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なぜ「堺町」が全国に? 堺商人・境界、由来は諸説

とことん調査隊

堺の商人たち。千利休も商人だった(「さかい利晶の杜」の常設展示)

大阪府の政令指定都市である堺市。「堺市」の地名は全国に1つだが、「『堺町』は全国のあちこちにありますよ」と教えてくれた人がいる。なぜ点在しているのだろう。地名の由来を探ってみた。

調査テーマを授けてくれたのは堺市文化財課の鹿野吉則課長。少年時代に住んでいた奈良県で「堺町」を見つけ、就職後の調査で京都府にもあるのを知った。「中世に活躍した堺商人が全国に移り住んだからではないか」と理由も推測してくれた。

国土地理院のシステムで検索すると「堺町」は通称を含め10以上ある。その1つがある奈良県の大和郡山市役所に尋ねると市の歴史事典で調べてくれた。「1585年にお国入りした豊臣秀長が、城下町経営のため堺から商人らを集めて町をつくったといわれています」。秀長は天下を統一した秀吉の弟だ。

高知市のはりまや橋に近い堺町も、戦国武将と堺商人にゆかりがあった。高知県の歴史事典によれば、関ケ原の戦いで功績のあった山内一豊の入国時に、堺の呉服商がやって来て住み着いたという。

大阪府岸和田市の堺町はどうか。大阪歴史博物館の大沢研一館長は「戦国時代に堺と岸和田の間で人が行き来したことは確か」と話す。ただ堺出身の人が住んだ証拠はないという。結論は留保した方がよさそうだ。

大分県臼杵(うすき)市も堺と縁が深いと耳にした。同市に尋ねると、安土桃山時代の検地の記録に「堺鍛冶」が出てくる。裏付けるように堺市にあった鉄砲鍛冶、井上関右衛門家の史料にも「稲葉氏が治める臼杵に出入りしていた」との記録が残る。

さらに「さかいや」という菓子店が臼杵市に今もある。1700年代初めに堺から臼杵に移って回船問屋を営んでいた「堺屋」の屋号を受け継いだという。これだけ濃密な関係なのに、臼杵市役所によれば「当市に『堺町』はなく、過去の記録にも出てきません」とのこと。残念。

堺商人の行動半径の広さに感心していると「堺商人が由来と決めつけるのは早計」と注意してくれた人がいる。堺商人でもあった千利休と、与謝野晶子の展示施設「さかい利晶の杜(もり)」の学芸員、矢内一磨氏だ。「そもそも堺市の地名は、旧国名の摂津、和泉、河内の3国の境で発展したことに由来しています」

江戸時代の「日本図屏風」。堺は摂津、和泉、河内の3カ国の境界にある。堺市博物館所蔵

そうだった。だから堺市の市章も3つの「市」の字を組み合わせたデザインになっている。ほかの地域にも、何かと何かの境目にあったことが由来で、堺商人とは関係のない堺町があるに違いない。

境界の実例が岡山県津山市で見つかった。津山郷土博物館によると、同市の堺町は京町と西京町(現二階町)の中間にあり、東西の京町の境界にあったことが町名の由来といわれている。

「堺商人」と「境界」の2つがキーワードだが、元堺市博物館学芸員の吉田豊氏が融合案ともいえる見方を披露してくれた。全国的に城下町が整備された安土桃山時代から江戸初期に「堺の名は全国にとどろいていたと思う」と指摘。「推測だが、境界の町に堺商人が少しでも滞在したら堺町と表記したかもしれない」。南蛮貿易などで栄えた堺にあやかろうというわけだ。

江戸時代まで栄華を誇った堺もその後、全国的な注目度は徐々に低下していく。吉田氏は「さらなる繁栄を求めて『栄町』に変えるところもあっただろう」と話す。藪田貫・関西大学名誉教授も「『境』や『堺』をめでたい『栄』に変えるのは江戸時代には一般的だった」と指摘する。

過去からの継続性を読み方に残し、未来への希望を別の文字に託す町名変更だった。これから日本の地名はどう変わっていくのだろうか。

(塩田宏之)

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