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上宮時代の悪夢が原点 近大野球部監督・田中秀昌(中)

1985年に母校の大阪・上宮高のコーチとして指導者人生を歩み始めた田中秀昌は「これまでにすごい体験をたくさんさせてもらった」。

元木大介(元巨人)や種田仁(元中日など)を擁した89年春の選抜準優勝はネット裏で見守った。愛知・東邦高との決勝は高校野球史に残る幕切れだった。

上宮高は1989年春の甲子園決勝で悪夢の逆転サヨナラ負け。「野球の怖さを痛感した」と語る

想像のつかないことが次々と起こるのが野球

上宮が2-1と勝ち越した延長十回裏、東邦に2死走者なしから粘られ、一、二塁のピンチを招く。ここで次打者に中前打を浴び、二塁走者の生還を許して同点とされた。一塁走者を二、三塁間に挟んだが、三塁手・種田の二塁への送球がややそれてボールは外野へ。右翼手がバックアップに入っていたが、イレギュラーしたため後逸。ボールがライトフェンスに届く勢いで転々とする間に一塁走者も生還し、上宮にとっては悪夢の逆転サヨナラ負けとなった。

高校野球のオールドファンなら、スター球児だった元木がうずくまり、しばらく立ち上がれなかったのを覚えている人も多いだろう。田中は「右翼手もしっかりバックアップに入っており、やるべきことをやっていたのに負けた。野球の怖さを痛感した」。以降、勝っていても気を緩めず、負けていても決して諦めないチームづくりが田中の指導の核となる。

上宮高の監督になって1年半後の93年春の選抜で優勝。「レギュラーの平均身長が170センチ前後と小さく、プロが注目するような子もいなかった」。それでも元木や種田ら逸材ぞろいだった89年でも届かなかった全国制覇を果たすのだから、野球は分からない。ますます、想像のつかないことが次々に起こる野球のとりこになる。

高校時代に控えだった選手が、のちに大リーガーとして活躍するというのもこの世界の不思議さだろう。91年夏の監督就任時、新チームの2年生に黒田博樹(元ヤンキースなど)がいた。球は速いがコントロールが悪く、3番手投手だった。「授業態度は真面目で、練習も皆勤。人間性は素晴らしかったが、当時は大リーガーどころかプロ入りすることも想像できなかった」

「最後まで諦めない心」を植え付ける

上宮高を勇退後、2003年に大阪・柏原高(現東大阪大柏原高)の監督に就任。無名校なので野球の実績で世代トップクラスの中学生は入部しなかったが、06年夏の大阪府予選では前田健太(ツインズ)が投打の軸だったPL学園高に勝利。一方、10年夏の府予選で初戦敗退した時は辞任を考えた。

翌11年夏、ついに甲子園への切符をつかむ。主砲の石川慎吾(巨人)の強打で府大会を勝ち進み、決勝で当時2年生だった藤浪晋太郎(阪神)を擁する大阪桐蔭高を撃破した。最大5点のリードを許してからの大逆転劇。「100試合して1回勝てるかどうかの相手に勝てた」と田中。89年の悪夢の一戦以来、歴代の教え子たちに植え付けてきた「最後まで諦めない心」がついに実った瞬間だった。=敬称略

(田村城)

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