょうど吉野山に採種木の標本を採りにいくところだから、現地で落ち合いませんか」と返事がきた。待ち合わせ場所に指定されたのは、中千本の「五郎平茶屋」と呼ばれる広場だ。

シロヤマザクラの採種木と樹木医の天野孝之さん

「これが母樹と呼ぶ採種木です」。天野さんが見上げた枝ぶりのいいヤマザクラは樹齢80年ほど。種を拾って3~4年かけて畑で苗に育てるという。母樹は中千本にもう1本あり、桜の保護に取り組む「吉野山保勝会」の桜守たちが育てた苗を年間100本ほど老木の枯れた跡地などに植樹している。

白い花と赤茶色の葉が交じり合う吉野山のシロヤマザクラ

吉野山のヤマザクラは地元ではシロヤマザクラと呼ばれ、寿命は100~120年。近年、老木が増えて集団的な衰退現象がみられ、吉野山保勝会では20年ほど前から、樹勢のいい桜木を母樹に選定し、再生に取り組んできた。

ヤマザクラは一本一本、花や葉の色が違うのが特徴だ。「桜の仲間は『自家不和合性』といって自分の花のオシベでは実をつけません。別の桜の花粉がミツバチなどによって運ばれ、はじめて実ができる」と天野さん。母樹から種を採っても全く同じ色の花を咲かすものではないという。「昔は山の土地の所有形態がアバウトだったから、桜をどんどん新しいところに植えていった。だから桜の山が動いたなんていわれたもんです」

吉野山の桜は約1300年前、修験道の開祖、役行者が桜に蔵王権現を刻んだという故事から、人々が桜を献木して数を増やしてきた。幾度も盛衰を繰り返してきたが、最大の危機は明治維新後に訪れた。吉野山保勝会の前理事長でもある竹林院院主の福井良盟さんによると、きっかけは政府が1872年に出した修験道廃止令だ。

「お上のおとがめを恐れた住民らが桜を伐採して版木用に大阪の商人に売り払おうとした。相談を受けた山林王の土倉庄三郎が『これから外国に日本の文化を伝えていくときに、吉野の桜がなくなってどうする』と一喝。自ら多額の寄付をして桜を守った」。これを機に地元で保全運動が盛り上がり、1916年には桜の管理のための吉野山保勝会が発足。戦時中は燃料代わりに桜の乱伐もあったものの、戦後はますます桜の植林が盛んになった。

約3万本といわれる桜木だが、京都大学の森本幸裕名誉教授(景観生態学)らの研究チームが2011年にヘリコプターからのレーザー光線照射による初の精密調査をしたところ、確認できたのは約1万300本。うち48%が「生育不良」と診断された。森本名誉教授は「土壌の富栄養化などが菌類やコケ類の繁殖につながっている。長期的な視点から植栽全体を管理していく必要がある」と指摘する。

上千本の滝桜

樹木医の天野さんも「問題は桜の木を密に植えすぎていること。日当たりや風通しのいいようにしないと」と語る。「桜は春になったら勝手に咲くもんだと思っている人が多いかもしれない。でも、ここの桜は人が植えたもの。人が手入れをしてはじめてこういう具合に花が咲くんです」

(岡本憲明)

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