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人身御供の伝承を今に 大阪・野里住吉神社の一夜官女祭

時を刻む

大阪市西淀川区の野里住吉神社で毎年2月に開かれてきた「一夜官女祭(いちやかんにょさい)」は、人身御供の伝承を今に伝える珍しい祭りである。神の託宣で少女を生贄(いけにえ)として唐櫃(からびつ)に入れ、神社の池のほとりに置いてささげたという伝説があり、祭りでは生贄役の官女が選ばれて神事が執り行われる。祭りの由来を遡って見えてくるのは、かつて人々を苦しめた水害だ。

野里一帯は淀川河口に近く、1909年に新淀川が開削されるまでは、支流の中津川が蛇行しながら東側を流れていた。

少女7人を神前に

祭りは神社を氏神とする野里、姫里、歌島の3地区が交代で担ってきた。行事を取り仕切る当矢(とうや)と呼ばれる家、7人の少女が選ばれ、20日、迎えに来た神職らを前に親と別れの盃(さかずき)の神事をした後、神社に向かう。

19日に行われる神饌(しんせん、神にささげる食事)の調理も重要な儀式だ。餅や蒸した米、豆腐、大根、小豆などとともに、生きているコイ、フナ、ナマズが調理され、7人の官女用に7つの夏越桶(なごしおけ)に入れられる。この桶も官女らとともに当矢から神社に運ばれ、社殿内におかれる。

桶ごとに入れる神饌は決まっており、7人のうち贄(にえ)と呼ばれる1番目の子の桶には魚は入れられない。20日に社殿で行われる神事の際、この子が脱いだ履物はすぐに隠される。ともに少女自身が生贄としてささげられ、戻ってこないことを暗示する決まり事だ。

新型コロナウイルス禍で今年は神饌の調理や神社内での神事のみ行い、官女が参加する行事は省略する形にした。

神社には元禄15年(1702年)と墨書された桶が伝わっており、300年以上前から祭りが続いてきたことを示している。戦国時代の豪傑、岩見重太郎が身代わりに唐櫃に潜み、生贄を差し出させていた邪神(大蛇、狒々〈ひひ〉)を退治したという伝承があるが、祭りの始まりは定かではない。

伝承は時代とともに変化することがある。後世脚色された可能性のある部分を除いて祭りの歴史を遡ると、村人が恐れ、逃れたいと苦しんでいたものの正体は、うねるように急に襲いかかってきた中津川の洪水だったようだ。鎌田義昭宮司は「この地は川の氾濫で何度も壊滅的な打撃を受けたことがあり、一夜官女祭はそうした歴史を伝えていく意義がある」と語る。

時がたって変化するといえば、「白羽の矢が立つ」は今、多くの人の中から抜てきされるという良い意味で使われることが多いが、この祭りのように生贄を差し出す家に選ばれる意味があった。犠牲となる少女に選ばれることも祭りでは名誉となり、当矢は地域の有力者が務めてきた。

自然への畏怖今も

昔は夜が主体だったという祭りの行事は現在、20日午後に行われている。多くの人が集まる部屋が必要な当矢選びも難しくなり、近年は地域の会館を使っている。「官女の親は付き添いで行事に参加する。平日に休まねばならない祭りを負担に感じる人が増え、官女選びも簡単ではなくなってきた」。歌島地区の氏子総代の一人、渡辺剛さんは語る。

住民の困窮と神の託宣をもとにした人身御供伝説は各地にあるが、祭りに昇華させて伝えてきた一夜官女祭は極めて珍しい民俗文化財といえる。祭りの記録を残すことに尽力した故池永悦治さんから教えを受け、野里地区の伝統行事などのガイドをしている井川聡江さんは「一夜官女祭の由来や伝承を知らない住民は意外に多く、見たことがないという人もいる。若い人たちにもっと地域の歴史を知ってもらい、伝えていけるようにしたい」と話す。

21世紀の都市に、昔の人々の大自然への恐れや強い祈りを感じさせるこうした行事が残っていること自体が奇跡に思える。(編集委員 堀田昇吾)

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