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スポーツメーカー、関西なぜ多い 野球と紡績が化学反応

とことん調査隊

ミズノにアシックス、デサント――。国内のスポーツ用品大手は関西に集中している。プロスポーツチームも多く、「高校野球の聖地」甲子園球場もある。メーカーの集積との関係は。疑問に思い、調べてみた。

甲子園での高校野球の歴史をひもとくと、すぐにミズノ創業者、水野利八氏の名前が出てきた。1906年、大阪で靴下などを扱う水野兄弟商会(現ミズノ)を設立。14年に堂島に工場を開設し、運動用ウエアの生産を始めた。同社は「当時ははかまをはいて野球をする人も多かった。洋服の運動用ウエアは動きやすく学生から需要があったようだ」と説明する。

水野氏は、画期的な商品を次々と生み出したアイデアマン。襟付きのカッターシャツもその一つだ。それまでのシャツは着るときに襟を付けていた。どう売ろうか考えている時に野球を観戦。観客が「勝った、勝った」と喜んでいる姿を見て「カッターシャツ」と名付けた。甲子園大会の土台を築いたのも水野氏だ。

野球にのめり込んだのは、創業前に京都の織物問屋で働いていた19歳のころ。海外に憧れ「外国人と知り合いになれるかも」と思い、神戸の外国人チームと地元の野球クラブの試合を見に行った。白球に必死で飛びつく選手の姿に感動し、グラウンドに通うようになったという。

「野球をもっと広めたい」。水野氏は13年、関西学生連合野球大会を大阪・豊中で開催した。15年には全国大会になり、後の夏の甲子園大会となる。参加校は第1回の約70校から右肩上がりで増え、第10回には約260校に。スポーツ史に詳しい龍谷大学の佐々木浩雄准教授は「24年に完成した甲子園球場の収容人数は4万人程度。球場をつくろうと思うくらい野球は人気だった」と話す。

野球ブームに商機を見いだす企業も出始めた。20年に渡辺梁三商店(現ゼット)、35年にツルヤ(現デサント)が大阪で創業した。当初はゼットがカバンやスポーツ用品、デサントが紳士服を手掛けていたが、野球用具に力を入れるようになる。

「近代的な紡績会社、繊維商社、織物産地が集まっていた大阪の土壌が野球用具の生産を助けた」。繊維産業史に詳しい神戸大学の平野恭平准教授が分析する。デサントも「港や川があり物流の便が良く、繊維卸も多い。アパレルやスポーツ用品会社が集まったのだろう」と推測する。

大阪では1882年設立の大阪紡績会社(現東洋紡)をきっかけに大阪湾を囲むように繊維産業が発達。「東洋のマンチェスター」と呼ばれた。ミズノは創業期から革のグラブを手掛けるが、革は貴重で帆布製が主流だった。

神戸のゴム産業の存在も欠かせない。英ダンロップが1909年にタイヤ工場(現住友ゴム工業)を神戸につくると、靴底に使うゴムの流通量が急増し、加工業者も増えた。49年に鬼塚商会(現アシックス)を創業した鬼塚喜八郎氏は地元のゴム加工業者で見習いとして働いた経験を生かし、バスケットボールシューズを開発した。

中小企業にも独自の強みがある。山本化学工業(大阪市)はトライアスロン用のウエットスーツ素材の世界シェアが9割以上だ。2008年の北京五輪では高速の競泳水着「レーザーレーサー」に対抗し、「たこ焼きラバー」を打ち出し注目を集めた。

新型コロナウイルスの感染拡大でスポーツ大会の中止・延期が相次いだ。上場大手の業績は厳しい。産業集積のメリットをミズノに聞くと、創業者・水野氏の言葉が返ってきた。「発展するには競争相手を持つことだ」。アスリートと同じように、企業も身近なライバルの存在が成長につながるのかもしれない。(佐藤諒)

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