トルコ与党20年、急成長時代遠く 支持低迷で極右依存

【イスタンブール=木寺もも子】トルコ・エルドアン大統領の与党・公正発展党(AKP)は14日で結党20年を迎えた。高い成長率に支えられ、エルドアン氏の政権基盤を支えてきたが、近年は経済の失速もあり支持率は結党以来の最低水準に沈む。政権維持のため極右政党と組む事実上の連立は、若者や中道の支持者を失うリスクをはらみ、2023年に控える大統領選の勝利は容易ではない。
8月上旬、数万ヘクタールが山火事で焼失したトルコ南西部。エルドアン氏は現地を訪問すると、移動するバスの中から沿道の被災者に茶葉の包みをポンと投げた。被災者の支援としてエルドアン氏が取った行動は、若者らが集うSNS(交流サイト)上で「大炎上」した。
被災者に見舞いの品を贈る意図だったとみられるが、空前の災害に対する対応のまずさと相まって「不適切だ」との指摘が相次いだ。「政権の管理能力のなさ、エルドアン時代の『終わり』の始まりを象徴している」。コンサルティング会社テネオのウォルファンゴ・ピッコリ共同代表はこう評する。
AKPは01年に結党した翌年の02年に実施された総選挙で大勝、議院内閣制のもとで政権を奪取した。欧米寄りで一部のエリート層に牛耳られていた政治への不満の受け皿となり、中・低所得層向けの政策を推し進めた。住宅・医療などのインフラを整備し、人々の暮らしは目に見えて改善、1人当たり国内総生産(GDP)は10年で3倍になった。

AKPが掲げる親イスラムも民衆の心をつかんだ。国民の99%がイスラム教徒ながら、AKP政権以前は厳格な政教分離政策から、公共の場で女性がスカーフを着用することも認められていなかった。今では政治家が公の場で神をたたえるのが当たり前の光景になり、敬虔(けいけん)なイスラム教徒の立場は強まった。
AKP自体、国是の政教分離に違反するイスラム主義政党だとして解党の危機にもひんした。政争や憲法改正を通じて、国政に絶大な影響力を誇った軍の影響力をそぐなどした「民主化」は、加盟交渉が始まっていた欧州連合(EU)からも評価を受けた。
だが、強さを誇った政権基盤には陰りがみられる。各種世論調査によると、AKPの支持率は3割を切り、過去最低の水準に沈む。政府は新型コロナウイルス禍に見舞われた20年もプラス成長を達成したと誇るが、極端な金融緩和で支えた高成長の陰で通貨安が進み、国民は20%近いインフレに苦しむ。ドルベースの1人当たりGDPはピークの3分の2まで減少した。

「若者はかつての苦しかった時代を知らない」。エルドアン氏は何度もこうぼやく。32歳以下が人口の半数を占めるトルコでは、AKP政権の功績を体感していない世代の存在感が高まっている。
かつて弾圧を受ける側だったAKPの強権化も指摘される。19年に離党し、新党を立ち上げたババジャン元副首相は「3度目の選挙で大勝した11年ごろからおごり始めた。優秀な人材や官僚機構が遠ざけられ、エルドアン氏の独断が進んだ」と振り返る。
13年に起きた大規模なデモを力で鎮圧して以降は、メディアへの取り締まりや反対派への弾圧が進んだ。この傾向は16年のクーデター未遂を経ていっそう鮮明になり、ギュル元大統領、ダウトオール元首相といった大物も党を離れた。
強権化に拍車をかける極右政党の存在もある。民族主義者行動党(MHP)は16年以降、事実上の連立パートナーとして政権を支える。憲法裁判所の閉鎖、少数民族政党の解党などを公然と主張し、反対派への暴力事件も後を絶たない。
今年7月には女性へのドメスティックバイオレンス(DV)防止を目的とした国際条約「イスタンブール条約」から脱退し、国内外で非難を集めた。脱退はMHPの意向が働いたとされる。ただ、AKPの支持率が低下するほどに深まる極右依存は、若者や中道層離れを加速させるジレンマもはらむ。
次回の大統領選、議会選は23年6月までに行われる。野党の支持率はいずれもAKPを下回るが、複数の世論調査は野党が糾合してエルドアン氏と一騎打ちの対決に持ち込めば、対抗馬がエルドアン氏を上回るシナリオがあり得るとしている。