インフレ再燃、備え怠るな(The Economist)
経済学者はとかく何事にも反論したがるものだが、「インフレはもう起きない」という点に関してはほぼ意見が一致しているようだ。低インフレは経済政策や金融市場に前提として織り込まれている。だからこそ世界各国の中央銀行は政策金利をゼロ近辺まで引き下げるとともに、国債を大量に購入できる。

各国政府が新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な感染拡大)による大打撃から経済を救うために巨額の財政出動と借り入れに動けたのも、先進国の政府債務が国内総生産(GDP)比で125%に達する勢いで増えているのに反対論が噴出しないのも、低インフレが続いているからだ。
新型コロナ感染症の入院患者数が米国で10万人を超えているにもかかわらず、高利回りを求める動きがS&P500種株価指数を最高値にまで押し上げている。これほどまでに過熱した株式市場を正当化できるのは、景気が2021年以降に力強く回復する一方で、低インフレが続くという見通しだけだ。
しかし、ここへ来てパンデミック収束後には、高インフレの時代に突入するという一部の反対論者の声が力を増してきた。こうした主張は決定的なものとは言い難いが、根拠を欠いているわけではない。物価が高騰する可能性は低いとしても、政府債務と中銀資産が膨張しているだけに気掛かりだ。各国政府はインフレリスクから目をそらすのではなく、今のうちに対策を講じるべきだ。
サッチャー英首相(当時)は、賃金上昇が物価上昇を招き、物価上昇がさらなる賃金上昇を招く悪循環が社会を「破壊」しかねないと警鐘を鳴らした。以来数十年間を経て、先進国では低インフレが当然のこととなった。パンデミック前は雇用需給が逼迫しても物価が上向くことはなかったが、今や大量の失業者が発生している。
日本が1990年代にデフレに陥って以降、力強い物価上昇をなかなか実現できないように、とりわけユーロ圏をはじめとする欧米諸国が、日本化しつつあるとみる経済学者は多い。
ここへきて強まるインフレ論者の主張
低インフレの時代が終わるとの見立ては、これまで信じてきた教義を捨て去るのに等しい。(インフレ抑制を重視する)タカ派の一部が各国中銀による国債買い入れ(量的金融緩和、QE)はインフレを再燃させることになると警告したが、面目を失うだけに終わった。
だが、インフレ論者の主張はこのところ強まっている。リスクの一つは、インフレ率が21年、一時的に急上昇するというものだ。金融危機後とは対照的に、金融機関が積極的に融資を進めたため、20年の先進国での資金供給量は幅広い範囲で急増した。外出が規制されて自宅にこもりがちの消費者はお金を使い切れず、口座残高が膨れ上がっている。
だが、ワクチンが普及して「ズーム」などのビデオ会議システムから解放されれば、消費者は意気揚々と散財に走り、企業の生産能力の立て直しや増強が追いつかなくなってインフレに火がつきかねない。生産要素の一部がボトルネックになって需給が逼迫しつつあるため、インフレが発生する兆しがすでに見え始めている。たとえば幅広い産業分野に使われる銅は、年初から相場が25%上昇している。
世界各国はこうした一時的なインフレには対処できるはずだ。しかし、インフレ論者が想定する2番目のシナリオでは、構造的なデフレ圧力が後退してインフレ圧力の高まりが一時的なものでは終わらないとみられている。欧米やアジアの多くの国では高齢化が進み、労働力不足が起きている。これまではグローバル化で様々な製品や雇用の市場で効率化が進み、長期的にインフレが抑制されてきたが、グローバル化は今や後退局面にある。
3番目は、政治家や政策当局者に危機感が欠如しているという指摘だ。米連邦準備理事会(FRB)は「平均物価目標」を導入し、物価目標の下振れを埋め合わせようと2%を超える物価の上振れを目指している。10日に追加緩和を決めた欧州中央銀行(ECB)もFRBに追随する可能性がある。政治家は高齢化が進むのに伴い医療費などが増大していくことを考えると、より巨額の財政赤字を抱え込んでいかざるを得ない。
低水準の短期金利を見込む各国政府・中銀
こうしたインフレ論者の見立ては正しいのだろうか。21年に物価上昇率が一時的に上向くことは十分に考えられる。インフレ復活はしばらくの間は、経済がパンデミックから立ち直りつつある兆候だとして歓迎されるだろう。債務もある程度目減りすることになる。物価の下落が続く日本やユーロ圏などでは、政策立案者が安堵の息をつくかもしれない(ただし、コロナ禍で消費傾向が急激に変化したために物価統計に必ずしも正確でない部分が生じる可能性はある)。
インフレが長期化する可能性は依然として低い。だが、物価上昇が手に負えなくなるのを阻止するために中銀が利上げを余儀なくされる場合には、深刻な影響が出るおそれがある。マーケットは急落し、負債を抱えた企業は破綻する。さらに深刻なのは、政府債務と中銀負債の拡大から国全体のバランスシートが大きく膨らみ、それによる弊害がむき出しになる点だ。その理由を理解するには、国のバランスシートの負債の中身を詳細にみる必要がある。
各国政府は長期金利を現在の低水準に「固定する」方針を表明しているものの、実際に行っていることは逆で、短期金利が低水準にとどまると見込んで短期国債を発行しているにすぎない。その証拠に、米国債の平均残存期間は19年末には70カ月だったが、20年9月末には63カ月まで短くなった。
中銀も同様の姿勢で、債券買い入れのために使用する準備金には変動金利がつくため短期借り入れで購入しているのに等しい。英国の財政規律を管理する予算責任局(OBR)は11月、新規国債の発行と量的緩和を受け、短期金利の上昇に対して英国の債務返済コストが影響を受ける度合いは、年初から倍に膨らみ、12年の3倍近くに上昇していると警鐘を鳴らした。
可能性はわずかでも起きれば以前より大きいインフレの影響
つまり、インフレが起きる可能性の上昇がたとえわずかであっても、その影響は以前よりも大きくなる。各国はインフレが長期化するテールリスク(可能性は低いが起きた場合は影響が大きいリスク)に備えるために、政府債務を再編しなければならない。政府は長期国債を発行して財政出動の財源とすべきだ。
ほとんどの中銀は量的緩和を秩序ある形で縮小させ始めると同時に、金融緩和を進めるべく、短期金利をマイナスに誘導していくべきだ。各国の財務省は中銀が取ったリスクを予算に織り込んでいかなければならない(ユーロ圏は加盟国の債務を共有するうえで量的緩和よりも優れた方法を見いだすべきだ)。今年のように国債の残存期間を短くすることは最後の手段とすべきで、経済政策の主役としてはならない。
インフレ論者が間違っている可能性はある。貨幣の供給量がそのまま物価に影響するという説を唱えたマネタリストの権威で、サッチャー元首相にも影響を与えた米経済学者のミルトン・フリードマンでさえ、晩年はマネーサプライとインフレとの短期的関係が崩れたことを認めている。
一方で、パンデミックはまれにしか起こらない大惨事に対して備えておくことがいかに重要かを知らしめた。インフレ再燃についても備えが必要だという点では決して例外ではない。
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