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京都・岡崎の日本庭園、池の水はどこから?

とことん調査隊

昨春、大規模改装を経てオープンした京都市京セラ美術館。東側にある日本庭園を眺めていると、学芸員から「この庭園の池はもともと隣の動物園から水を引いていたんですよ」と一言。聞けば、このあたりの庭園の池はほぼすべてが専用の管でつながっており、いわば池から池へと水を融通し合っている状態らしい。なぜそんな水路の通し方をしているのだろう。起源を調べると、近代の京都の土地政策の苦闘が見えてきた。

京セラ美術館が位置する岡崎から南禅寺にかけては京都でも屈指の日本庭園の集積地だ。庭園の池をつなぐ専用管はどこにどう通っているのか。まずは京都市の上下水道局に問い合わせたところ、「あまりに古い話で私たちも把握していない。ただ、個人で専用管の地図を作った研究者がいる」と連絡先を教えてくれた。

地図を作ったという京都芸術大学(同市)の尼崎博正教授に会いに行った。庭園の池をつなぐ専用管の地図は、尼崎教授が1990年代に5年ほどかけて作成したもの。「管はほぼ地下に埋まっている。マンホールを開けたり、池にインクを垂らして次の池に流れてくるか調べたり、足を使って地道に調べた」(尼崎教授)といい、地図を示しながら水系を説明してくれた。

池の大本の水源は琵琶湖疏水(そすい)だ。琵琶湖疏水は、琵琶湖の水を大津市の三井寺そばからトンネルを経て京都側に引き入れたもの。疏水はトンネルを抜けると、西に向かう本流と、北に向かう分線に分かれる。池の水は主に分線から取水し、網の目状に庭園から庭園へと二つ三つの池を経由し、白川に流れ込む。「安定して豊富な水量を確保できる疏水があるからこれだけの庭園群を造れた。ただ、それはあくまで結果論」と尼崎教授。「池に使われた疏水の水は元をたどれば工業用水。本来の計画ではこのあたりは工場地帯になるはずだった」。どういうことだろう。

琵琶湖疏水の計画が持ち上がった明治時代、京都は人口の3分の1が減少。衰退の危機にひんしていた。そこで、京都を再興するために必要とされたのが工業力だ。当初、疏水の水で回す水車を動力源に、周辺を工場の集積地にする計画だった。だが、当時最新の水力発電の方が低コストで利便性が高いと判明し、計画は頓挫した。

結果、水と土地が余った。加えて、幕府のひごを失った南禅寺の土地が民間に払い下げになり、寺周辺の土地も浮いていた。「この空き地に目をつけたのが今でいうデベロッパー。用地を買い上げ、建て売りの庭付き高級別荘として売り出した」

別荘の作庭を一手に担ったのが庭師の7代目小川治兵衛だ。疏水の水を防火用水という名目で庭園に引き入れ、動きのある躍動的な水流をつくり出し、近代日本庭園の基礎を築いた。

治兵衛の代表作である山県有朋の別荘、無鄰菴(むりんあん)に足を運ぶと、庭園の中心にはせせらぎが流れ、田舎道を歩いているような素朴さがある。山県は庭造りが趣味で、特に水については池よりも山村に流れる川のような流れを好んだという。従来の日本庭園は枯れ山水のように石や池に象徴的な意味を持たせるのが主流だったが、山県はそういう庭には飽き足りなかったらしい。

無鄰菴は、日露開戦を目前に日本の外交方針を論じた無鄰菴会議の舞台でもある。「政財界の要人の別荘は政治の現場だ。南禅寺周辺の別荘地化には、政治経済の中心が東京に移った後も身近に政治の舞台を持ち続けたいという京都市の思惑があったのかもしれない」(尼崎教授)。風致の良い場所には人が集まる。文化の力をどう街の活力に繫げるか、別荘庭園には一つの解が示されていると感じた。

(山本紗世)

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