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鬼滅ブームに沸く柳生の一刀石 新陰流の極意どう伝授

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徳川将軍家の剣術指南役だった柳生一族。故郷の柳生地区(奈良市東部)には新型コロナウイルス禍にもかかわらず、観光客が引きも切らずに訪れる。一族の礎を築いた柳生宗厳(むねよし=石舟斎)が斬ったとの伝説がある巨石が、人気アニメ「鬼滅の刃」に出てくる岩と似ているからだ。地元では鬼滅ブームが「『剣聖の里』の真の姿を知ってもらう契機になれば」と期待している。

JR奈良駅から奈良市東部行きのバスに揺られ小一時間。柳生停留所で下車し、山道を南東へ歩くこと約30分。眼前に現れたのは約7㍍四方の花崗岩(かこうがん)の巨石だ。中央が垂直に裂けている。巨石の前には家族連れが数組。子供たちが「鬼滅」の登場人物の着物を着てプラスチックの刀を持ってポーズをとり、両親が写真や映像に収めている。観光客が増え始めたのは昨夏。市営柳生観光駐車場の昨年7~9月の駐車台数は1145台と前年同期の3.8倍。10~12月は3648台と8.7倍に達した。

一刀石の伝説

「一刀石」と呼ばれるこの巨石には不思議な伝説が残る。柳生の剣術である柳生新陰流の始祖、石舟斎が修行中に天狗(てんぐ)と戦い、一刀のもとに斬り捨てた。だがその瞬間に天狗が消え、巨石が2つに割れたという。

「この人気を柳生の真の姿を発信する機会につなげたい」というのは柳生観光協会の三浦孝造会長だ。1970年代以降「柳生一族の陰謀」などの映画やテレビ、小説に度々登場したが、過度に脚色されダーティーなイメージも付いた。それだけに「柳生新陰流は戦国乱世を断ち切った『治国平天下』の平和の剣。江戸時代の天下太平を導き、武士道の原点になったことを知ってもらいたい」と話す。

新陰流を完成したのが石舟斎の五男、柳生宗矩(むねのり)だ。彼は父と共に徳川家康に仕え秀忠、家光の剣術指南役となり全国の大名を監視する惣目付に就く。長男の三厳(十兵衛)による諸大名の動静を探る隠密行動の真偽は定かではないが、一族が幕藩体制確立に貢献したのは紛れもない事実だ。

将軍指南の名家

では新陰流の真の姿とは一体どういうものなのか。ヒントになるのが正木坂剣禅道場だ。1965年、柳生家の菩提寺である芳徳禅寺の当時の住職が奔走し、江戸期の道場をイメージして建てた。最大の特徴は道場と坐禅(ざぜん)の共存だ。板敷きの広い床の周囲三方に幅2㍍の畳敷きを設け、坐禅を組めるようにしている。

道場主である芳徳禅寺の橋本紹尚住職は「新陰流の極意は心の修養にある。禅の精神との一体をなす『剣禅一如』を取り入れている」と説く。執着心をなくし、勝敗を超えた境地に至る。宗矩は親交のあった禅僧、沢庵宗彭(たくあんそうほう)の影響を受けた。「刀を持ってもむやみに斬らない。心構えを強固にし敵を寄せ付けない。割った竹に袋をかぶせた『袋竹刀』を考案したのも新陰流」(橋本住職)という。

宗矩が著した「兵法家伝書」はこうした境地を「活人剣(かつにんけん)」と記す。「人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや」と。万人を生かしてこそ、剣の存在意義があるというわけだ。

「一刀石」に来る観光客をどう地域に呼び込むか。柳生観光協会は昨年10月、コスプレ撮影会を開催。コスプレーヤーに着替え場所を提供し、芳徳禅寺や剣禅道場などを案内した。4・6月にも行う予定だ。「歴史や文化を体験し魅力に気付けば、また来たいと思ってもらえる」と黒田篤史事務局長。コロナ後をにらんで奈良市観光協会作成の英語と中国語の観光ガイドにわかりやすい案内を掲載し、民泊事業も拡充している。

柳生地区から西の高畑地区にかけては江戸期に整備された柳生街道が残る。木々が生い茂る石畳の古道を心静かに歩けば、柳生が目指したものが感じられるかもしれない。

(浜部貴司)

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