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並木正三の「演出革命」 現代の舞台に息づく

時を刻む

歌舞伎や演劇などの演出に欠かせない回り舞台、宙乗り、セリ(昇降装置)……。こうした舞台機構の多くが江戸時代の歌舞伎作者、並木正三(しょうざ)によって生み出された。正三については文献が少ないうえ明治以降はあまり作品が上演されず、歴史に埋もれてしまった。一体どんな人物だったのか。

視覚に訴える機構

400年以上の歴史を持つ南座(京都市)が3月27日~4月24日、舞台体験ツアーを行ったところ毎回完売に近い盛況ぶりとなった。中央の「回り舞台」に相当する直径13.18メートルの円の中に立つと、床がスーッと静かに回り1分ほどで1周。速度は10段階で調節でき、最速49秒で回る。セリは舞台上に大小9つあり、下降は2.4メートル、上昇は1.8メートルまで可能だ。上昇したセリに立つと2階席と同じ目線になり、スターになったような気分になる。

体験ツアーの案内人が「舞台機構の多くを考案したのが並木正三です」と説明すると、参加者の間に「だれだっけ?」という雰囲気が漂う。

「場面転換を容易にし、演出のあり方を変えた。現代のビジュアルなショーが可能なのは正三のおかげ」と話すのは南座の小林雄次郎支配人だ。「機構は人力から電動になったが基本構造は変わっておらず、その意味で画期的。もっと評価されてほしい」という。

数少ない文献の一つ、江戸時代の伝記「並木正三一代噺(ばなし)」などによると、正三は1730年大坂生まれ。道頓堀で育ち20歳の頃には立作者(座付き筆頭作者)に。53年「けいせい天羽衣(あまのはごろも)」でセリを昇降させる演出に成功。58年に角の芝居(後の角座)で回り舞台を使う。61年「霧太郎天狗酒醼(きりたろうてんぐのさかもり)」では宙乗りを実現した。ほかにも自身の役を登場させたり、舞台で本物の水を使ったりしたという。

正三の人を楽しませるアイデアはどこから来たのだろうか。ヒントになるのが「一代噺」にある「からくり芝居の下屋へ這入(はいいり)、ぜんまい積りものの糸どりを見おぼへ」という記述だ。

再評価へ上演挑む

舞台美術の歴史に詳しい演劇評論家の河内厚郎氏は「正三の家業は芝居茶屋。芝居小屋やからくり人形の『竹田の芝居』などを遊び場とし、自然と舞台裏に精通していった」と指摘する。彼が生きた18世紀半ばという時代背景にも着目。「当時は舞台美術の変革期。近松門左衛門の物語に耳を傾けた聴覚の時代が終わり、文楽人形が1人から3人遣いになるなど視覚重視になる。正三の演出は時代にマッチした」と解説する。

ではなぜ明治以降、正三は忘れられたのか。「維新後の芸術近代化でケレン(奇抜な演出)が否定的にとらえられた」。こう嘆くのは2019年春、大阪市に「道頓堀ミュージアム並木座」を開業した山根エンタープライズの山根秀宣社長だ。明治の演劇改良運動では上流階級の芸術だった西洋演劇を見習い、歌舞伎の大衆的な演出や荒唐無稽な筋立てが批判された。正三作品は上演されにくくなり、評価を下げてしまう。

そんな正三の再評価に取り組むのが並木座だ。市民劇団と連携してこれまでに正三の作品「桑名屋徳蔵入船(いりふね)物語」を2回上演。今後は「宿無団七時雨傘(やどなしだんしちしぐれのからかさ)」などに挑戦するという。今年9~12月には創作コメディー「正三のまわり舞台(仮題)」を4回上演する予定だ。

千日前の法善寺境内にある正三の墓を訪ねた。墓石には最期の言葉「南無三宝」が刻まれている。「なんてこった、これまでかと思いつつ仏様にご挨拶(あいさつ)したのでしょう」と山根社長。「何でも面白がる人。みんなが喜ぶことを考え、逆境も楽しんだと思う。今なら新型コロナウイルス禍を逆手に取って斬新でバーチャルな舞台を作ったに違いない」

コロナ禍の芸術文化の再生には、正三のような人を喜ばせる工夫が欠かせない。

(浜部貴司)

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