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セイラー教授 投資家はなぜ不合理な行動を取るか

日経ビジネス電子版

ノーベル賞受賞の学者など「世界の頭脳」の理論を、その要諦を熟知する専門家による解説で学ぶ。今回は2017年にノーベル経済学賞を受賞した米シカゴ大学経営大学院のリチャード・セイラー教授の行動経済学を取り上げる。

解説は元世界銀行のシニアエコノミストで、セイラー教授の孫弟子でもある行動経済学者の田中知美氏。セイラー教授の行動経済学をビジネスに生かす視座を学ぶ。

◇   ◇   ◇

広野彩子(日経ビジネス副編集長、以下広野):今回は2017年にノーベル経済学賞を受賞した米シカゴ大学経営大学院のリチャード・セイラー教授の行動経済学に詳しいゲストに解説をいただきます。ゲストは元世界銀行のシニアエコノミストで、セイラー教授の孫弟子でもある行動経済学者の田中知美さんです。

田中さん、早速ですが、経済学の中で行動経済学とはどのような学問か、セイラー教授はどのような業績でノーベル経済学賞を受賞したのか、解説をお願いします。

田中知美(行動経済学者、以下、田中氏):行動経済学とは、心理学的に観察された事実を取り入れていく経済学の研究分野を言います。一般には、2002年に「プロスペクト理論※1」でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏が行動経済学の創始者と思われています。しかし、セイラー教授は『行動経済学の逆襲』(早川書房)という本の中で、カーネマン氏よりもハーバード・サイモン氏が先にこの分野を手掛けていると書いています。

サイモン氏は人間が持つ情報は完全ではなく、認知能力にも限界があるという「限定合理性」の概念を打ち出しました。これは行動経済学のベーシックなコンセプトであり、最初の大きな業績と言えます。ただ、サイモン氏は行動経済学の理論化はしていません。経済学の中で行動経済学という1つの分野を確立するには至りませんでした。

2002年にカーネマン氏がプロスペクト理論でノーベル経済学賞を取ります。プロスペクト理論というのは、不確実性の下における意思決定のモデルです。ここで初めて理論モデルが出てきた形です。カーネマン氏も、一緒に受賞したエイモス・トベルスキー氏も心理学者です。心理学の教授から経済学の理論モデルが出てノーベル経済学賞を受賞するというのは極めて画期的なことで、当時、私も衝撃を受けました。

また、一緒に受賞したバーノン・スミス氏は実験経済学という手法を確立した人物です。行動経済学の理論はあまり使わず、伝統的な経済学で実証実験を行っていました。この3人が行動経済学というカテゴリーでノーベル賞を受賞したというのは非常に興味深いことだと思います。

2013年には行動ファイナンスで功績のあった米エール大学経済学部教授のロバート・シラー氏がノーベル経済学賞を受賞します。シラー氏は不動産バブルを予測したことで大変有名です。投資家の心理が一方向にぐっと傾くと不動産バブルが起きるということを研究した方です。

そして2017年にノーベル経済学賞を受賞したのがセイラー教授です。セイラー教授は行動経済学の様々な分野の研究をしていますが、最後に行き着いたのが「ナッジ※2」。ナッジの理論を行動変容に結びつけたことがセイラー教授の最も大きな業績だと思います。

(編集部注)

※1 プロスペクト理論:不確実性の下における意思決定のモデルの1つ。「利益を得る場面では確実に手に入れることを優先し、損失が出そうな場面では最大限に回避することを優先する」行動心理を表す。

※2 ナッジ:直訳は「ひじで軽くつつく」といった意味。ちょっとしたきっかけを与えて人々の行動や振る舞いを変えること。禁止したり強制したりするのではなく、望ましい選択をするように誘導する。

行動経済学が前提とするのは「ダメ人間」

広野:ここからはクイズに移ります。まず、最初のクイズです。

Q 行動経済学はこれまでの経済学とどう違うのか?

