アルジェリア、脱石油遅れ ブーテフリカ氏「負の遺産」

【カイロ=久門武史】17日に84歳で死去した北アフリカの産油国アルジェリアのブーテフリカ前大統領は、約20年に及んだ長期政権で内戦を収束させた半面、世界が脱炭素にカジを切るなか、脱石油が遅れた。2019年の同氏退陣後も政官財に軍部がからむエリートの支配体制は維持され、経済停滞と社会の閉塞感は続いている。
ブーテフリカ氏は1954~62年の対仏独立闘争に加わり、99年の大統領選で初当選した。イスラム過激派との内戦を終わらせて一定の安定を回復し、2011年に本格化した中東の民主化運動「アラブの春」でも政権は揺るがなかった。14年に4選を果たしたが、前年に脳卒中を患ってから職務の大半を首相が代行するようになっていた。
この間に世界では温暖化対策への意識が高まった。世界最大の原油輸出国サウジアラビアも16年に脱石油の改革構想を打ち出したが、アルジェリアは出遅れた。

ブーテフリカ氏が19年に5選出馬を表明すると抗議デモが全土に広がり、辞任を余儀なくされた。後任のテブン元首相はブーテフリカ体制を内部で支えてきた。軍が支持しており、「プーボワール(権力)」と呼ばれる不透明な支配体制は温存された。
20年、国会議員の任期を2期までに制限する憲法改正案の是非を問う国民投票で投票率は約24%に低迷し、テブン政権への有権者の不信感を印象づけた。
アルジェリアはいまも輸出収入の9割を石油・天然ガスが占める。産油国のなかでも各種経済指標は悪い部類だ。財政収支は09年から赤字が続く。経済は石油相場次第で、公的債務は膨らむ傾向だ。新たな産業の育成は進まず、失業率は15%近い。