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西陣織 西洋意匠を取り入れる(古今東西万博考)

1873年・ウィーン

西陣の井筒屋・4世伊達弥助はウィーン万博に随行したのち、欧州を視察。西洋の織技術や裂などを国内に紹介した

日本政府が初めて正式に参加した1873年ウィーン万博。美術工芸品として京都の西陣織は出品された。西陣を代表して洋行したのは江戸中期創業の井筒屋・4世伊達弥助だ。4世弥助はウィーン万博後、2年間欧州を見聞し当地で得た裂(きれ)や織機を持ち帰る。西陣にそのデザインや技術を伝えた。

西陣は当時、明治維新による東京遷都で大量の需要層を失っており、不況に見舞われていた。蘭学や医学など幅広い知識を持つ織の名工であった4世弥助は渡欧団の中でも最高齢の60歳だったが、西陣再興のため参加を決意した。

万博に出品したのは梨地の織物で進歩賞を受賞した。西陣が初めて広く世界に紹介された時だったが、ウィーン万博では自国の工芸品を紹介するのではなく、ヨーロッパ各国の技術や需要を探ることに重きを置いていたようだ。

4世弥助は万博後、ドイツやフランス、イタリア、英国などの産地を訪ね、織や染色、養蚕の技術、裂帖、最新織機であった「ジャカード」などを見聞。国内に持ち帰り紹介した。裂帖は2分冊で200枚ほどある裂を丁寧に貼り付けており、鮮やかな色彩やアール・ヌーボー風の曲線を取り入れたデザインを総覧できる。4世弥助は75年に帰国、翌年に亡くなる。後を継いだ5世弥助は4世が持ち帰った技術や裂を参考に新しい織を生み出していった。

万博前年の72年には西陣から3人の職人らが渡欧し、ジャカードを初めて国内に紹介した。西陣織物館の中川知子課長は「明治以降、西洋の文様などが西陣にも影響を与えたが、その中でも伊達家の功績は大きかった」と話す。

(村上由樹)

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