広野:伝統的な経済学と行動経済学は人間をどのように仮定しているかを聞いたクイズでした。正解は「A」、伝統的な経済学では、人はみな賢く完璧に自己管理できると仮定しています。

セイラー教授は、詩人・相田みつをのファンで「にんげんだもの」という詩はご自身の人生哲学だと言っていましたね。取材では「僕の部屋には相田みつをの書が飾ってあるんだよ」とも話していらっしゃいました。

セイラー教授もそうですが、田中さんの師匠もかなり変わった方だと聞いています。行動経済学者とはどういう人物なのか、ご紹介いただけますか。

田中氏:行動経済学は経済学の中で異端ということもあってか、行動経済学者は仲間意識が強いです。お互いよく知っていて、心も近いので冗談を言い合えるような関係ですね。

例えば、先にノーベル賞を取ったカーネマン氏はセイラー教授のことを「とても堕落した人間」と紹介なさいます(笑)。行動経済学は、人間は合理的でなく、完璧でなく、賢くないという前提に立ちますが、行動経済学者自身も「自分はダメ人間だ」と自覚し、そのダメなところをさらしています。本当に「にんげんだもの」という感じです(笑)。それをお互い、「あの人はこんなにひどい」「こんなにダメだ」と指摘し合います。

行動経済学者がノーベル賞を取ると毎回、「あの人は人間的にダメだから、行動経済学で頑張るしかなかった」「自分の行動を研究した結果、ノーベル賞につながったんだね」という内容のEメールが飛び交います。

広野:経済学は完璧な人間を仮定しているのに対し、行動経済学はダメ人間を仮定しているというのは大きな違いですね。

田中氏:はい。そして行動経済学者は自分もダメ人間だと認識していると。

鬱気味のときは合理的な投資行動を取る

広野:そうですね。分かりました。では次のクイズに行きましょう。

Q なぜ人間は不合理な行動をしてしまうのか?

広野:投資家はなぜ不合理な行動をしてしまうのか。7割ぐらいが自信過剰になるからと答えていらっしゃいました。これが正解です。田中さん、これはどういうことですか。

田中氏:人間は「自分はちゃんと分かっている」と自信過剰になると大胆な投資行動をしてしまうんですね。心理学で幾つか研究がありますが、ちょっと鬱気味のときなどは自分に自信がないので、実は投資家としては合理的な行動を取ります。逆に自分に自信を持って疑わないようなときほど、不合理な行動を取ってしまう。これは人間としてのパターンだと思います。

セイラー教授はCEO(最高経営責任者)の研究をしていますが、CEOの方たちも自信過剰の人が多いですね。自信過剰が悪いことかというと、そうとも言い切れませんが、投資家の立場では良くない。勝手に「自分は正しい」と思い込んでしまい、高い値段のときに買って安い値段のときに売ってしまうわけです。

実は、私もそれで3月に株を売ってしまったんですけれども……。はい。確かに「自分は正しい」と自信過剰になっていました。

広野:そうなんですか。それは初耳です。

田中氏:ちょっと心を痛めております。

広野:行動経済学者自ら実験台になってオーバーコンフィデンスを実証したわけですね(笑)。これに関して質問が入っています。

高値で買い、安値で売る背景には集団思考、トレンド継続思考など様々な理由があると思います。自信過剰が主たる要因という説明には違和感があります。田中先生が3月に株式を売却されたのは、本当に自信過剰が理由だと思いますか。

田中氏:いろいろな理由があると思います。先ほど、クイズで「投資家が不合理な行動を取る理由」に「未来は予測不能だから」という選択肢がありましたが、私はそれもありだと思います。セイラー教授は自信過剰の研究をして、それで説明しましたが、伝統的な経済学でも説明はできます。

安値で売ってしまう理由にはいろいろな要素がありますが、どの要因が一番強いかを探ることよりも、データを使ってその要因の一つ一つが正しいのかを検証すること、検証のための実験手法や計量的な手法をきちんと押さえることが重要だと思います。

(日経ビジネス 広野彩子)

[日経ビジネス電子版2020年12月23日の記事を再構成]

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